bird's unbeaten track log
宮本先生による、「日本奥地紀行」をテキストにした講義録。「日本奥地紀行」自体も面白いのだが、宮本先生の博覧強記的解説と、語り口がまた、なんともいい。でも、この講義がなされたのは1970年代、すでに30年くらい昔のことである。なんとなく時代を感じさせる記述も所々にあったりし、「120年前の紀行文を解説する30年前の民俗学者の講義」がなんか民俗学的資料にも見えるという。ちょっと目眩が。
「日本奥地紀行」を初めて手に取ったのは、10年前くらいに友人達と東北へ旅行したときのことだった。5月の連休、残雪の朝日連峰の麓でキャンプし、東京への帰路、赤湯温泉に立ち寄った。赤湯の駅(エディ鈴木さんの、んまたろくでもない斬新な駅舎だったが)の案内所で、街の公衆浴場は観光客には熱すぎる、と言われ、初心者向きの温泉施設として、市が運営するクアハウスをお薦めされ、町はずれの丘を登ったところにあるその健康ランドのごとき場所へ行った。ジェットバスとか薬草湯とか打たせ湯とか巨大な露天風呂とか、まあよくある温泉施設で、それでもそれなりにお風呂を楽しんだ。1階には、「ワインレストラン」というのがあったのだが、入り口には「ショウガ焼き始めました」という手書きのサインが貼ってあり、中には座卓と座布団がずらっと並んでいて(内装の様子からして、もとの設計は椅子とテーブルだったと思われた)、おばあちゃんたちがお蕎麦を食べたりお茶を飲んだりしているという、カタカナ名称施設が目指したものと地元住民のディマンドとの埋められなかった乖離がかえって頼もしく好ましいような気がしてしまった「ハイジアパーク南陽」なのだった。
で、その施設の一角に、地元の名産品や文化を紹介する展示コーナーがあり、そこに「日本奥地紀行」が置かれていたのだ。バード女史が米沢盆地北部の風景と豊かな農村の様子を「アジアのアルカディアだ」と絶賛していて、南陽市としてはそれが誇りであるようだった。紀行文の赤湯の前後を何気なく拾い読みしてみたら、バード一行が、赤湯に至る前に、新潟方面から黒沢峠を越えてきた、ということがわかった。「小国」「市野々」「手ノ子」と、聞き慣れた地名がぞろぞろ出てくる(なぜこういう山形県南部の山間部農村の地名を『聞き慣れ』てるのかという説明を始めると長くなるのでまたいずれ)。すぐに土産物売り場へ走っていって、「おしどりミルクケーキ」とかと一緒に買って帰った。
数年前、妻と2人で東北ドライブ旅行をした折に、小国方面に寄ってみた。「市野々」はダム建設のため、集落ごとごっそり消えていた。
周防大島町が運営する宮本常一データベースというのがあり、蔵書リストや年譜や、14,283件(!)の写真データを閲覧できる。昭和30年代の農村風景がちょっとすごい。
ハイジアパーク南陽のホームページもありました。イザべラバード記念コーナーも紹介されている。
追記:
あらためて、ハイジアパーク南陽のサイトを見てみたら、レストランが「ワインレストラン」と「和食レストラン」に分かれていた。いや、いくらなんでもそうか。僕の記憶違いというか思いこみだったようでした。
コメント
アジアのアルカディアは日本一豊かな美味い地酒の産地でもありますよ・・旅する巨人達ですね 脳味噌以前に足弱ってる〜俺
横浜から付いていた通訳の人って誰でしたっけ
赤湯の協同浴場は 日本で一番料金が安い
訛りの集大成劇を書いた
現在のペンクラブ会長さんもあそこの出です 日本一(笑い)
Posted by さとう at 2005年3月18日 17:55
横浜からついてった通訳は「イトウ」です。
伊藤鶴吉という、横浜出身の、当時20歳前後の青年で、この旅がきっかけで、その後、通訳ガイドの第一人者になったそうで。
このへん、京都大学の金坂清則教授がよく研究していらっしゃいます。
Posted by 石川初 at 2005年3月19日 23:24
反応していただきありがとうござました
これからは自分で出来ることはします ご迷惑おかけしました
Posted by さとう at 2005年3月20日 00:47
ご迷惑だなんて師匠。
実はこれ書いてから、NHKの何かの番組でイザベラバード米沢盆地特集をした、のを録画してたのを思い出し、見直してみたら「伊藤」さんが出てきたのです(最近見たのに忘れてた)。
Posted by 石川初 at 2005年3月22日 10:09
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