2005年4月27日

パブリックガーデン、プライベートランドスケープ

届いたばかりのGardens Illustrated(イギリスのガーデン雑誌)を開いたら、「Speaker's Corner」というコラム欄に、Tim Richardsonの懐かしい顔があって、ちょっと嬉しかった。また、書いてることが、かつての「New Eden」の巻頭で毎回しつこく書いていたことと同じ、「古くさいビクトリアンガーデンの保存に費やすお金を、もっと挑戦的なデザイナーに回せ」という主旨で、相変わらずのその調子が楽しい。

New Edenというのは、Tim Richardsonが編集長をしていたガーデン誌だった。ちょうど20世紀の終わり頃に創刊された雑誌で、マーサ・シュワルツの特集をしたり、いきなり「造花」の提案をしたり、ファッションデザイナーに生花の下着をデザインさせてモデルに着せたり、なかなかラジカルで、装丁もキレイで、毎号、非常に楽しみにしていたのだが、2年ほどで廃刊してしまった。版元から届いたお知らせの手紙には「あなたが既に予約購読代金を支払ったところの今年一杯ぶんは、別なガーデン雑誌をお届けします」と書いてあり、それから数ヶ月、「English Home Gardens」とか何とかいう御婦人向けの園芸雑誌が配達された(要らんのに)。

New Edenが出ていた頃、Gardens Illustratedも編集長が変わって紙面も一新し、Dan Pearsonが監修に入ったりし、雑誌の主宰でKathryn Gustafsonの講演会が開かれたりしていた。Christopher Bradley-HoleやPaul Cooperの本が次々に出て、なんかこう、イギリスの庭のデザイン方面はちょっとホットだったのだ。我が家のポストにはキレまくった記事満載のNew Edenと、王立園芸教会の「The Garden」の球根特集が同時に届いて、ガーデン文化の「厚み」も感じたし。

その後、版元と編集長がまた変わって、Gardens Illustratedもずっと保守的になってしまい、以前の新鮮なわくわくする感じは薄れた(こっちが慣れちゃったのかもしれないが)。でもまだ、辛うじて「English Home Gardens」的雰囲気とは一線を画している(少なくともTim Richardsonがコラムに登場したりする点で)、この雑誌は僕は好きである。

日本の場合、「造園」と「園芸」は植栽のリソースからして分かれているため、その間を行ったり来たりするのは(手続き的に)少し面倒だが、最近は施工会社も「園芸」に慣れつつあるし、造園材料の生産者の視野もずっと広がっている。「緑地」と「庭」を分けてるのはしょせん、制度でしかない。公共空間を対象とする『らんどすけーぷあーきてくちゅあ』は、閉じたプライベートな庭を対象とするガーデンデザインとは異なる、とか了見の狭いことを抜かしてるヤツは表へ出ろ。

2005年4月26日

ウルバニア・インコグニタ。

赤坂の書店で、吉見俊哉・若林幹夫「東京スタディーズ」(紀伊国屋書店、2005)を買い、ついでに建築のコーナーに回って、発売中の10+1を手に取ってみる。特集「建築と書物」。「書物」である。目次に並ぶ執筆者も魅力的。というわけで2冊抱えてレジへ。地下鉄に乗って、まずは10+1を開いてみた。

ら、冒頭からいきなり、すんげー文章にあたってしまった。田中純「自然の無関心」。
これはたいへんだ。あまりのことに、乗換駅を乗り過ごすところだった。アセテート編集者日記で中谷さんが書いておられたのはこれか。遅い>自分。

ラ系の諸姉諸兄は必読。読んだら、次に自分の設計した物件の「設計主旨」を再チェックし、もし「自然」という言葉が紛れ込んでいたら、その意味についてよーく考えるように(←ってそれは俺だ)。

12年前、初めてアメリカ大陸の上を飛行機で飛んだとき、目が覚めてふと窓から下を見ると、人気の感じられない砂漠と岩山を、河が蛇行しながら削り取っている「荒野」が延々と続いているのを見て(たぶん、カリフォルニアかネバダの上空だったんだと思う)寂しいような恐ろしいような、なんかこう、自分の「取るに足らなさ」を急に感じて鳥肌が立ったときのことや、仕事でニューギニアの熱帯雨林に足を踏み入れたとき、鬱蒼とした木々の遥か頭上、樹冠が茂るあたりを、鳥や小動物が鳴き声上げながら通過してゆくのが聞こえ、森の栄養も知恵もアクティビティも、ぜんぶ地上50mの層にあって、一方で自分は長靴を履いて、ヘビやクモやその他の毒をもった頭の悪い連中のいるレイヤーをうろついている、「仲間はずれ」だ、と思ったときのことを思い出した。

