2005年4月11日

都市の腸詰め(血と肉)

(あるいは「千年持続学、第5回フォーラム」の粗雑不完全レポート)

土曜日。朝から東大駒場へ。

開演ぎりぎりに会場に滑り込み、目立たず座っていたつもりだったのに、司会席から中谷さんに見つかり、「あとでコメント願います」というメモを見せられて思わずハイと言ってしまい、黒田さんと清水さんのレクチャーのあと、いきなり紹介して頂いて何か言えとマイクを渡されてしまい、うう、ただでさえ午前中はエンジンがかかるのが遅いうえに、いったい何を言ったらよいのやら思いつかず、大恥かいてしまった。とほほ。勘弁して下さい中谷さん。おまけに、お昼は講師の先生方と一緒にお弁当を頂いた。いったいどうしてこんなことに。

それはともかくも。長い一日、1秒も退屈しない、きわめて中身の濃い公開講座だったということを記しておきたい。僕はもう、目を丸くして、バカみたいに口を開けっ放しだったと思う。知恵熱が出るかと思った。

中谷氏が繰り返し強調していた、都市は我々のために何かしてくれているのじゃなくて、我々と「関係なく」自己生成してるんだ、というようなことについて、僕はまだ、いまひとつ正しいニュアンスを飲み込めていないような気もする。都市をメタな視点から捉えたとき、それがオートポイエーティックなシステムなんだという切り方は、じつに様々な思いつきを誘発するけれど、こういう物言いをしているとしばしば、「たとえ話」に魅了されちゃって、もともと何が切実な「問い」だったのか、忘れてしまう。それもまあ、面白いんだけどな。それはそれとして、今回、少なくともその「自己生成」のダイナミズムというか、都市の「凄味」はドキドキするくらい伝わってきた。自己生成する都市の夢でも見そうだ。

最初に、中谷氏による、「都市に正面から挑んで火あぶりにされた」ドミニコ会の説教師、サヴォナローラを引いたイントロダクション。

次に、黒田泰介氏から、イタリアの都市に散見される、まさに先行形態の見本みたいな円形劇場の様々な残存事例の研究と紹介。すげー事例がいくつも出てきた。円形劇場の遺跡は、ある都市ではまるで既存の地形のように見なされ、その「基礎」の上に住宅を生やしたり建材のストックになったりし、ある都市ではその「強い」形態が周囲の街路パターンに波及したりする。ルッカの円形劇場遺構中庭付き住宅地のペーパークラフト販売してくれないでしょうか。アセテートで。

それから、清水重敦氏による、平城京が「都」をやめちゃってからの変遷と、現代に残る「遺存地割」。グリッド・フリーの区画だった平城宮跡地に条坊の格子柄が「染みこんでいった」ところや、都市グリッドと農地グリッドの境目に建設され、異なるグリッドが武家屋敷や町人地という地政的支配システムに「転用」された城下町、大和郡山。さらに、現代でも平城京の「エッジ」が街の様子を分けていること。

驚いたのは、奈良盆地の水田地帯で、田圃の畦のパターンに平城京のグリッドが「転写」されたみたいに残存していることだった。奈良では普通に知られていることらしい(そりゃそうだろうけど)が、水田のパターンにくっきり浮かぶ「平城京」は、僕らからするとびっくりである。中谷さんも「気持ち悪い」と言っていたけれど、ほんと、都市の怨念というか、なんか不気味な感じすらする。

平城京の道路が水田化したのは古く、遷都後わりとすぐに始まったそうだ。もとの地割りから考えるに、まず道路を水田にしたように思えるが、その理由や経緯はよくわからない、という。

でも、これは単なる思いつきなのだが、幅の広い「道路」は意外と「水田化」に適しているような気がする。水田は非常に地形コンシャスである。浅い水を湛える必要があるから、田の一枚一枚はデッドフラットに作られ、畦が隣接する田とのレベル差を吸収する。圃場整備される前の水田は、数10センチ単位の土地の高低差を等高線のように描き出していることがよくある。排水のことを考えても、道路は宅地よりも少し低いレベル設定だっただろうし、大きな側溝があったらしいから水を引いてくるにも好都合だっただろう。畦に条坊の形が残っている水田地のあたりは、奈良盆地の北部で、南へ向かって緩やかに傾斜している。地図では、東一坊大路跡の水田が東西に長い長方形に割られているが、これってコンターじゃないだろうか。

