2005年2月27日

お尻が筋肉痛。

土曜日。
冷風に晒されつつ「都内でもっとも標高の高い地点のピクニック」を決行している東京ピクニッククラブの主要メンバーに思いをはせつつ。

娘の初節句を、祖母・両親の家で祝う。
たまたま、父がヨーロッパ旅行でお世話になった、当時JTBパリ支店に勤めていた方のお嬢さん、ビビアンさんが遊びに来られたので、祝い膳を共にした。
ビビアンさんは、お母さんが日本人でお父さんがフランス人。パリ大で経済学を勉強し、イギリスへ留学して国際法を勉強し、その後日本の大学との交換留学で日本語と日本の企業での実務研修のために来日しているインテリなのだが、たどたどしい日本語を一生懸命話す若い外国人というのは、なんかみんなコドモに見える(二十歳そこそこだから、まあコドモなわけだが)。
ウチの2歳半の長男は、むろん相手の日本語運用水準をまったく気遣うことなく、もっとたどたどしい、半分以上意味不明の日本語でしきりに話しかけ、ビビアンさんも熱意を持ってそれに応えていた。そのまま2人で会話させておいたら、そのうちピジン・ジャポネフランセーズが発生するんじゃないかと思った。

日曜日。
収録に協力することになっている、某テレビ番組の現地確認とリハーサルのため、午後じゅうずっと自転車で走り回る。元永さんにお願いして来て頂き、このために作ってもらったシステムのテストも行った。元永さんありがとう。

製作のスタッフがみんなやけに楽観的で、僕だけ一人やきもきしていたが、最後にはなんとか形にはなった。いろいろと不安が残るが、まああとはやるしかない、という感じだ。詳細は後日。

2005年2月25日

商店街の紅白幕

entee memo (beta version)

似たような話を聞いたことがあった、と思ったら、サカイさんからだった。
都内の住宅地にある商店街に建設された葬祭場が、地元商工会の激烈な反対運動に遭い、撤退した、という話だ。その商店街の場合は、斎場が建設されて開業してから、反対運動で「追い出された」。近隣との合意ができていなかったのか、あるいは何か行き違いがあったのかもしれないが、商店街は強力な団結と実行力を示し、すでに営業している斎場の周囲に紅白の横断幕(手法が共通しているが、もしかして常套手段なんだろうか)を巡らせたりしたそうで、ちょっと凄まじい営業妨害である。その時期にその斎場で告別した人は実に気の毒だ。斎場なんていう、心理的にデリケートな顧客を相手にする商売としては、かなり差し支えただろう。1年くらいして葬祭場は撤退し、その後は学習塾とカプセルホテルになったそうだ。「葬祭」は排除し、「教育」「宿泊」は許容したわけで、斎場を排除しようとする心理は、新参者への態度ではなくて、葬祭施設への忌避なんだろう。

昨今、冠婚葬祭の「冠婚」は先細りだが、「葬祭」は右肩上がりなんだそうである。つまり、これから結婚したりする人口は減りつつあるが、これから亡くなりそうな人口は増えている、ということだ。
斎場というのは、駐車場さえ確保して、どこかにバンケットを設置できれば、建物自体は「形式フリー」だから、あんまり敷地形状を選ばない、コンバージョン向きの施設である。隈研吾さんのM2(自動車販売店だったやつ)も葬祭場に変わったし。
マーケットが増大してるんだから、斎場は今後、増えこそすれ、減ることはないだろうし、経営側にしてみれば、公共交通へのアクセスは重要で、街中に、できれば駅前に作りたいくらいだろう。
だから、これからこうしたF町のような軋轢はますます増えるんじゃないだろうか。
品川区は住民の反対でどこにも火葬場を作ることができず、結局、埋め立て地の海際に建設した。まあ火葬場と葬祭場は、法的にも、内容も、いささか異なるけれども、地元に建設されることを拒む「根拠」は似たようなものなような気がする。

考えてみたら、葬儀に特化しているという点で、斎場ってきわめて近代的というか、現代の都市に特有な施設である。人の死が、共同体にとっての意味を持つようなものであれば、実務を(お金で雇った)プロに外注する必要はないし、死をオフィシャルなものにする(引導を渡す)のは、共同体を束ねる宗教の役割だっただろう。実際、そういう「前近代的」なコミュニティが生きていれば、葬祭場に用はない。僕の祖父が亡くなったとき、葬儀は祖父母や両親が通うキリスト教会で執り行われた。死亡診断書は医師によって書かれ、火葬は公営の火葬場で行われ、死亡届は市に提出され、と、祖父の死を法的にオフィシャライズしたのは行政だったが、スピリチュアルな部分は教会という「コミュニティ」が受け持ったのだ。

でも、一方で、かつてよりも簡素化したとはいえ、それなりのセレモニアルな施設の需要があるということは、人の死には「まだ」ある程度の人数が集まる「葬儀」が必要とされている、ということでもあるわけだ。死がもっと個人的なものになってしまえば、それはそれで葬祭「場」は必要なくなってしまう。そう思うと、いまの斎場はちょっと中途半端な、一種の「過渡期」の施設にも見えてくる。

死に関係する施設やイベントを忌避する心持ちはなぜか、という議論は難しそうだが、もしかすると、葬祭場が結婚式場と一体になったもの(キリスト教会がそうであるように)として発達していたら、いまのそれほどには排除の対象にならなかったのかもしれない、なんて思ったり。

ポンテどマグノリア

雪降ったって春は春だ。

この時期になると僕は、朝の通勤時、山手線の原宿から千代田線の明治神宮前へ乗り換えるとき、原宿駅の表参道口から出て、すぐ目の前にある千代田線2番出入り口への階段を降りずに、神宮前の歩道橋をクエスト方向に渡って、交差点の反対側の出入り口を使う。ほんの数十秒の「遠回り」だが、クエスト側の歩道敷に小さい緑地があって、そこに植わっているコブシが歩道橋の階段に多い被さるように枝を広げていて、なんか「コブシの花の香り階段」になっているのだ。

早春のささやけき楽しみ。


先週から「建築あそび」のフォローを書いているんだけど、いざあらためて書き始めると、考え込んでしまってなかなか進まない。思い浮かぶ「良さそうなサブジェクト」と、それをまともな文章にすること、との、このギャップが埋められない。「文章力」がオークションに出てたら買うんだが。

2005年2月24日

冴えたやつら

取り急ぎクリップ。
entee memo (beta version):「NHK受信料支払い拒否」に伴う別側面

電網山賊:メモ(ライブドア関連)