きっと「自然」とは、人間の精神に対して徹底的に無関心を装うものたちに、僕たちの先人が、最後にどうしようもない気持ちになって与えた言葉なのだ。(文中より孫引き)

写真家の福田則行さんが、まったく同じことを言っていた。福田さんは、厳冬期、据えたカメラのシャッターを開けっ放しにして向かい合う化学プラントの「ものすごい」風景を「自然としか言いようのないもの」と呼んだ。

去年の造園学会で、土木家の関文夫さんが、高速道路の造成で露出した「一億年前の岩盤」に対して、造園は相変わらず「緑化のための樹木の種類」を考えたりしてる、という失望を語ったことがある。僕は咄嗟に、そもそも一億年の岩盤を露出させるような、無理な造成はやめてくださいと混ぜっ返してしまった。だって、一億年に向き合う「デザイン」なんて、それこそ途方に暮れる。

そういえば、小松左京が何かの小説の中で、石灰岩で都市を作っている人間と、石灰質の共同骨格を作っている珊瑚虫と、やってることは同じだ、という意味のことを書いていて、高校のとき、それを読んでからしばらく、都会のビル群が珊瑚礁に見えて仕方なかった。

僕らは迂闊に「自己生成」とか言うけれど、田中氏のいう「地質学的な時間」に属している、都市の自己生成(に見る自然)は、校庭の片隅に作ったビオトープにトンボが発生するような可愛らしい自己生成と比べると、あんまりな規模と縮尺である。

こうも思ったりする。最も身近な、僕への「無関心」は、僕の身体である。僕の意図は髪の毛一本にも通じないし、毛も爪も肌も内蔵も、誰も僕に「無関心」だ。下手をすると小石を蹴るまでもなく、鏡に映っている「見知らぬ身体」に唖然としてしまう。都市を作っているのは僕らの営みであったはずなのに、実は僕らに無関心な身体が、無関心なやりかたで、無関心な都市を粛々と作っている、んだったりして。

2005年4月25日

熱中時間

NHKの番組を制作されている会社から打診頂き、取材を受けることになった。
もしかすると収録に出向いて、出演するかも。

妻が、どういう番組なのか見てみたいと言い、昨夜、(僕が原稿と格闘している間に)チャンネルを回してみた。
いきなり、住宅都市整理公団の総裁が出ておられた。。。

2005年4月19日

蝸牛は地を這い、ナブスター衛星は天に知ろしめす。

西川夫妻が練馬にカタツムリを描きました。
トヨタマツムリ

徒歩による、2.5kmのカタツムリ。
中央部の螺旋状のルートが可笑しい。
というか、よく見つけたなあ。

お疲れさまでした。よくやった。

2005年4月18日

それこそ「外部化された無意識」としての、グリッド。

国土地理院・地図と測量の科学館、企画展第8回:地図屋さんの作品展
入館無料。行きたいなあ。あーどーして筑波なんだ国土地理院。


清水さんもコメントされていた、「グリッドの拘束力」について考えてみたり、しているのである。

繰り返しになるが、公開講座を拝聴しつつ思ったのは、グリッドという、理念というか、抽象的な「ルール」がその土地に存続した、というよりは、やはり道路の造成平面という空間の形態が、機能を要請したと見るほうがいいんじゃないか、ということだった。

でも、それは、グリッドを具現しているレベル差が存続するメカニズムを説明できても、グリッドが越境して隣地を埋めたりするほどの慣性を持っていることや、そもそもなぜ「グリッド」が首都のカタチとして選ばれたのか、ということについての説明にはならない。

グリッドに「拘束力」があるとしたら(あるように感じるが)、それは、ピラミッドパワーみたいなものがグリッド自体に内在するわけではなく、グリッドと人との間に成立する「関係」が持つ力のようなものである(でも、それも、グリッドに人間が思わず「反応」するわけだから、「神秘のグリッドパワー」と呼んでもあながち間違いではないかもしれないけど)。

ここで思い出すのは、本江さんが以前に書かれていた記事。
Motoe Lab, MYU: 三角のほうが四角よりむずかしい

「四角」の連鎖である「グリッド」は意外と、人間の身体性に由来するのかもしれない。グリッドを目にすると、僕らはつい、そこに普遍的な秩序や規則を見取ってしまい、それがあたかも人間のスケールと無関係な、高次の「理念」をその土地にアプライしようとしたかのような気がしてしまい、「荒野に描かれた幾何学図形」だと見なすけれど、実はグリッドはけっこう「気持ちの良い」、身体と親和性の高いカタチなのかもしれない。