そんなことを考えると、たしかにローマの円形劇場ほどには「あからさまに壊しにくい構築物」ではないにせよ、平城京の「気配の存続」も、必ずしも(会場で議論されていたように)理念だけが存続した、というわけではなく、意外と物理的な「先行形態」に依るものなんじゃないか、形態が意味のある持続を獲得するためには、すべてをレンガとライムストーンで積み上げる必要はなく、場合によっては地表にスクレイプされた数十センチのひっかき傷で充分なこともあるんじゃないか、なんて思ったりしたのだ。

お昼を挟んで、青井哲人氏による、台湾の彰化という都市を題材にした、日本統治時代に行われた「市区改正」が都市に与えたインパクトの、いわば「都市生体内反応」の報告。

既存の街路網をほとんど無視した道路整備に対して、敷地を削られたりしながらもその「位置」を変えない「廟」と、新しい街区のレイアウトにさっさとアダプトする、したたかな「ショップハウス群」との違いに現れるものを、青井氏は「地誌的定数」と「位相的定数」の二重性と呼び、「地誌的に不変たらんとする要素は、位相的な変化は受け入れなければならない」「位相的に不変たらんとする要素は、地誌的な変化は受け入れなければならない」という二つの「定理」の組み合わせが都市形態を再組織化しつつ重層化させる、という。

これは冴えてる。これは使えるぞ。むろん、これらは二項対立的な概念じゃなく、街の様々な要素はどちらもある割合で含んでいるものだろう。でも、こうした切り口で眺めてみるといろんなことが腑に落ちる。たとえば都市河川はその性格からして大きく地誌オリエンテッドであり、都市の変化に応じてその「質」を変えていってしまう。あるいはたとえば駐車場は本質的にぐっと位相寄りだから、街の変化に応じて「生える」みたいに発生したり消滅したりする。

それから、フォーラム主催者の村松伸氏による、バンコクの「近代化」に伴う変化について。水路が消滅してゆく際に、水路のパターンと似た構造で道路が造られる、システムの「憑依」。近代化のツールとして導入された「ショップハウス」が、その後、(村松先生によると)「ガン細胞」みたいに増殖してタイの高床式の住居を駆逐していった、ということ。

ショップハウスが普及してゆく過程は、まるで都市に帰化植物が増えてゆく様子みたいである。「持ち込まれたモノ」が爆発的に増えるというところも似ている。湿っていた街を「乾かした」段階で、バンコクは「位相定数の権化」であるショップハウスの「ニッチ」を用意しちゃったのだ(村松氏のお話は必ずしもそういう趣旨でもなかったが、青井氏の話のあとでこれを拝見したため、そういう文脈で理解してしまう)。

最後に、松原康介氏による、モロッコの都市を題材にした、計画の射程距離を問う「カサブランカ郊外の夢と挫折」。旧市街の歴史的景観が有名なモロッコの都市には、20世紀に行われたいくつもの実験的な都市計画の年輪が残っている。1960年代にCIAMが鳴り物入りで作った郊外住宅地があるが、離村農民の怒濤の流入やモロッコの生活様式との齟齬によって機能不全に陥った。

何をもって都市計画が「成功」「失敗」だったと評価するか、は、議論の余地があるだろう(会場でもそこが突っ込まれどころになった)。僕はしかし、スライドに映された、増築されまくったモダン住宅の様子に、イタリアの円形劇場住宅に通じるような、「空間」を「場所」に変える力みたいなものを感じて好感を持ってしまったんだけど。

いやしかし、密度の高いレクチャーだった。どれもこれも、それぞれの第一人者による、バリバリの「一次資料」ばっかりである。一日中、ずーっと「原液」を飲んでたのだ。これで無料。聴講を逸したラ系のあなた、いいものを見損なったぞ。

休憩を挟んで、田中純氏をコメンテーターに迎えた締めくくりのディスカッション。中谷さんが「ここで結論を出す」と豪語されていたし、最後まで居たかったのだが、ここで僕が時間切れになり、30分ほど居て退出した。田中純さんのお話しを直接聞いたのは初めてだったが、ものすごく魅力的な話し方をされる。聞き惚れてしまう。「継承しようとする意志」とは別に、「理念」は意図ではなく、都市を「生き残らせてしまっている」、そういう「外部化された無意識」がいわば都市の「血と肉」だと言えまいか、なんていう、切り取って持ち帰りたいキーワードがぼろぼろ出てくる。当日の講師はどなたも、テープ起こしをそのまんまタイプすればちゃんとした文章になるくらい明瞭で論理的な話をされたが、田中さんが一番すごかった。後ろ髪引かれた。。。残念。しかし、今回の中身はいずれ何らかの形でまとめられるようなので、楽しみにしよう。中谷さんともいつかゆっくりお会いしたい。