僕は頭の回転が遅いというか、だいたい咄嗟に当てはめる物差しが貧困だというか、「あと出しジャンケン型」というか、何か腑に落ちないものごとを見聞すると、半年くらいずっと「懸案事項」としてああでもないこうでもないと折に触れて反芻したあげく、何気なく友人と交わした会話とか、まったく関係なく読んだ本とか、そういうふとしたきっかけで、そうか、あのときにうまく言葉にできなかったのはこれだったんだなあ、などと思い当たったりする(こともあるし、そのままお蔵入りすることも数えきれないくらいある)ので、タイムリーに自分をして納得せしむるような文章を書く人を見ると、驚嘆しちゃうのだ。

今後は、属性情報が付加された記事が流布することで、カテゴリやキーワードのレベルで記事が参照閲覧されるようになる(サイト単位が無効になる)、という説があるけれど、本当かなあ。僕は少なくとも、興味深い文章を読むと、その「作者」の像をもっと知ろうとするけれど。こいつの言うことを真に受けていいのか、とか、こういう面白いことを言う人は、もっと面白いことを言うはずだ、という風に。

裏庭に春景の気配。

書き忘れていたけど春だ。

お春うございます>各方面

我庭は、地上30センチから上はまだ冬色に霞んでいるものの、地表では枯れ草の下で密かに(庭主の目に触れぬように)キク科の帰化植物がロゼットを広げ、プリムラが緑になり、地上10センチ層ではチューリップが赤紫の芽を伸ばしつつあり、シモツケの枯れ枝の下でフクジュソウが咲き、スノードロップが終わりかけている。

株立ちに仕立てようと、去年根元まで切り戻したヤマボウシからはいくつも若枝が出ていて、今年は楽しみだ。このヤマボウシは、妻が仕事先で船越亮二先生に頂いた、実生の苗から大きくなったものなのだ。

さて、早くしないと、「早春の刈り取り」の時期を逸してしまうぞ。

2005年2月23日

通勤本メモ。

  • コリン・タッジ著、竹内久美子訳「農業は人類の原罪である」(新潮社、2002)
    そうはいっても気になったもので、アマゾンで注文して購入。すぐに読めた。
    目から鱗というほどではないにせよ、こういうふうに簡潔にまとまった入門書で読むと、たしかに面白い。
    でも訳者の解説が最低だ。それから、この邦題はなんだ。

    「自由という服従」「心脳問題」「農業は人類の原罪である」に通じる(と勝手に読む)もの。
    結局、人間が、という以前に「生命」が、という以前に、そもそも物質が「物体」化したときから、そういう傾向がビルトインされていたんじゃないだろうか。

    新しく仕入れたもの:

  • 佐藤俊樹「桜が創った『日本』 ソメイヨシノ 起源への旅」岩波新書、2005
  • 内田青蔵「『間取り』で楽しむ住宅読本」光文社新書、2005
  • 金子光「初期の看護行政」日本看護境界出版会、1992

  • hang on and hang in there

    本江さんのblog
    Motoe Lab, MYU: 宿命を超えて、自己を超えて
    に取り上げられていた記事。

    ・・・現代版の藤村操だなあ。

    どんな出来事だって、時代的社会的文脈があるわけで、どういう深読みのしかたもあり得るし、いかなる教訓でも引き出すことはでき、それに関するどういう論考でも「間違い」や「正解」はないだろう。共感するにせよ嫌悪するにせよ。だから、それについてどうこう言う筋合いはぜんぜんないんだけど。ううむ。

    まあ、あれだ。「世間の価値観的にまっとうな生活」に過ぎない、「必ずしも幸せとは言えない」ばかなサラリーマンとして、あくせく働かなくても食っていられるという事態が不思議ではない時代を享受している連中をも支えるために、今日もあくせくと文句も言わずに働いてやるぜ。

    ついでに、この時期、就職活動なんかで走り回っている学生さんたちにエー?を送るぜ。頑張れよ。

    2005年2月21日

    massmedia.co.jp

    佐藤師匠がNHKの受信料支払いを拒否しておられる。
    佐藤敏宏の日記

    畏友中溝が新聞の購読を終了するみたいである。
    entee memo (beta version)

    我が家は、政治的主張や宗教的信条が、目に見えるような大きさで生活行動を直接左右したりしない、という点において、きわめてヒツジ小市民的であって、NHK受信料も、それほど深く検討したりしないで銀行引き落としで支払っている。別に擁護するつもりはないが、NHKがなくなると僕は困る。朝、ほとんど時計代わりにニュースをつけっぱなしにするのだが、NHKに慣れちゃうと、血圧も上がっていない起き抜けから、民放のテンションについて行けないのである。でも最近は、しつこく繰り返し流されるNHK自身によるNHK番組のコマーシャルとか、深夜の質の悪いドラマとか、なんだか見たい番組よりもうざったい番組が増えてきて、これはこれで困ったことだ。これ以上、韓国ドラマが増えたら、我が家の「メインチャンネル」はディスカバリーかアニマルプラネットに移るであろう(長男もそれについては文句あるまい)。

    ちなみに、ウチは新聞は取っていない。思慮の上のことではなくて、単に新聞販売店の勧誘の態度が気に入らなかったからだ。NHKの受信料集金の態度が好感が持てるかというとまあ、それはどっちもどっちではあるんだけど、NHKの場合は少なくとも(こちらがそれに心情的に納得しているかどうかはともかくも)放送法という根拠がある。新聞には何の義理もない。紙面にどんな立派なことが書いてあろうが、こっちは客だぞ。「実際に接客するスタッフ」をちゃんと教育しろよな。新聞社。

    2005年2月20日

    やるじゃねーか農大。

    戸田芳樹さんにわざわざお声かけ頂いたので、氷雨そぼ降る土曜日、農大造園にお邪魔した。

    場所は馬事公苑に隣接した隈さん設計の「食と農の博物館」の1階ホール。時間に余裕があれば、調布から渋谷行きのバスで直行するというオプション経路もあったのだが、家を出るのが遅くなってしまったので、電車を乗り継いで、久し振りに小田急の経堂から歩いた。

    僕は学生時代、電車で通うような所に下宿していたため、経堂駅から農大までは毎日のように通った。「農大通り」、特に商店街を過ぎて住宅地に入ったあたりの風景は、あのころと比べても、ほとんど目眩がするほど変わっていなくて、その「変わっていなさ」に、自分自身に積んだ20年近い歳月を感じてしまった。

    今回の趣旨は、同博物館で開催中の「RLA展」に付随するイベントとして、学生の「作品」をネタにランドスケープ教育について語り合うトークセッション、ということだったのだが、まあ実際は、学部3年の後期のスタジオの成果の「公開レビュー」だった。