現実の土地の上では、グリッドはしばしば、地形に邪魔されて破綻する。比較的平坦に見える土地でも、実際はでこぼこしているし、日本のように山がちな地形だと、余計に「格子柄で行ける土地」の広がりには限りがある。だいたい、平地は「平面」ではない。地球は丸いから、グリッドで地球を覆うことはできない。緯度経度は、多くの人が住んでいる中緯度帯ではなんとかグリッドに見えるが、ちょっと南北極に近づけば、経度線はやたらと近くなるし、緯度線は明らかに曲線になってしまう。地上のグリッドは、きわめて限定的な範囲に擬似的にしか成立しない、ローカルな図形である。

で、その「グリッドを描きうる範囲」というのが、その土地での人の認知の射程距離にだいたい一致していて、それが「グリッド都市」の規模(というか物理的な大きさ)を決めていたりして。

と、藤村さんのジャーナル:
round about journal
まあ、たしかに、こういう思いつきかたがローカルな心情なのかもしれないけどな。僕は度し難くドメスティックだし。

2005年4月12日

平城京の青焼き

「スカイビュースケープ」が奈良盆地もカバーしていることを見つけたので、清水さんのレジュメをもとに、「平城京の遺存地割」を探してみる。


空撮写真を使った「鳥瞰」。
すげー。本当だ。水田やミニ開発の形に「朱雀大路」が見える。

農地と市街地が混在しているので、最近の宅地や道路もグリッドに沿って建設され、「期せずして」条坊の模様を「補強」してしまっていることがよくわかる。


真上からの空撮写真。画面中央のあたりと、画面右下あたりでは、水田の地割りのプロポーションが異なっているのが見える。中央部は横長で、右下のほうは縦長だ。


同じ縮尺で地形を表示すると、水田の模様が「等高線」であることがわかる。「もと道路」の部分はおおむね整形に区切られ、グリッドの「中」はけっこう複雑な割り方がされていて、この対比が条坊パターンを浮かび上がらせている。道路の平坦さの効果だ。たしかに、道路はどうしたって微地形を改変して平坦にせざるをえないが、宅地内まで平坦に造成するのはものすごい大工事だし、必要もなかっただろうしな。
しかしこの、緩やかに傾斜した盆地はじつに水田向きな土地だ。


空撮画像:デジタルアーステクノロジー「スカイビュースケープ」
地図画像:国土地理院「数値地図25000地図画像」+「50mメッシュ標高データ」

■追記:
カギ差し込んで開けようとしてる人がいます。ぶわははは。

2005年4月11日

都市の腸詰め(血と肉)

(あるいは「千年持続学、第5回フォーラム」の粗雑不完全レポート)

土曜日。朝から東大駒場へ。

開演ぎりぎりに会場に滑り込み、目立たず座っていたつもりだったのに、司会席から中谷さんに見つかり、「あとでコメント願います」というメモを見せられて思わずハイと言ってしまい、黒田さんと清水さんのレクチャーのあと、いきなり紹介して頂いて何か言えとマイクを渡されてしまい、うう、ただでさえ午前中はエンジンがかかるのが遅いうえに、いったい何を言ったらよいのやら思いつかず、大恥かいてしまった。とほほ。勘弁して下さい中谷さん。おまけに、お昼は講師の先生方と一緒にお弁当を頂いた。いったいどうしてこんなことに。

それはともかくも。長い一日、1秒も退屈しない、きわめて中身の濃い公開講座だったということを記しておきたい。僕はもう、目を丸くして、バカみたいに口を開けっ放しだったと思う。知恵熱が出るかと思った。

中谷氏が繰り返し強調していた、都市は我々のために何かしてくれているのじゃなくて、我々と「関係なく」自己生成してるんだ、というようなことについて、僕はまだ、いまひとつ正しいニュアンスを飲み込めていないような気もする。都市をメタな視点から捉えたとき、それがオートポイエーティックなシステムなんだという切り方は、じつに様々な思いつきを誘発するけれど、こういう物言いをしているとしばしば、「たとえ話」に魅了されちゃって、もともと何が切実な「問い」だったのか、忘れてしまう。それもまあ、面白いんだけどな。それはそれとして、今回、少なくともその「自己生成」のダイナミズムというか、都市の「凄味」はドキドキするくらい伝わってきた。自己生成する都市の夢でも見そうだ。

最初に、中谷氏による、「都市に正面から挑んで火あぶりにされた」ドミニコ会の説教師、サヴォナローラを引いたイントロダクション。

次に、黒田泰介氏から、イタリアの都市に散見される、まさに先行形態の見本みたいな円形劇場の様々な残存事例の研究と紹介。すげー事例がいくつも出てきた。円形劇場の遺跡は、ある都市ではまるで既存の地形のように見なされ、その「基礎」の上に住宅を生やしたり建材のストックになったりし、ある都市ではその「強い」形態が周囲の街路パターンに波及したりする。ルッカの円形劇場遺構中庭付き住宅地のペーパークラフト販売してくれないでしょうか。アセテートで。

