2005年2月13日

More Trees

金曜日。

日中、役所に提出する緑化計画の事前協議に行き、いつもながら、要求される「緑地」の内容にげんなりする。
まあ、楯突いて粘って何か決定的にプロジェクト全体が激良化する部分でもないし、そもそも最初に僕の迂闊な見落としがあったりもしたので、あまり強く出れない。でも、役所の担当者が事情をくみ取って、例外的に譲歩してくれることになった。やれやれ。

現在のほとんどの自治体の「緑地」のコードでは、建築の規模に比例した植物の数的・面的「量」の確保が目指されている。敷地や建物の規模、用途に応じて、設置すべき「緑地」面積が算出され、その面積に応じてそこに植栽する植物の数量が算出される。数量は自治体によっても微妙に違うが、おおむね、そのまま均等に植えると「大中小が混じった、みっちり植栽」になるように工夫されていることがほとんどである。

つまり、「緑化的世界」では、「建築」はまったく信用されていない、ということである。強制しないで放っておくと緑化なんかするはずがない、と思われているわけだ。公共の緑化コードには、緑化の要求内容から植物の変化や、その緑地に対する人の関与による変化など、植物群落の時間性への観点がまったく欠落している、という特徴があるが、これは、緑地の設置後の人的関与を「維持管理」に最小化することで、せめて建設時のボリュームは存続させようというフールプルーフ的な目論見なんである。

これは、端的にいえば「緑地はいいものだ」という価値観と、「建築は景観的・環境的に悪いものだ」という価値観に支えられている。敷地に接する道路の長さに対して、ある割合以上の緑化を義務づける「接道緑化」が示すように、緑地は建築がなす「景観的ダメージ」を改善するものとして位置づけられているし、屋上緑化や壁面緑化の誘導が示すように、建築は緑化による環境的補償の対象として捉えられている。じつにむかつく、というか情けないが、一方では「無理もないな」という気もしたりして。

山内彩子さんが緑地の「思想」の変遷を紹介した論考(『緑化的緑地の思想:都市における「緑地」の意味を問う』ランドスケープ批評宣言、2002)があって、それによると、かつて、「緑地」がドイツ語の訳語として東京の都市計画に導入された1920年代当時、それは必ずしも「緑=植物がみっちり植わった区画」を表していたわけではなく、今日の「オープンスペース」とか「ヴォイド」とかいう概念に近い、「担保された空白」だったようである。その後、都市化の急激な進行に伴って、空白性のある土地が「開発の可能性が潜在するもの」と見られるようになるにつれて、緑地は「緑化という建設」が行われるものになった、という。これって、ある敷地に建設行為がなされることで、「建築物」と「緑地という過剰に植物が詰め込まれた区画」 とが出現するという事態と、構造的に同じことである。

山内さんは、緑地をもっと多元的に解釈し、評価の軸を増やしたりして「解きほぐす」必要があるんじゃないか、と述べている。山内さんによる、同じ本の別項「季節感のエンジニアリング:混植寄せ植えのパラドクス」とあわせて読むと、日本のオフィシャルな「緑化」の「内容」を成り立たせている事情や背景がよくわかって、事前協議の熱頭を冷やすにはお薦め。(誰に勧めてるんだよ)


退社後、品川の高層ホテルのレセプションルームへ行く。
今年から非常勤講師としてお世話になるところの、関東学院大学の建築学科の教員のパーティーにお呼ばれしたのだった。
思ったよりも人数が多いことに驚く。今年で退官される先生方のご紹介・ご挨拶、および今年新規に着任する講師の皆さんのご紹介があった。建築学科は受験者数が減少しなかったそうで、昨今の大学事情からすると希有なケースである。

なんと、赤松佳珠子さんとお会いした。18年ぶり。僕の中で、当時の職場でバイトしていた女子大生の赤松さんと、C+Aのパートナーである赤松さんとの「像」のピントを合わせるのに苦労する(←東工大の久野先生からの突っ込み無用)。

会場ではそれなりに堅苦しくしていたつもりだったのだが、中津さんに「この人は態度はでかいけど新人です」と紹介されてしまった。ううむ。

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