    僕は遅れて会場に着いたため、後半の、比較的大規模なオープンスペースを対象地に選んだ学生たちの発表だけ拝見した。3年生だし、それほど期待せずにいたのだが、これが実に見応えのある発表で、まったく驚いてしまった。農大ランドスケープのレベルは確実に上がってる。戸田さんがずいぶんチカラを入れられたのだろう。戸田さん凄いな。もちろん、数十人の中から選抜された作品だし、どう見ても周囲の院生たちが口を出し手を貸した痕跡は明らかだったんだけど、そうだとしても、そのようなリソースを有していることが、全体の水準の高さをよく示している。少なくとも、僕が学部3年当時の状態で現在の農大造園にいたら、きっと落ちこぼれていただろうと思う(では当時は優秀な部類だったのかというと、・・・えーと)。

    惜しかったのは、イベントの趣旨が必ずしも「クリティーク」でなかったためもあってか、コーディネーターの北川明介さんが招いたコメンテーターの方々の「講評」がみんな優しすぎて、いまひとつ歯ごたえのある雰囲気にならなかったことだ。建築学科の講評会などでは、学生が立ち直れないんじゃないかと思うくらいボコボコにされるのを目撃することがある。まあ、無理に厳しいことを言う必要はないけど、もうすこし、議論を喚起するようなコメントがあってもよかったと思った。一人、「実務レベルから見れば通用しないアイデアだ」というような意味の、見当はずれな(というか、学部3年の演習の趣旨からして、何を期待するというのだ)ことを述べておられた方がいてげんなりしたが、そのコメントがいかにも場違い的に宙に浮いたのは救いだった。

    あと、全体を通しては、なんというか、「造園の壁」が感じられたのが惜しかったな。

    造園は、専門課程において、現代の都市に象徴される(否定的な)事態に対して、「緑」や「アメニティ」や「良き景観」や、近年では「エコロジカルな環境」というような、「善」的事態を実現することが社会的ミッションである、というところから出発する。それ自体は決して「間違っている」わけではないけれど、そこに軸足を置いてしまうと、ことに設計の方法論として、「決まり文句のワナ」に嵌ってしまうことがしばしばある。

    妻によると、彼女が教えている専門学校の設計演習で「公園」が課題になると、多くの学生がまず中央に噴水を配するそうである。「どうして噴水なの?」と聞くと、「公園だから」と答えるそうだ。「噴水」が公園の記号として刻印されているわけで、ほとんど微笑ましいような話である。

    でも、実はこれは笑えないと僕は思う。彼らにとっては、噴水を置くことが、その場所を「公園」たらしめる、「デザイン的解決」なのである。これが滑稽に感じられるのは、噴水という施設があまりにあからさまに典型的だからに過ぎない。見回せば、ベンチとか散策路とかデッキとか「シンボル樹」「たまり」「見通し」「軸」というような、それ自体の意味や価値の検討がされていない面妖なエレメントや、「オープンスペースの確保」「豊かな緑」「歩車分離」「コミュニティの活性化」「生態系の再生」「自然な色合い」「環境共生」というような複雑そうなものでも、それ自体が目的化した「決まり文句」がデザインボキャブラリーに陥っている事例なんて、プロの手になるものでさえ、いくらでもある。

    建築の学生のスタジオなんかだと、最近は建築の自明性を疑って「それでもあえてここに何かを建設するとは」みたいなところまで立ち戻って考えているような「コンセプト」がよくある(もっと脳天気なアプローチも多いけど)。「ランドスケープの自明性を疑う」というのは、建築のそれよりもたぶん困難だし、ことに造園の「中」にいるとなかなか難しい思考訓練ではあるだろうが、「学生の課題発表」にはそういうのを期待しちゃうのだ。

    追記:
    f/w - 求む!デザイン学生
    なるほどたしかに、「景観」の最前線はそこだったのだ。
    公務員試験に受かるべく、基礎学力も向上する必要があるぞ。母校よ。
    (といって公務員試験に落ちたのは。僕だ)

    2005年2月18日

    curious atomosphere

    WTC跡地の、記念広場のほうのコンペ結果:
    World Trade Center Site Memorial Competition

    決定案:
    World Trade Center Site Memorial Competition: Reflecting Absence: Statement
    ピート御大が健在。
    ちょっと「さいたまひろば」みたいだが。

    応募時のパネル:
    World Trade Center Site Memorial Competition: Reflecting Absence: Original Submission
    うお。こっちのほうがかっこいいじゃんか。
    どうしてまた樹木で埋めたんだ。

    応募案「全部」を閲覧できるのがすごい。
    直接、名前でも検索できる。
    知り合いのエントリーを発見。
    World Trade Center Site Memorial Competition

    日本からは、宮城俊作さんや藤本壮介さんのお名前が。
    宮城さんチームの「理不尽を温存する」はすこし共感する。

    東京スリバチ

    夜。「東京スリバチ学会」のプレゼンテーションに行った。

    某・大手デベロッパー会社の若手自主研修会のような会に、たまたまその会社が施主のプロジェクトを担当している友人のミナガワ君(東京スリバチ学会会長)が「講師」として呼ばれ、プレゼンテーション用に東京の地形図その他の資料を提供した僕(副会長)や、元カジュアルキテクトのマツオカさん(正会員1号)らがくっついて行ったのだった。

    会長による、東京のスリバチ地形を選択的に見て回るという濃いフィールドワークの成果のパワーポイント上映のあと、近くの料理屋でウナギを(研修会の予算で)ご馳走になり、帰路は三越前から銀座まで歩きながら、東京の数々のスリバチ地形の空間的規模的特徴と「セクシーさ」をあらわす指標を記した地図の構想でやけに盛り上がった。うっふっふ。

    2005年2月17日

    STUDIO VOICEの最新号。

    通勤帰路、赤坂の書店の閉店数分前に会社を出たので、店頭のワゴンやら何やらを片付け始めている店員さんの横をすり抜けて店に走り込み、(噂の)STUDIO VOICEの最新号を買う。
    特集として掲げられている「アートと建築」という切り口については、うーむ。なんかもっと面白い突っ込みかたがあるんじゃないかと思うが。「アーティスト」による美術館のアイデアもなんだか、本気が感じられなくてショボいし。むしろ、単に建築特集として読んでも充分面白い、これだけで「買い」な号だと思ったが。

    乾久美子さんと藤本壮介さんの対談。乾さんの発言に「建築家ぬきの建築は何千、何万という判断の結果として存在しているわけでしょ。現代建築というのは、たとえ複数の判断によって生まれていたとしても、集落に比べれば、思考の蓄積が薄いと言わざるを得ない」という箇所があって、これは面白い言いかただぞ。たとえば都営スタイルの庭の、デザイナーガーデンにない「濃密さ」は、そこに(時間をかけて)積まれた思考・判断の「ドットの多さ」なのだ、というふうに。ただ、これは、生態系の「込み入ってる」と「複雑だ」との差みたいなもので、「実現」の手応えが難しい課題ではある。