それから、清水重敦氏による、平城京が「都」をやめちゃってからの変遷と、現代に残る「遺存地割」。グリッド・フリーの区画だった平城宮跡地に条坊の格子柄が「染みこんでいった」ところや、都市グリッドと農地グリッドの境目に建設され、異なるグリッドが武家屋敷や町人地という地政的支配システムに「転用」された城下町、大和郡山。さらに、現代でも平城京の「エッジ」が街の様子を分けていること。

驚いたのは、奈良盆地の水田地帯で、田圃の畦のパターンに平城京のグリッドが「転写」されたみたいに残存していることだった。奈良では普通に知られていることらしい(そりゃそうだろうけど)が、水田のパターンにくっきり浮かぶ「平城京」は、僕らからするとびっくりである。中谷さんも「気持ち悪い」と言っていたけれど、ほんと、都市の怨念というか、なんか不気味な感じすらする。

平城京の道路が水田化したのは古く、遷都後わりとすぐに始まったそうだ。もとの地割りから考えるに、まず道路を水田にしたように思えるが、その理由や経緯はよくわからない、という。

でも、これは単なる思いつきなのだが、幅の広い「道路」は意外と「水田化」に適しているような気がする。水田は非常に地形コンシャスである。浅い水を湛える必要があるから、田の一枚一枚はデッドフラットに作られ、畦が隣接する田とのレベル差を吸収する。圃場整備される前の水田は、数10センチ単位の土地の高低差を等高線のように描き出していることがよくある。排水のことを考えても、道路は宅地よりも少し低いレベル設定だっただろうし、大きな側溝があったらしいから水を引いてくるにも好都合だっただろう。畦に条坊の形が残っている水田地のあたりは、奈良盆地の北部で、南へ向かって緩やかに傾斜している。地図では、東一坊大路跡の水田が東西に長い長方形に割られているが、これってコンターじゃないだろうか。

そんなことを考えると、たしかにローマの円形劇場ほどには「あからさまに壊しにくい構築物」ではないにせよ、平城京の「気配の存続」も、必ずしも(会場で議論されていたように)理念だけが存続した、というわけではなく、意外と物理的な「先行形態」に依るものなんじゃないか、形態が意味のある持続を獲得するためには、すべてをレンガとライムストーンで積み上げる必要はなく、場合によっては地表にスクレイプされた数十センチのひっかき傷で充分なこともあるんじゃないか、なんて思ったりしたのだ。

お昼を挟んで、青井哲人氏による、台湾の彰化という都市を題材にした、日本統治時代に行われた「市区改正」が都市に与えたインパクトの、いわば「都市生体内反応」の報告。

既存の街路網をほとんど無視した道路整備に対して、敷地を削られたりしながらもその「位置」を変えない「廟」と、新しい街区のレイアウトにさっさとアダプトする、したたかな「ショップハウス群」との違いに現れるものを、青井氏は「地誌的定数」と「位相的定数」の二重性と呼び、「地誌的に不変たらんとする要素は、位相的な変化は受け入れなければならない」「位相的に不変たらんとする要素は、地誌的な変化は受け入れなければならない」という二つの「定理」の組み合わせが都市形態を再組織化しつつ重層化させる、という。

これは冴えてる。これは使えるぞ。むろん、これらは二項対立的な概念じゃなく、街の様々な要素はどちらもある割合で含んでいるものだろう。でも、こうした切り口で眺めてみるといろんなことが腑に落ちる。たとえば都市河川はその性格からして大きく地誌オリエンテッドであり、都市の変化に応じてその「質」を変えていってしまう。あるいはたとえば駐車場は本質的にぐっと位相寄りだから、街の変化に応じて「生える」みたいに発生したり消滅したりする。

それから、フォーラム主催者の村松伸氏による、バンコクの「近代化」に伴う変化について。水路が消滅してゆく際に、水路のパターンと似た構造で道路が造られる、システムの「憑依」。近代化のツールとして導入された「ショップハウス」が、その後、(村松先生によると)「ガン細胞」みたいに増殖してタイの高床式の住居を駆逐していった、ということ。

ショップハウスが普及してゆく過程は、まるで都市に帰化植物が増えてゆく様子みたいである。「持ち込まれたモノ」が爆発的に増えるというところも似ている。湿っていた街を「乾かした」段階で、バンコクは「位相定数の権化」であるショップハウスの「ニッチ」を用意しちゃったのだ(村松氏のお話は必ずしもそういう趣旨でもなかったが、青井氏の話のあとでこれを拝見したため、そういう文脈で理解してしまう)。

