2005年2月 7日

京王電気軌道。の気配。

SkyAtlasの空中写真を眺めていて、奇妙なものを見つけた。

京王線、柴崎駅付近。甲州街道の北100mほどのところに、街道よりも少し浅い角度で、何かが「直線」をなしているのが見えた。

目立つ部分の拡大。

画面なかほどを、斜めに横切っているライン。
道路ではない。というか、部分的に細い道路だったり、建物の向きやカタチだったり、駐車場の境目だったりするが、そうやって色々に姿形を変えつつも、何か補助線があるかのようにまっすぐな「跡」が見える。
「環境ノイズ」だ。


地図には描かれていない。これはいったい何だろう。

京王線の支線でもあったのかと思って、ネットを検索してみたが、「京王線 歴史」などというキーワードでは、ヒットする情報が膨大すぎて(懐かしい車輛の写真、というのは一大ジャンルを形成しているらしく)頭痛を誘う。

実家の書棚にあった、調布市発行の「図説:調布の歴史」という本を開いてみたら、いきなり解決。

甲州街道と京王線の変遷を記したページに掲載されていた、大正11年の五万分の一地形図。
当時、京王線は「金子(つつじが丘)」のあたりで甲州街道と合流して路上を走り、柴崎から国領までは街道の「北」を通っていたのだ。仙川の崖との地形的な関係だろうか。これは知りませんでした。

廃線跡が街のパターンに刻印を残していることはよくある。
もちろん、鉄道や道路そのものは「強い」形態をなしているが、それが去った後でも、一旦それが「土地所有区分」に翻訳されてしまうと、慣性が強くなって、けっこうしぶとく残る。
そういう意味で、明治の地租改正や、戦後の農地解放は、地面のパターンのいわば「凍結」として作用したんだなあ、と思う。

というわけで週末恒例の現地調査。

柴崎1丁目。第7中学校の、野川を挟んだ向かいあたり。
写真ではわかりにくいが、住宅地の中に、ある箇所だけ、建物の向きが他と関係なく斜めになっている列があった。


片方が畑だったりするとわかりやすい。


庭や玄関に、斜めに振れた不思議な空間ができていて、工夫が見られる箇所も。


調布自動車学校へ続く駐車場。建物がすぱっと切ったみたいに並んでいる。


これは今回の趣旨とは関係ないんだけど、柴崎駅前で見かけた商店街フラワー。
「繭玉型」で、冬期に出現する正月バージョンであり、しだれ飾りの原種に遺伝的にもっとも近い。
繁盛のお札がつけてあるところも、正統的なデザイン。


フィールドワーク中のメンバー。
左から、調査員2号、隊長、調査員1号。


途中の児童公園で、遊具の安全性をテストする副隊長と調査員1号。


GPSによる「時間差ログ」。

勝手に関連リンク:

  • 「先行デザイン宣言」@大阪市立大・中谷ゼミ
  • FLAT*PLANET:師走を走る・幻の線路を訪ねて
  • Suburban Landscape Search Engine - Chofu edition (時間遡行風景投稿システム)

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    コメント

    すごいなー。目が良すぎです。
    この線路あとに関する情報をオンラインで見たことがあるのですが、ちょっと探しても出てきません。前は「柴崎 線路跡」とかやれば出てきたと思うんですが。

    関係ないですけど、小学校の一年のとき、自動車学校につながる件の妙な空き地で、戸板を拾ってきて組み合わせ、近くの現場からくすねたモルタルを適当に捏ねてペタペタして、生まれて初めてセルフビルドの小屋を建てました。勝手に。超個人的ゲニロキ。
    本当に時間遡行して風景を投稿したくなってきます。

    やっぱり知ってる人はちゃんと知ってるんですねえ。
    ていうか実は有名?