    藤村龍至さんによると、OMAは商業化社会・情報化社会で育まれた新しい空間のありかたを積極的に建築へ翻訳していて、ヘルツォーク&ド・ムーロンは建築は建築だという落とし前をつける態度を貫いている(によって、わざとのように周囲への取っ掛かりとしての隙間を作ってる)。とのことである。掲載テキストの5倍くらいの長さがあったらもっとずっと面白い解説だっただろうなあ。書かないといけないことが多すぎて、文字数に収まっていない感じで惜しい。

    ぽむ桂さんの固めの文体は五十嵐太郎さんに似てる。

    五十嵐太郎さんらの「日本建築の系譜」チャート。いや、こういうの見てついわかった気になるのは良くないと思いつつ、つい見入っちゃうんだよな。テレデザインって系譜的には「海外組」だったのか。

    ついでにCASA BRUTUSも買った。
    だって、五十嵐さんの連載フォト日記に僕が写っているのを発見したからである。持って帰って家族に自慢し?いと。これをみて、そういえば東京キャナルの打ち上げで五十嵐さんが「カーサに載せるかも」と言いつつデジカメで撮っていたのを思い出した。
    ちなみに、田島さんと僕と、一緒に写ってるのはコマキくんとクリュウさんです。

    2005年2月16日

    サブ。

    world subways

    おー。これは。

    一瞬、GPS Drawingかと思ってしまった(←病気)。

    こうして、単純な線形にして同一スケールで「比べる」と、地下鉄のレイアウトはたしかに、それぞれの都市の様子を映し出している。
    ニューヨークはなんとなくマンハッタンの形が見えるし、シカゴのミシガン湖側は切り取ったみたいにすぱっと無い。「ループ」がこんなにちっちゃいとは知らなかった。
    都心をめぐる「サークル」があり、そこから外側へ放射状に枝が伸びている、というのが地下鉄配線の基本のようだが、モスクワがやけにその「理想型」に近いのが、なんというか。

    日本の各都市の地下鉄も見てみたい。

    このサイトには、他にこんな「地図」が。
    Chicago Mile by Mile

    シカゴ市街の1マイルグリッド風景写真。Degree Confluence Projectの地域版のような感じだ。
    高層ビルの立ち並ぶ「繁華街」がいかに狭いエリアでしかないか、ということがよくわかる。
    そうなんだよな。アメリカの都市ってこう、けっこうスカスカで、道路が格子状だから意外と空が広く見える。それで、ちょっとダウンタウンを外れると、いきなり荒涼とした風景になるんだよな。

    愛・蔵太の気ままな日記経由にて。

    Let's take a ride, and run with the dogs tonight

    午後、アウトドア関係の雑誌の電話取材を受けた(言うまでもなくGPSあそび関連)。ULSEのメンバーともども、アウトドア系「珍種」として紹介される。らしい。
    最近、経験しつつあるのは、雑誌などの媒体で取り上げてもらうと、思わぬ出会いがあるということだ。エディターやライターの嗅覚にもよるんだろうが、記事の中で一緒に紹介されている人がとても面白かったりするし、意外な人からコンタクトがあったりするのである。
    なので、今回の取材へのお答えはそこそこに、今後ぜひ、珍種扱いじゃなく、もっと幅広く、地図や地形やGPSや、その関連もろもろを特集する企画を作って下さいよと切々と訴えた(通じたかどうか、はなはだ心許ない。ますます変なやつだと思われたかもしれない)。

    夕方。早めに帰宅して、自宅に届いた「雛人形」のセットアップをした。

    テレビでは、小学校侵入殺傷事件と、それへの反応で各地の学校がセキュリティを強化しつつあるというニュースが報じられている。

    佐々木葉先生が、池田小の事件以来、「これはもう、運でしかなくて、何をしたって駄目なときは駄目だわね」と、お子さんに危険回避教育をするのをやめた、とおっしゃっていたのを思い出す。
    それはまあ、何事によらず実際にはそうかもしれない。しかし、危なっかしく歩き回る、攻撃対象としては「ひとひねり」な乳幼児を2人も抱える身になって実感するのは、何か危険な環境があって、少しでもその危険を減少させる選択肢があるなら、僕だってそれを選ぶことを迷わないだろうし、そうした選択をする人を責めたりすることはぜんぜんできない、ということだ。その「危険」がどれほど事実以上に喧伝されて煽られているか、とか、ある範囲をセキュアにすることはその「外側」にインセキュアを作り出すことに他ならず、長期的にはより暗澹たる状況を育てるだけだ、などと説かれても。
    たとえ「事実以上」だとしても、そこにはやっぱり「事実」があるのだし、「長期的」な社会の改善は、僕の子供の短期的な学校生活が終了してからにしてくれ、という気持ちを偽ることができない。

    で、どうするか。学校を要塞化したら、次は要塞化した自宅との間の移動経路をセキュアにすることだ。現に、テレビでは、保護者による通学路のパトロール強化、というのもやっていた。でも、素人による当番制の警備なんて信用できない。街路には目の届かない場所がそこここにあるし。だから、車で送り迎えするのがいいだろう。朝、学校へ送り届け、無事に校門を通過してハイフェンスのゲートが閉まるのを見届け、下校時には迎えに行って、サッカークラブの練習場である監視警備つきの安心グラウンドへ送り届け、また迎えに行って塾へ送り届け、また迎えに行く。休日は家族で、入り口に金属ディテクターのある屋内ショッピングモールへ行く。。。と、これはアメリカの都市近郊の白人家族のフツウの生活にそっくりだ。

    追記:

    このblogだと、URLにチルダが入っていると、トラックバック受信のリンクがうまく行かないようなので。
    Motoe Lab, MYU: よそでやってくれ
    からTB。

    まわりぶろぐ: 地域の連れ去り防止策にコメント書いていて思ったのだが、アメリカに居たときに、どこで何をしていても常に感じていた軽い緊張感は、実際に犯罪に遭う確率が高いということもさりながら、危険の回避は個人の責任だ、という空気のためだったように思う。

    駐車場を横切って自分の車に向かって歩いているときはすでにキーを右手に持ってすみやかに車内に入れるように構えているとか、友人を家まで送って行ったときは、彼/彼女がアパートの中へ入るまで車内から見届けるとか、背後から車が接近するので道路の右端は歩かないとか、現金は最低限しか持ち歩かないとか、細々した「習慣」が身に付いていたが、何よりも、街では何気なく周囲に気を配って「アウェア」でい続けることに神経を使っていた。慣れてくると、やばそうな場所や状況をなんとなく察知するようになる。