最後に、松原康介氏による、モロッコの都市を題材にした、計画の射程距離を問う「カサブランカ郊外の夢と挫折」。旧市街の歴史的景観が有名なモロッコの都市には、20世紀に行われたいくつもの実験的な都市計画の年輪が残っている。1960年代にCIAMが鳴り物入りで作った郊外住宅地があるが、離村農民の怒濤の流入やモロッコの生活様式との齟齬によって機能不全に陥った。

何をもって都市計画が「成功」「失敗」だったと評価するか、は、議論の余地があるだろう(会場でもそこが突っ込まれどころになった)。僕はしかし、スライドに映された、増築されまくったモダン住宅の様子に、イタリアの円形劇場住宅に通じるような、「空間」を「場所」に変える力みたいなものを感じて好感を持ってしまったんだけど。

いやしかし、密度の高いレクチャーだった。どれもこれも、それぞれの第一人者による、バリバリの「一次資料」ばっかりである。一日中、ずーっと「原液」を飲んでたのだ。これで無料。聴講を逸したラ系のあなた、いいものを見損なったぞ。

休憩を挟んで、田中純氏をコメンテーターに迎えた締めくくりのディスカッション。中谷さんが「ここで結論を出す」と豪語されていたし、最後まで居たかったのだが、ここで僕が時間切れになり、30分ほど居て退出した。田中純さんのお話しを直接聞いたのは初めてだったが、ものすごく魅力的な話し方をされる。聞き惚れてしまう。「継承しようとする意志」とは別に、「理念」は意図ではなく、都市を「生き残らせてしまっている」、そういう「外部化された無意識」がいわば都市の「血と肉」だと言えまいか、なんていう、切り取って持ち帰りたいキーワードがぼろぼろ出てくる。当日の講師はどなたも、テープ起こしをそのまんまタイプすればちゃんとした文章になるくらい明瞭で論理的な話をされたが、田中さんが一番すごかった。後ろ髪引かれた。。。残念。しかし、今回の中身はいずれ何らかの形でまとめられるようなので、楽しみにしよう。中谷さんともいつかゆっくりお会いしたい。

会場で、たたかうピクニシェンヌとお会いし、帰り際に南泰裕さんもお見かけした。田中浩也さんにもお会いできるかなと思って柴崎研の前を通過してみたが、室内の人たちは忙しそうだし、声をかけるのをためらってしまった。帰路、東北沢駅への途上で、ミントブッシュが生け垣状に刈り込まれて咲いているのを見つけて驚いた。ってこれはフォーラムとは関係ないけど。

関連リンク:semi@aoao 青井さんの、人間環境大学 地域・都市計画論ゼミブログ

2005年4月 9日

タモリ倶楽部・後編

後編が(東京では)放送されました。
いやあ、なんか、肩の荷が下りたような気分。

4月13日・追記:
目黒に描いたタモリの地上似顔絵を掲載しました。
■注意! 地域によって放送スケジュールに差があるようです。「ナスカの地上絵を超えろ! 我らがタモリをGPSを使って地球に描こう!」の回をこれからご覧になるかたにはネタバレです。

さらに追記:
撮影当日、写真はほとんど撮らなかったのですが、元永さんが残していた記録を発見。
朝。レンタルしたGPS。
出発する玉袋さんのGPSをセットアップする石川。

関連リンク:jm@foo: タモリ倶楽部(後編)

続きを読む "タモリ倶楽部・後編"

2005年4月 6日

Measure The Land

衛星写真サービスが Google Maps で始まった。:SOLA Blog経由にて。

Google Maps
これは楽しい。衛星写真が地図と行き来できるので、容易に場所を特定して地表を眺めることができる。しかしこの、サクサク動くスピード感はすごいな。地図の「view」をリンクできるのもいいし。