    その小屋見たかったです。いまの子供たち、そんなワイルドな遊びができる場所は残ってるんだろうか。

    ぼくはこういうのは空間生態学(青本)と呼んでいいと思うんですよね。
    先行デザインという言い方もあるかもしれないけれど。

    なるほど、たしかにそうだ。
    ジオソシオロジカルエコロジーだ!(長い)

    >そんなワイルドな遊びができる場所は残ってるんだろうか。

    時代背景が色濃いなあと思います。
    空き地と言っても単なる野っ原じゃだめで、小さな子どもが重い材料を調達するためには、古いもの、新しいもの、これから出来るもの、空き地、が程よく隣り合って混在していないといけない。結構な量の手作業を含む建設現場を目にする機会も多く、6才の子どもでもセメントに水を混ぜること、それが「乾く」と固まることも当たり前に知っている。自分でもできると思っている。
    そしてサラリーマンが多くなった大人の目は程よく届かず、子どもの脱法行為を丸一日見過ごす。なにしろ戸板だって、本人達は捨ててあるのを拾った、と主張しますが、大人の目で見たら明らかに誰かの所有物だった可能性もあります。セメント袋は明らかに窃盗、その他道具は無断使用。

    元永さん6歳当時の調布、というとこれですな。
    http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/Air/WC_AirPhoto3.cgi?DT=n&PFN=CKT-84-3&PCN=C13A&IDX=7&PNO=2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15

    400dpi表示で見える、その空き地のところに映っている白っぽいものは、もしや。

    ああ、ちょっとだけずれてます。いや、わずかな違いなんですが。
    http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WC_AirPhoto.cgi?IT=p&DT=n&PFN=CKT-74-15&PCN=C31A&IDX=13

    しかしこの写真も解像度高いですよねー

    これも見始めるとやばい。

    はじめまして。「京王線 金子」等のキーワードで検索していて偶然ここを見つけました。
    私も以前、航空写真上で京王電気軌道の跡をトレースしたことがあります。柴崎あたりの痕跡は印象的ですよね。
    ちなみに、調布駅の東側の2つめの踏み切りのところに、旧軌道がカーブして柴崎方面に向かっていたことを示す空間が残ってます。
    あと、旧軌道を示す碑もあったり。
    http://www.toy-train.com/clip/clip04/05_02_06.html
    旧品川街道と現在の品川街道の違いを調べるのも面白いです。
    たとえば、調布駅南口のバーミアンの裏を通ってる細い道が、オリジナルの品川街道なんじゃないかと考えてるんですが。品川街道は一直線じゃなくてここでクランク状になってたのかなとか。

    大島さんはじめまして。
    toy-train.com、情報満載ですね。ゆっくり拝見します。

    「地面に痕跡を留める歴史」にハマり始めると、深いですね。ほんとに。
    調布市教育委員会発行の「調布の古道」地図にはたしかに、品川道はあそこでクランクして描かれてます。
    旧道って、さすがに長い間人が歩いていただけのことはあって、歩きや自転車だと、カーブのしかたや地形への馴染みかたが良くて、気持ちいいですよね。

    はじめまして。こんな古いエントリーに今頃コメントもどうかと思いますが、以前から京王の金子あたりの古軌道跡が地図には残っとらんなあ、と気になっておりましたものですから、長年の懸案が一気に解決した御礼を一言申し上げたく勝手ながら参上致しました。いやーありがとうございます。
    ところでついでにすみません。上記品川道のクランクの件、クランクの西側集結点にあるセブンイレブン裏に旧道の残滓が残っていますが、じつは現地に行きますとそこから道路を挟んだその東側延長上に地番の境界を表すと見られる塀が伸びています。これがさらに古い道の痕跡だとすると、ここは直線をなしていた時代があったのではないか──というのが私の意見です。余計なことで失礼しました! また続けて拝読致します! 
    ちなみに私、富士見台小学校の北西数十メートル地点に住んでおります(笑)。

    おおお。
    それは貴重な情報ありがとうございます。
    クランク付近の歯科医にかかっているので、こんど行ってみよう。

    これはやはり、
    http://ld.minken.net/chofu/
    調布時間差散歩を実行せねば。

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