    まあしかし、そうやって、日々、微熱のような警戒モードで生活していたのだということは、日本に帰国してから自覚した。夜中にふと思い立って、サンダルでコンビニに歩いて行ける安心感は、何事にも代え難い。だから、安全のための対策や工夫は個人が引き受けるべきものだ、と言うつもりはないんだけど。

    2005年2月15日

    日経建

    職場のオークボくんが面白がって読んでいたので、日経アーキテクチュアの1月10日号を見る(←遅い)。

    特集:「21世紀を読み解く建築デザインの論点」。
    1、横浜港ターミナルはなぜ建築学会賞を取れなかったのか
    2、妹島和世+西沢立衛の最新建築は「21世紀」を切り開くものとなるか
    3、表参道は世界に誇る「建築ストリート」になれるか
    4、狭小住宅は都市のストックとなり得るか
    5、デザイナーズマンションブームは没個性の集合住宅を変えたか
    6、超高層ビルを背負う近代建築は都市の風景を美しくしているか
    7、ワークショップは建築デザインにプラスに働くか
    8、2010年の建築デザインのキーワードは何か

    想定読者の像がなんとなく浮かんでくるような。

    アンケート協力者として、佐々木葉二さんとか杉浦栄さんとか西田正徳さんとか長谷川浩己さんのお名前もちゃんと入ってる(オークボくんが見つけた)。やるじゃないか日経アーキ。

    大桟橋の賛否両論、「否」のコメントがみんなキレてて面白い。
    とやかく言う人の言い分もわかるが、僕はあれはけっこう好きである。
    でも、でっかくして上を人が歩くようにしたからって「自然」とか言うなよな。。。

    ちなみに、五十嵐太郎さんがインタビューに答えて挙げている、今年気になる建築キーワードは「装飾」「リノベーション」「美しい日本」。

    触媒チーム:「東京語り人」

    以下、いただいたイベントのご案内です。

    我々、テレデザインが、来る2005年2月17日より3月18日まで、1847年に創設されたイギリスの名門建築学校、AAスクールにおいて都市・建築に関する展覧会を開催します。

    テレデザイン展示、題して「東京カタリスト」は、都市状況の変化または変異を表現した、都市論におけるテレデザインのコンセプトに由来しています。展示構成は、「東京屏風」あるいは、「東京ブラウジング・スクリーン」と称し、日本の伝統的な屏風をイメージした動的で、折り畳みのできる重層化したパネルで構成されていて、訪問者たちは、その中に展示されたテレデザインの都市リサーチや建築プロジェクトを見て回ることができます。さらに、展示スペースの壁にも、相互にもつれあいながら多面的な経験を可能とさせる「東京」のさまざまなシーンをパネル展示することによってさらに重層化した都市「東京」を再体験できるよう意図されています。

    テレデザイン・AAスクール・エキジビション
    「東京カタリスト」 
    —アーバン・リサーチ、そして都市・建築空間への展開— 

    展覧会:
    会期:2005年2月19日(土)〜3月17日(火)
    10時〜19時(平日)
    10時〜15時(土)
    場所:AAスクール・フロント・メンバーズ・ルーム

    関連イベント:
    「プライベート・ビュー」
    日時:2005年2月18日18時30分〜20時30分:
    場所:AAスクール・フロント・メンバーズ・ルーム)

    レクチャー+ディスカッション
    「Responding to Tokyo」
    日時:2005年2月21日19時〜
    場所:AAスクール・レクチャー・ルーム
    モデレーター:ケン・タダシ・オオシマ
    パネラー:アストリッド・クライン+マーク・ダイサム(KDA)、
    田島則行+納村信之(テレデザイン)

    テレデザイン 久野紀光/田島則行/納村信之/松葉力/山本健太郎

    とのことです。
    面白そうだ。
    って、場所がロンドンじゃないか。。。Keiさん、いかがでしょう行かれてみては。
    Tele-Design: Tokyo Catalyst; 19 February −17 March, AA Front Members' Room

    2005年2月14日

    耳を澄ませラララ目を見張れ

    山崎さんのウェブログ、
    Landscape Weblog: 自然の見方

    そう考えると、僕らが第1に影響を受けている自然という存在自体が、僕らの習慣によって作り出された概念だということが分かる。つまり、人は習慣を通して認識した《自然》に影響を受けているのである。だから「習慣は第2の自然である」というよりもむしろ「自然は第2の習慣である」といったほうが実情にあっているのである。

    なるほど。たしかに、そういう側面もあるだろうと思う。しかし、「自然」が僕らの内側「のみ」にあるとは思えない。自然を対象化することによって「自然」という概念は獲得されたんだろうが、そのことで自然がなくなったわけじゃないだろう。僕ら自身の身体からして、どうしようもなく生物的に自然である。アルマジロを見て咄嗟にうまそうだと思う人が多い文化もあるかもしれないが、一方で、ヘビやクモやゴキブリなど、湿った暗い環境に生息する生物を怖がる傾向は人類にほぼ共通して見られる、という報告も、僕は買う。なんか、どっちもありそうだ。

    こんなふうに感じるのは、僕自身が「自然」について、ロマンチックな思慕を抱いているということなのかもしれない。でもそれがなくなったら、ラ系なんか「つまんない」と思うんだが、どうでしょう。

    狩猟/採集社会は環境の変化に敏感だった。自分が獲得できる対象が減るかもしれないから、少しの変化も見過ごさない感受性を持っていた。ところが農耕社会になると少々の差異は無視するようになる。環境の微妙な差異は無視して、計画に基づいた収穫の増加を目指すようになる。おのずと感受性は鈍くなる。これを進化と呼べるのだろうか。

    そうかなあ。仮に狩猟採集社会のメンバーのほうが「獲物を産出する環境の変動」に対して敏感であって、農耕社会がその敏感さを失ったのだとしても、それは「感受性の絶対量が減少した」わけじゃなく、単に関心が他に移っただけのような気がするが。ヒトの、事物の変化に対する敏感さの度合いなんて、昔も今もそんなに変わっていないんじゃないだろうか。進化心理学の本などを読むと、狩猟採集時代に育まれ鍛えられた「感受性」って、たとえば現代の僕らの日常生活や世渡りにも「使われている」らしいし。