アメリカの航空写真/衛星写真は、東部よりも中西部や西部、都市部よりも田舎のほうが、大陸の自然と人為との拮抗が織りなす、極端にダイナミックな風景が見られて面白い。

アイダホ州の灌漑農場群、マックのフライドポテトの材料が生産されているところ。

ノースダコタ州、平原を覆うグリッド、まるでモザイク処理した風景画みたいだ。

モンタナ州の小麦畑のストライプ、これも過激。

かリフォリニア州、パームスプリングスのゴルフ場住宅地、細胞の顕微鏡写真のよう。

のたうち回るミシシッピー河下流、氾濫が作った微地形が農地のレイアウトを決めている。

ついでに、ミズーリ州セントルイス、フォレストパーク付近、画面中央の建物が、僕らが6年前に結婚式挙げた教会(すいません。つい)。

THE BAD GUY

ついに、ブラックバスに「悪者」のマークがオフィシャルに貼られるようである。

環境省報道発表資料−平成17年4月5日−特定外来生物等の選定に係る意見募集(パブリックコメント)の結果について

僕は釣りをしないので(辛抱がないのでできない)、バス釣りの楽しみはわからない。でも、それはそれとして、釣りとは関係なく、上記のパブリックコメントに寄せられてある、『移入してから80年を経て、オオクチバスがすでに生態系の一部になっている』という指摘や、『在来種の減少はむしろ護岸整備や開発によるものだ』という意見は、しごく真っ当なものだと思う。生物の多様性を、生態系の中の生物種の操作だけでなんとかしようというのはそもそも無理な話である。なんだか、駅前の駐輪問題を解決するために、自転車のスタンドを禁止して駐輪しにくい自転車をつくる、みたいな、なんかが掛け違っているような気がする。

コメントへの環境省の説明も、やや苦しげ。

本法は生態系等に関わる被害防止を第一義に特定外来生物を選定することとしています。オオクチバスは専門家会合の検討において、生態系に被害を及ぼすものとして評価されています。オオクチバス以外の要因が存在するか否かにより、その結論が変わるものではないと考えられます。

たとえ他に(もっと根本的な)原因があるにせよ、それはウチの管轄ではないので、ウチとしてはウチの操作可能範囲に限って悪者を特定します、というのだ。立場上、こうとしか言えないのはわかる。でも、生態系は「ウチの管轄」を超えて様々な「管轄」を横断しているものだ。担当者だって、「悪い種」さえ除去すれば、護岸整備を進めようが丘陵を開発しようが生態系は守られる、なんて本気で思っているわけじゃないだろう。まあ、そういう研究はgo.jpじゃなくてac.jpに期待するしかないのかもしれないけどさ。

このニュースを報じる記事がasahi.comに掲載されているが、
asahi.com: オオクチバス規制に反対の声9万6千通 釣り業界が反発 - 社会

オオクチバスの指定については、釣り業界団体などが反発。意見募集の際に、同省に指定反対の意見を提出するようホームページなどで呼びかけていた。

これじゃあまるで、「釣り業界団体」がその利益のためにいろんな意見を集めて反対させたみたいに読めるよな。反対意見を見る限り、寄せたのは釣り愛好家や業界関係者ばかりだとは思えない。だいたい、そんなこと言うのなら、相当数の自然保護団体が、あけすけで強烈なブラックバス撲滅のキャンペーンを張ってるじゃないか。

ところで、「パブリックコメント」にあった、キレたバッサーの「意見」:

指定に反対。釣りを続けたいので、もし指定された場合は、代わりにタイリクスズキを放流して釣りを続けます。

・・・そうやって喧嘩売るから敵視されるんだってばよ。

2005年4月 4日

場所と空間(と丹下健三)

植田和弘、神野直彦、西村幸夫、間宮陽介編「岩波講座 都市の再生を考える・1:都市とは何か」岩波書店、2005

それぞれの論文も面白そうだが、まずは「場所と時間 先行形態論」を読む。
以前、メディアデザイン研究所の飯尾さんが中谷さんの文章を評して「発見的」と言っていたが、ほんとにそうだ。中谷さんの先行形態もそうだし、南さんの「極域」とか、五十嵐さんの宗教建築とか、書き手の「あ、そーだったのか!」が伝わってくると、こっちも興奮して面白く読めてしまうのだ。

中谷さんは、「空間」と「場所」を、対立概念としてだけではなく(これを『対立』させるような物言いは、ラ系の得意なところだ)、計画の論理と土地の実際、という関係として見てみよう、という。これ、さらりと書かれているけど、けっこう膝を打つような視点の据え方である。使えるぞ。

広島のケーススタディは、驚きだ。原爆によって白紙化したように見える広島の街が、むしろ被爆したことでその「表土」がはぎ取られて、もっとずっと古く長かった近世の町割りが補強されちゃった、ということ。都市の「変容」のダイナミズムが、ぱっと見は都市を刷新したように見える行政による都市計画よりも、戦後のヤミ市の、いわばエコロジカルな「発生」が促したのだということ。

最後に引かれている丹下健三さんの平和記念公園の計画の考察が、ちょっとびっくりである。丹下さんには、広島の街の「大事な部分」が見えていたんだろう、という。引用されている箇所から孫引き:

「都市は焼け野原になってしまいましても、決して白紙ではないということであります。都市はいつでも元に帰ろうとする生きた力をもっております。白紙の上に理想的な将来の都市を描いても、そこからは決して新しい明日の都市は生まれてこないということであります。いつでももとの古い都市、私たちが精算し、克服してゆこうと思っているような昔のままの都市が、そのまま再び生き返ろうとしております」
「都市は構造を持っている。計画は、その構造の因果関連の分析である。それは、その構造に何らかの衝撃を与えるとき、そこから生まれる効果の因果的な関連を測定することである。そうして、その有効な衝撃の具体的な方式を発見することである」