会場で、たたかうピクニシェンヌとお会いし、帰り際に南泰裕さんもお見かけした。田中浩也さんにもお会いできるかなと思って柴崎研の前を通過してみたが、室内の人たちは忙しそうだし、声をかけるのをためらってしまった。帰路、東北沢駅への途上で、ミントブッシュが生け垣状に刈り込まれて咲いているのを見つけて驚いた。ってこれはフォーラムとは関係ないけど。

関連リンク:semi@aoao 青井さんの、人間環境大学 地域・都市計画論ゼミブログ

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コメント

石川様
早速の貴重なレポートありがとうございました。鉄は熱いうちに打てと言うことで当方からも石川様の論点にそって、いくつか報告させていただきたいと思います。
●都市の自動生成について
これはディスカッションの時にも話題になったのですが、論点は、一見自動生成のように見える都市の動きは何によって保たれているのかということでした。つまり自動生成のように見えるだけで、そこにどのようなメカニズムがあるか、特に人間の個別的な営為との関連が見出されるのかを問おうとしたのが本旨となりました。ですから石川さんのご指摘はもっともなことです。
この問いの背後には、これまでむしろ都市が自動生成されているように見えすぎており、その結果都市と人間の営為とが対置的に語られすぎていることがありました。それを批判対象としたわけです。ディスカッションのなかで研ぎ澄まされていった問いの最終形態は以下のようです。
「人間は無意識に都市に介入していることは明白である。むしろ無意識を媒介としてしか都市に介入できない。それゆえに人間こそが都市の肉、一つの細胞になっている。それでは逆に問おう。単なる都市計画ではなく、意識的に人間が都市に介入しえたことはあったのか。」
一応この問いにそれぞれが応えることでディスカッションは終了しました。その余波は田中純先生のブログ2005年4月10日の記録
http://news.before-and-afterimages.jp/index.html
に端的に表れています。これに関連して丹下の広島計画の意義すら見出せるとおもいます。
●人間の無意識を介した都市への介入について
この論点は少し説明をしておきます。青井さん、そして闘技場の転用過程をあつかった黒田さんの発表に明らかですが、人間が単なる自分の生活のために行なっていることが、同時に都市を成長させる要素になっているということです。その端的な例は青井さんの4枚壁事件(2005年3月30日付)
http://semi.uhe.ac.jp/~aoao/mt/
をごらんください。またこれについては、石川さんが発表者との昼食の席でご披露された、人間と都市とのスケールの違いとその併存も大きく関係してきます。つまり局所的にあらわれた行為も全体としてみるとある調和状態を保っているという話です。これに関して石川さんに振りたかったのですが、もうご退席されていたので、仕方なく当方から紹介し、これについてもいくつか論議しました。

いずれにせよ大変貴重な機会を与えていただいたフォーラムでした。石川さんも千年持続学にご興味ありましたら、今後ともよろしくお付き合いくださいませ。
それでは長文失礼いたします。

おおお、中谷さん貴重なコメントをありがとうございます。

やっぱりそうか。。理解が浅かったというか。

しかし、いやー、ディスカッションにエッセンスが濃縮されてるだろうと思ったんだよなあ。くそー。最後まで居たかったよう。

>それ?は逆に問おう。単なる都市計画ではなく、意識的に人間が都市に介入しえたことはあったのか

うわ。これはヤバいですよ。聞かなかったことに・・・じゃなくて、この設問にドキドキしない計画者/設計者はモグリだぞ。

>仕方なく当方から紹介し、

脱走したみたいですみませんでした。乳幼児移動SOSコールがかかったもので。

「系」があらわれるスケールの話は、生態系について勉強したことのあるラ系からは割とすんなり出てくる観点かなと思います。近現代の土木建築テクノロジーが、身体が土地を操作するスケールを拡張しちゃう以前のほうが、「系」の存続は容易だっただろうなあ、なんて思ったり。