    いや、こういう推測を前提にした話は面白いけれど根拠がないので、あまり実のある議論にはならないんだけど。

    心脳問題の予感。

    「日経ベストPC+デジタル」誌、2005年3月号の巻末にある「きっとヒット!!ランキング」で、東京ナス化計画を紹介して頂きました。掲載誌を送ってもらったので、当該記事を見てみたら、一緒にFLAT*PLANET「新宿の中心でLOVEを描く」も紹介されていた。巻き込み。

    先週、「自由という服従」を読み終える。これまたいろいろと(じつにいろいろと)考えさせられたが、長くなるのでまた後日。

    その他、先週仕入れたもの:

  • 山本貴光・吉川浩満「心脳問題ー「脳の世紀」を生き抜く」朝日出版社、2004
    書店で前書きを立ち読みして即買い。読み中。とても読み易いナビゲーション本。ちょっとひっかかる点があるが、それはまあ読み終えてから。
  • 内田樹「先生はえらい」ちくまプリマー新書、2005
  • 鬼頭秀一「自然保護を問い直す−環境倫理とネットワーク」ちくま新書、1996
  • 吉田鉄郎「日本の庭園」SD選書、2005
  • 山下晋司編「観光人類学」新曜社、1996
  • 建築学教育研究会編「建築を知る:はじめての建築学」鹿島出版会、2005
    先週の関東学院の懇親会場の「特別セール」で購入。というのは、これは関東学院の建築学科の諸先生方による、大学で学ぶ建築学のガイド本なのだった。前から出ていたのだが、今年新装版が出たのだ。なかなか良い入門書だと思う。
    で、実は以前、旧版を書店で見かけて買っていたことを思い出した。。。

  • 2005年2月13日

    伝・鎌倉道。

    土曜日。

    またも家族で、GHQ航空写真で気になったスポットへ探索に出かけた。
    多摩川沿いに西へ、府中市に踏み込んだところ。このあたり:
    Suburban Landscape Search Engine - Chofu edition: 押立

    多摩川の洪水原に、輪中みたいに集落がある。
    行ってみると、案の定周囲は宅地化が進んでいたが、かつての集落の部分だけはなんとなく緑も多くて、それなりに昔の村の輪郭を感じる風景ではあった。

    ついでに、その近くにある、住宅地の中程を斜めに市境が区切っている箇所をチェックし、府中崖線もそれなりに斜面林が残存していてバカにしたもんじゃないということも確認し、最後に調布市郷土博物館に立ち寄った。

    事務室で、調布市教育委員会発行の「図説・調布の歴史」「調布の指定文化財」「調布市文化財報告書・調布の古道・坂道・水路」を購入し、他にあまり人気のない館内の資料コーナーでなおもいろいろと熱心に漁っていたら、学芸員の方がこれまでの企画展のカタログやらリーフレットやらをくれた。

    しかしまあ、郷土史関係の資料というのは、細かく見始めるときりがないくらいの種類と量がある。興味を惹くものはたいてい、編集委員が足と耳で集めた資料である。郷土への愛と、なにより時間がないとなしえない仕事である。アマチュア郷土史家がしばしば、定年退職後に活動していたりする事情がよくわかる。僕も老後の楽しみにしようかと。いまから思ったりしつつ、母が卒業時に記念に植えたというサクラが大木になって校庭を囲んでいる富士見台小学校の横を通って、夕暮れの「鎌倉道伝承ルート」を辿り帰った。

    More Trees

    金曜日。

    日中、役所に提出する緑化計画の事前協議に行き、いつもながら、要求される「緑地」の内容にげんなりする。
    まあ、楯突いて粘って何か決定的にプロジェクト全体が激良化する部分でもないし、そもそも最初に僕の迂闊な見落としがあったりもしたので、あまり強く出れない。でも、役所の担当者が事情をくみ取って、例外的に譲歩してくれることになった。やれやれ。

    現在のほとんどの自治体の「緑地」のコードでは、建築の規模に比例した植物の数的・面的「量」の確保が目指されている。敷地や建物の規模、用途に応じて、設置すべき「緑地」面積が算出され、その面積に応じてそこに植栽する植物の数量が算出される。数量は自治体によっても微妙に違うが、おおむね、そのまま均等に植えると「大中小が混じった、みっちり植栽」になるように工夫されていることがほとんどである。

    つまり、「緑化的世界」では、「建築」はまったく信用されていない、ということである。強制しないで放っておくと緑化なんかするはずがない、と思われているわけだ。公共の緑化コードには、緑化の要求内容から植物の変化や、その緑地に対する人の関与による変化など、植物群落の時間性への観点がまったく欠落している、という特徴があるが、これは、緑地の設置後の人的関与を「維持管理」に最小化することで、せめて建設時のボリュームは存続させようというフールプルーフ的な目論見なんである。

    これは、端的にいえば「緑地はいいものだ」という価値観と、「建築は景観的・環境的に悪いものだ」という価値観に支えられている。敷地に接する道路の長さに対して、ある割合以上の緑化を義務づける「接道緑化」が示すように、緑地は建築がなす「景観的ダメージ」を改善するものとして位置づけられているし、屋上緑化や壁面緑化の誘導が示すように、建築は緑化による環境的補償の対象として捉えられている。じつにむかつく、というか情けないが、一方では「無理もないな」という気もしたりして。

    山内彩子さんが緑地の「思想」の変遷を紹介した論考(『緑化的緑地の思想:都市における「緑地」の意味を問う』ランドスケープ批評宣言、2002)があって、それによると、かつて、「緑地」がドイツ語の訳語として東京の都市計画に導入された1920年代当時、それは必ずしも「緑=植物がみっちり植わった区画」を表していたわけではなく、今日の「オープンスペース」とか「ヴォイド」とかいう概念に近い、「担保された空白」だったようである。その後、都市化の急激な進行に伴って、空白性のある土地が「開発の可能性が潜在するもの」と見られるようになるにつれて、緑地は「緑化という建設」が行われるものになった、という。これって、ある敷地に建設行為がなされることで、「建築物」と「緑地という過剰に植物が詰め込まれた区画」 とが出現するという事態と、構造的に同じことである。

    山内さんは、緑地をもっと多元的に解釈し、評価の軸を増やしたりして「解きほぐす」必要があるんじゃないか、と述べている。山内さんによる、同じ本の別項「季節感のエンジニアリング:混植寄せ植えのパラドクス」とあわせて読むと、日本のオフィシャルな「緑化」の「内容」を成り立たせている事情や背景がよくわかって、事前協議の熱頭を冷やすにはお薦め。(誰に勧めてるんだよ)


    退社後、品川の高層ホテルのレセプションルームへ行く。
    今年から非常勤講師としてお世話になるところの、関東学院大学の建築学科の教員のパーティーにお呼ばれしたのだった。
    思ったよりも人数が多いことに驚く。今年で退官される先生方のご紹介・ご挨拶、および今年新規に着任する講師の皆さんのご紹介があった。建築学科は受験者数が減少しなかったそうで、昨今の大学事情からすると希有なケースである。