鳥肌。これってつまり「先行デザイン宣言」じゃないか。
やっぱりすげー人だったんだ(今更なにを)。
実はちょっと避けていたんだけど。こういうのも読まないといけないんだろうな。
Amazon.co.jp: 本: 丹下健三
しかし高えー!¥29,925(税込)。さすがに買えねーよこれは。文庫にしてくれよ。

国土地理院の航空写真閲覧ページで、米軍撮影による1947年4月の広島市街を見ることができる。
空中写真(標準画像),USA10kCG,広島,M251,25
相生橋を中心にして、ほんとうに吹き飛ばされたみたいに建物がない。
最初、光の加減でハレーションが起きてるのかと思った。
凄まじい写真である。

Map your own map

週末。
土曜の午前中、地元の造園屋さんの職人さんに来て頂いて、恒例・春の庭のリセット。
僕はホームセンターへ行き、防腐剤を注入した2X4材を買ってきて、大型の草類(パンパスグラスやヤバネススキ)の「フレーム」制作をした。日曜日は朝からペンキ塗り。新しく作った土曜大工品に加えて、7年目に突入する木製デッキを塗り直した。4、5年使えればいいや、くらいの気持ちで作ったレッドシーダーのデッキだが、よく保っている。ペンキを塗り直したら、作りたてのように奇麗になった。庭で遊んでいた長男が、思わず靴を脱いで上ろうとしたくらい。ふと、穂咲きのプリムラを買ってきて植えてみた。


  • 阿部仁史・小野田泰明・本江正茂・堀口徹編著「プロジェクト・ブック」彰国社建築文化シナジー、2005

    ビジュアル版「知的生産の方法」とでも言いましょうか。「デザインの方法」「設計の進めかた」でなく、何かを作る(実現する)ための「プロジェクト」を、「実のあるもの」にするコツが詰まった本。著者の皆さんの実務経験に基づいているのだろうtipsは、モノが貼れる壁を確保しろとか、白板は印刷機能付きでとか、自分がどの縮尺に「いる」のかを自覚しろとか、プレゼンでは反論するなとか、やたらと具体的だ。いちおう、時系列的フェーズに沿った構成だが、前書きにあるように、通読せずにパラパラ読んでも面白い。ただまあ、やっぱり建築意匠系に向いている。「ライフスタイル」というキーワードの背景に手塚さんご夫妻の赤青シャツ姿が写ってたりして、大笑えるが、事情を知らないと面白くないだろう。だから、お勧めする方面には限りがあるんだけど、僕くらいの年齢(の同業者)なら、そうか、こういう方法でやってみよう!と思うよりも、「そーか、ウチの若い連中にこうやって教えればいいんだ」という発見もあって楽しいし、コラムの執筆者群も冴えた人選だし、なんかこう、やみくもに人材を招集して何かを始めたくなるような、コンペのキックオフセッションのわくわくした感じを思い起こさせる、全編前向きのポジティブな実践ガイドブックなのだった。ラ系学生はグループに一冊でもいいから買うように。

    印象に残った箇所(というか、看過できなかったページ):
    Keyword 06「地図を語れ」

    地図にはあらかじめすべてが描かれている。・・・そして、地図を語るとは地図を描き直すこと、すなわち世界を記述し直す図法を確立することにほかならない。

    僕は、ある敷地について、様々な種類の地図や縮尺を眺め比べてみることと同時に、見慣れたスケールの見慣れた地図、どこの敷地のスタディでも、まず引っぱり出してくる「いつもの地図」を持つことをお勧めする。地図は地図ごとに、表現のやりかたに個性があって、その土地の様子と地図の記載との対応の「クセ」が飲み込めてくると、敷地の実際への接近が早くなる。見慣れた地図を持っていると、見慣れない地図との「違い」が際立って、発見があったりする。地図によって言い分が異なる箇所というのがまた、実際の土地の極めてユニークな箇所だったりするのだ。

    ところで、このキーワードの背景に、本江史門氏(8歳)作図による「わたしのすむまち」地図が掲載されている。これが良く描けてる。地区内幹線道路に囲まれたブロック毎に学校と街区公園が配置された、オールジャパニーズサバービアな宅地である。洪水調整池らしい水面があるし、道路の曲がり具合から見て、近郊の丘陵地の開発だろう。土地区画整理事業かもしれない。角地の赤いロットは商店かなあ。いや、じゃなくて、この8歳とは思えない、街区の構造がわかっちゃうような地図を描く巧みさはいったい。地図Nightにゲスト招待したいぞ。