ところで、「奈良・784」のペーパー、本日、ウチの事務所でセンセーションを巻き起こしています。清水さんにもよろしうお伝えくださいまし。田中先生のblogも拝見しました。(どーやったらあんなエッセンシャルな文章が可能なんだ)

それにしても、今後1年くらい食えそうなネタ仕入れました。貴重な機会にお誘い頂けて幸いでした。むろん、今後とも興味あります。というか、しばらく「千年持続」のストーカーになりそうな予感。

いや、僕のほうこそこのページのストーカーなわけで。。。(返事不要)

石川さま、中谷さま

台湾の話をした青井です。失礼してコメント少し書かせて頂きます。
しかし、即座にこんな的確なフォーラムのまとめが読めるなんて、夢にも思っていませんでした。ありがとうございます。

当日のディスカッションについてですが、パネリストの一人としては、都市形態の自動展開(あるいは潜在・復活)に視野を絞って、方法や概念、今後の追求の可能性などについて、もう少し深めてもよかったのかなと思いました。でも、それはこのフォーラムのテーマをあまりによい子に理解しすぎているということなのかもしれません。

むしろ都市形態の自動展開という議論については、少なからぬ聴衆が何らか違和感を覚えていたと思われます。懇親会でもそう思いました。ですからディスカッションの焦点が、この議論そのものの成立如何に置かれたことは必然だったのでしょう。「自動生成する都??」というのが、それだけでは都合よく切り出された島の上での議論にすぎないように見えるのは当然で、だから「人間だって頑張ってるよ」とか、逆に「あなた方が言っている都市って何よ」という疑問になる。

もちろん、従来の都市論(とくに都市形態論、都市空間論)は無批判に人間(人間性?)を与件にしすぎて、田中先生の言われた「根本的に人間に無関心である都市」に接近できなかったのでしょうが、人間を外して自動生成を言っても力を持ちません。

僕の理解では、人が私的利害を追求する営みが、具体的には権力と私人、私人と私人との闘争というかたちで行われる、それが不可避的にいくつかのパタンを生み出し、そのパタンが結果的には私的利害を超えて都市生成に寄与してしまう、そうして人は都市から疎外されつつ、都市にとって不可欠の構成要素でもある、ということになるのだろうと思っています。そうすると、この闘争のパタンを制御しているかもしれない制度への興味も膨らみます(もちろん制度の想像力はとても限定的なので、皮肉はたくさんおこる)。「透天」(ショップハウス)はこうしたパタンの一例ですが、台湾都市が「透天」から逸脱しない理由を、どう説明したらよいのか・・・この手の素朴な重要問題はごろごろ転がっています。

村松さんが外的インパクトを強調したのは、「自動生成」という幸せの島の、たぶん外側を示そうとしたわけですね。でも、ちゃんと人と制度に即した分析をしつこくやって、意識的営みが無意識の側へと吸い込まれる反転の瞬間を捉えるのなら、外的インパクトとか、歴史的限定性の問題もちゃんと組み込まれるのではないか、という気がします。

一方、意識的営みが無意識をつくってしまう関係があるとしたら、建築家やプランナー(じゃなくてもいいけど)はそのことにどう対処してきたのか。建築家を見る視点も、今さらながら明確になってきたような気がします。これまで重視されてきた人はそういう側面を持っているのでしょうが、新たに発掘される人とかいれば面白いですね。

うお。青井さんコメントありがとうございます。
ていうか、面白えー!これ。

>ディスカッションの焦点が、この議論そのものの成立如何に置かれた
なるほど。議論を喚起するキーワードとしては有効でしたね。

素人っぽい思いつきで恐縮なんですが、「透天」がどうやって様式を獲得したにせよ、なんか、相当「鍛えられた」建物タイプのような感じがしました。青井さんが「細胞」とおっしゃってましたが、まさに、都市の要素の「単位」として、すごく良くできてるんじゃないかと。身体スケールとの親和性といい、街の変化にアダプタブルなしたたかさといい、まるで「乗用車」くらいの、改変の余地があんまりないシステム強度を持ってるんじゃないかと。そういう、汎アジア的伝播力をもってバンコクにもなだれ込んできたんじゃないか。

だからもしかして、目を転じてたとえばアメリカの都市のチャイナタウンを観察したら、建物タイプというよりも「透天的システム」みたいなものがサンフランシスコのビクトリアンハウスに浸透している事例があったりするんじゃないだろうか、そっちから逆に「外側」のこともわかったりしないかな。なーんて思ったり。

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