    なんと、赤松佳珠子さんとお会いした。18年ぶり。僕の中で、当時の職場でバイトしていた女子大生の赤松さんと、C+Aのパートナーである赤松さんとの「像」のピントを合わせるのに苦労する(←東工大の久野先生からの突っ込み無用)。

    会場ではそれなりに堅苦しくしていたつもりだったのだが、中津さんに「この人は態度はでかいけど新人です」と紹介されてしまった。ううむ。

    2005年2月10日

    街は血湧き肉踊る

    公開講座(フォーラム)のお知らせ・都市の血、都市の肉〜千年持続学第5回フォーラム・2005年4月9日土曜日東京大学生産研(駒場)にて:Nakatani's Blography

    うわ。ご指名に及びません。行きますぞ。楽しみ。
    定員があるということは、事前申し込み必要でしょうか。

    それにしても骨太のラインアップだ。体調を整えていかねば。
    半日ドックで血中コレステロールが高いと注意されたばかりだし(←それは関係ない)。

    駒場へ行くなら、できればついでに田中さんにもお会いし、ジオウォーカーの進捗状況など拝見せねば。
    戦うピクニシェンヌは。。。もう引っ越しちゃったのかな。

    追記:

    ピクニシェンヌのご指摘を受け、辿るとこういうサイトが。
    千年持続学・都市の持続性に関する学融合的研究
    そういうことだったのか。。。(←疎い)

    2005年2月 9日

    A交通、音楽仕上げ

    道路から知床旅情伝わる 溝の間隔変えてメロディー (北海道新聞 話題)

    なるほど。車が「レコード針」になるわけだ。

    想定は時速60kmのようだが、そうすると、100kmで走り抜けたり、40kmでトロトロ走ったりしたら、回転数間違えたみたいに、せわしないメロディになったり間延びしたりするんだろうな。あるいは車線を逆行したら、すごく変な旋律になるんだろうなあ。

    それこそレコード盤と同じく、アスコンだってすり減りはするが、それでも交通量によっては数年間、同じ旋律を奏でるわけだ。やり直しはできないし。だったら、硬質樹脂製の長いシートか何かにして、道路に敷いておくのはどうだろう。展開して引き延ばしたオルゴールみたいに。一時的な設置も可能になるし、道路の音楽化の際にはいろいろなメロディを選べるようになる。施工も早い。

    でも。

    最近、時々遭遇するようになった、道路の注意喚起パターンが、振動で三三七拍子を奏でたりするやつ、あれですら、ものすごく神経に障るんだが。

    毎日、車で通るたびに「知床旅情」を聞かされるドライバーに僕は深く同情する(同様に、毎日カモメの合成音聞かされるみなとみらい線の利用者や、スピーカーでウグイスの声を聞かされる鴬谷駅前商店街の通行者にも同情する)。音楽道路が第2東名とかに導入されないことを祈る(調布天神通りがゲゲゲの鬼太郎の音楽を流し始めたりしないことも祈る)。

    焼け跡バード

    Habitation Design:終戦直後の港区

    おー。でこぼこしてるなあ。
    品川の台地と海岸沿いの低地の境目の形がよくわかる。
    終戦直後の航空写真は、ことに都心部のやつは、建物が戦災で「リセット」されている場所が多いので、地形が生々しい。新宿御苑の芝生広場が「菜園」化しているのを見つけたが、誰が食料生産していたのだろう。農地解放で民地になっちゃわなくてよかったなあ。

    僕の作ったのも見てくれ!(笑)

    渋谷周辺、1947年。
    都心の写真の場合、国土地理院の「5mメッシュ標高データ」が使える。
    これだと、鉄道の土手やスタジアムの輪郭まで「地形」として現れてきて、坂道の様子などがよくわかる。

    中目黒付近上空1,500mから渋谷駅、原宿方向を見る:

    渋谷駅前がほんとにスリバチ状に低い。
    青山通りがちょうど青学の前でカーブを描いて、渋谷の低地へ下ってくるところや、表参道が渋谷川の谷を直角に横切っていて、V字型の高低差をしているところもよくわかる。
    上のほう、後の代々木公園の場所を占めているのは米軍の住宅地。
    「5mメッシュ標高データ」いいよ。

    残念なのは、ぎりぎり、調布がカバーされていないことである。>5mメッシュ。
    多摩地区も早く、ひとつ、よろしくお願いいたします。国土地理院さま。

    2005年2月 7日

    快適な場所

    以前、森ビルの都市展をお手伝いしたときに、現在の東京の土地の状態がどのくらいの狩猟採集生活者を維持しうるか、という計算をしてみようとしたことがある。
    どういう文献に当たったらいいかわかんなかったので、差し当たってネットを検索し、こういうページを見つけた。

  • 先史時代ワールドモデルの構築
    全地球的な観点から見ると、気候変動のような外部要因を想定しなくとも、人類は自らの人口増加の結果、8000年前頃には、いずれにせよ決定的な「成長の限界」に達したと思われる。

    紀元前80世紀、「増えちゃう人類」としては、農耕を始めざるを得なくなったわけだ。なんかこう、示唆に富む考察である。どういう教訓を引き出すにせよ。

    この報告書の数字を借りて(どの数字をどう数えたか忘れたが)、もし、現在の東京で「緑地」がすべて「サバンナ並み」に食料を生産すると仮定したら、23区内では53人が生存可能、という計算をした。集団として、将来の存続が危ぶまれる個体数である。もちろん、いまの「緑地」はサバンナのように食料を生産しないし、お遊びにしても意味のないものだったので、このアイデアは却下された。とほほ。

    でも、このときにどうしてこんなことを思いついたかというと、何度目かの打ち合わせの時に、南泰裕さんらによるホームレスの人たちのリサーチを拝見し、この人たちは、現代の都市における狩猟採集民族だな、と思ったからなのだった。

    平成15年の調査によると、東京には5,500人あまり、全国では2万5,000人以上のホームレスが数えられていて、ほとんどが都市に集中しているそうである。
    昨今のホームレスの増加については、しばしば、不況による雇用の減少や、行政がとるべき「受け皿」の不備など、社会システムの不調にその原因や背景が帰される。一方で、ホームレス生活者は、見方によっては、そういう生き方を選んでいるという側面もある、という指摘もある。一方的に不遇で気の毒なばかりではない、というわけだ。まあ、「不況になれば数が増大する」という傾向はあるだろうし、ホームレスになりやすい素質というか「傾向」を持った人もいるだろう。こうしたことは単純には把握できないし、個々の事情には様々なものがあるのだろうとは思う。