  • 2005年4月 2日

    タモリ倶楽部(前編)

    「前編」が放送されました。妻と一緒に(録画しつつ)見てしまった。うう、ちょっと冷や汗。

    放送直後から「石川初+GPS」という検索キーワードが文字通り「殺到」している。恐るべしタモリ倶楽部。

    しかし、こうしてあらためてテレビで見ると、じつに、マニアックな割には役に立たない内容だ。。「タモリ倶楽部」らしい、ということでご勘弁下さい>諸姉諸兄。

  • 番組はわりとあっさり進行しているが、じつは準備に2ヶ月くらい時間がかかっている(僕もずいぶん協力した)。製作会社ってすごいなと思ってしまった。ああいう、番組の「縁の下」に居合わせちゃうと、もはや、どんな軽いノリのバラエティ番組を眺めても、それを作っているスタッフのことを思いやってしまうのだ。

  • 番組では、ぶっつけ本番でコースを回っているように映っているが、あれはほとんど本当である。スタッフが事前に準備はしたものの、出演者の浅草キッドのお二人はその場で地図を渡されて、実際にルートを探しながら走った。GPSの軌跡もホンモノである(当日、失敗したらどうするんですか、って僕が一番心配していたくらいだ)。

  • ソラミミスト安齋さんは、普段からあのまま、ああいう雰囲気の方であった。

  • 浅草キッドは、評判通りというべきか、普通にしゃべっていても、頭が切れる人たちだという感じが伝わってくるお二人であった。カメラが回り始めると、ギアが入るみたいにテンションが切り替わって「芸人」になる。やっぱりプロって凄い。普通の才能やスキルじゃないぞ。あれは。

  • タモリさんは逆に、カメラが回っていようといまいと、様子がまったく変わらない。そこがむしろすげーなと思ったりして。

  • 僕や元永さんは、舞い上がってるわりに、カメラが回ると無口になるという。画面でもなんか地味だ。素人なんだからしょうがねーじゃんかよ。

  • 僕も元永さんも、今尾さんの本とタモリさんの本を持っていってサインもらってしまった。

  • 今尾さんとタモリさんが競うように地図・地理・地名の知識を披露していたが、あの2人はほんとに凄い。地図の話になると周囲が置いてきぼりを食らうくらい。

  • 言うまでもないが、編集でカットされたシーンのほうがずっと多い。番組は非常にテンポ良く進んでるが、ロケは朝10時から晩の7時まで費やしている(つまり、僕らは朝から晩まで、浅草キッドやタモリさんとロケバスの中で並んで座って団子食ったり地図の話に興じたりしていたのだ)。あれ、カメラ回ってないときに聞いた裏話とか、回ってても「使えない」シーン(時々、放送できないようなジョークや物まねが飛び出したりしていた)とかも面白かったんだよなあ。

  • 番組で使ってるGPSMAP60CS-Jは、iiyo-netさんが貸して下さったものだ。iiyo-netさんありがとう。でも、借りたやつに触ってみて、我慢できなくなって結局買っちゃったから、釣られたとも言える。

  • 製作スタッフに、自転車の位置をリアルタイムで表示することはできないか、と言われ、元永さんに相談したら「できそうだ」ということになり、サポートに来て頂いた。元永さんは何気なくシャカシャカ操作していたけど、ここギコ!: すごいニュース!GPS携帯電話の位置を追跡によると、そーか、やっぱりすごいことだったんだ。あれ。

  • 2005年4月 1日

    地図コーナーの危険

    朝、都心を横断して江東方面に打ち合わせに行き、職場へと戻る途中でプロジェクトの資料を漁るため八重洲ブックセンターに立ち寄った。

    この書店の地図売り場は相変わらず、スタッフにマニアが居るとしか思えないようなラインアップで、気を緩めると仕事を忘れて時間を費やしてしまう。いかんいかんいかん。

    でも、ついでに階を上って「岩波講座・都市の再生を考える・1『都市とは何か』」を買う。所収の中谷さんの「先行形態論」をカバーするため。噛み応えのありそーな本だなあ。このシリーズ、進士先生も書いておられたりするし、手元にあったほうがいいんだろうなあ。ま、ちょっとずつ買おう。

    帰ろうとして、建築のコーナーに、阿部さん、本江さんらの「プロジェクト・ブック」が平積みされているのを見かけ、パラパラとめくってみたら、いきなり長男の後ろ姿を発見。キーワード21番「時間をデザインせよ!」の背景に東京ピクニッククラブの第1回アニュアルの写真が使われていて、たまたま僕ら親子が写っていたのだった。速攻でレジに戻って買う。

    どちらも面白そうな単行本2冊、しかしなにしろカバンが重い。。。