    しかし考えてみたら、5.500人の採集生活者が「食えている」(栄養状態は決して良好ではないにせよ、次々に餓死しているわけではない)というのは、ちょっとした事態である。東京はそれだけの「余剰栄養」を産出しているのだ。逆に言えば、現在のコミュニティの糖尿病的な有機物のフローが、まとまった数の個体のホームレス的生活を可能にしているわけである。ホームレスが「まったくいない」場所というのは、そこでは栄養の収支がきっちり合っていて余裕がない、ということを示している。環境にすごく依存しているという点で、ホームレス的生活というのは、きわめてエコロジカルだ。

    だから、ホームレスの人たちが居場所に選んだ公園を手がけた設計者は、誇らしく思うべきである。ビオトープにちゃんと多様な生物がやってきたみたいなもので、要するに「設計通り」である。だって、公園は本来、老人から子供まで、様々な人が好きに行き来して「快適に」過ごせるように、「バリアフリー」で「多目的」に作ってあって、普段は接する機会を持たない人と「ふれあう」場所であるからして、「多様な」人々を許容する施設だから。生存環境には僕らよりもずっと敏感であるだろうホームレスの人に、寝起きする場所として選ばれる、というのは、公園の趣旨として「成功」である。

    いや、ビオトープを引き合いに出すのは不謹慎かもしれないけど。
    しかし、たまに公園の設計をする機会があって、自治体の管轄部署と打ち合わせをするたびに、ほとんど必ず要求される「ホームレス対策」を施したハードウェア性能は、カラスやハトやネコを排除する仕組みとますます似てきている。公園管理に蓄積されつつあるノウハウはまるで「逆ビオトープ」なのである。僕らはそうした「排除」を、せめて、目立たず、あからさまに攻撃的に見えないように工夫したりし、結果として排除の意思を「巧妙な管理」にすることを助長している。それを「デザイン」とか呼びながら。

    追記。

    あらためて、自宅にあったホームレスに取材したルポ(中村智志「路上の夢—新宿ホームレス物語」講談社文庫、2002)を読み返したり、支援団体のサイトや「体験記」などを読んでみたりするに、考えれば考えるほどこのサブジェクトは憂鬱で暗い気分にさせる。

    一般的に家賃が高く、保証人不在では安アパートを借りることもできないという日本の住宅事情(の特殊性?)が要因として大きいという指摘もあるけれど、少なくない割合のホームレスが廃品の回収や売買などで現金収入を得ているという報告もある。「越冬支援(凍死者を出さないように毛布などを配布する)」をしていた僕の従兄弟によれば、彼ら/彼女らは必ずしも「全面的に悲惨な状態にある、不当に虐げられた人々」ばかりとは言えず、そういう境遇に「甘んじている」ように見えることも多々あるそうである。

    たしかに、街で見かけるホームレスの人たちは、ジャカルタの路上で遭遇する「物乞い」とは違う。ホームレス(現在の日本の街での『ホームレス』という意味で)をして、たとえば社会システムの犠牲が結像した「嘆かわしい現象」としてではなく、(強く望んだのではないにせよ)「ライフスタイル」として見るならば、ある規模の集団においてホームレス的な生存戦略をとる個体がなくなることはないんじゃないか、という気がする。社会の「おこぼれ」で食ってるという意味では、僕の周囲にそんなのはごろごろ生存している(そのうえ、妙に言うことだけ偉そうで。あれは「生産性のある個体だ」という擬態だな。いいけど。)し、僕自身だって、自分を誉めたいくらい生産に貢献しているときもあれば、深く反省するくらい「おこぼれ食い」をしているときもある。いくつかの報告によれば、ホームレスの集団にも複雑な人間関係や階層があって、社会の縮図みたいに見えるそうである。そりゃあそうだろうな。つまり、ホームレスをホームレスたらしめているのは、ホーム/レスの「線の引きかた」と、その合意でしかない、ということだ。

    先述のようなことを考えたのは、名古屋の公園の、行政によるホームレス排除のニュースを見て、さらに新建築の塚本さんの論文に代々木公園の「リトルテヘランの排除」への言及があるのを読んで、つくづく、ラ系、とくに僕ら造園の係は、自分たちの手がけている対象が社会的政治的生態的地球環境的に「善」であると疑わないけれど、そうした「全面的によい」方法は、しばしば「抵抗を封じる手法」として権力的に用いられる、ということを、よーく自覚しておく必要がある、と思ったから、なのだった。

    しかし、題材が、ことホームレスになると、どういう落としどころにするにせよ、なんかこう、自分の「態度」の表明を迫られるような気持ちになって、身構えちゃうのである。どうしてだろうな。

    あと、そうだ、保育園への道すがら、中央高速の高架下を通るたびに、ベンチに寝ているホームレスのオヤジさんを指差して大声で「ねんねしてる!」と叫ぶのはやめてくれ息子よ。毎朝ヒヤヒヤしてるんだから。

    追追記:
    スケッチ・オブ・ザ・デイ:公園スクワッター
    うりゃあ(←トラックバック送る擬音)。

  • 京王電気軌道。の気配。

    SkyAtlasの空中写真を眺めていて、奇妙なものを見つけた。

    京王線、柴崎駅付近。甲州街道の北100mほどのところに、街道よりも少し浅い角度で、何かが「直線」をなしているのが見えた。

    目立つ部分の拡大。

    画面なかほどを、斜めに横切っているライン。
    道路ではない。というか、部分的に細い道路だったり、建物の向きやカタチだったり、駐車場の境目だったりするが、そうやって色々に姿形を変えつつも、何か補助線があるかのようにまっすぐな「跡」が見える。
    「環境ノイズ」だ。


    地図には描かれていない。これはいったい何だろう。

    京王線の支線でもあったのかと思って、ネットを検索してみたが、「京王線 歴史」などというキーワードでは、ヒットする情報が膨大すぎて(懐かしい車輛の写真、というのは一大ジャンルを形成しているらしく)頭痛を誘う。

    実家の書棚にあった、調布市発行の「図説:調布の歴史」という本を開いてみたら、いきなり解決。

    甲州街道と京王線の変遷を記したページに掲載されていた、大正11年の五万分の一地形図。
    当時、京王線は「金子(つつじが丘)」のあたりで甲州街道と合流して路上を走り、柴崎から国領までは街道の「北」を通っていたのだ。仙川の崖との地形的な関係だろうか。これは知りませんでした。

    廃線跡が街のパターンに刻印を残していることはよくある。
    もちろん、鉄道や道路そのものは「強い」形態をなしているが、それが去った後でも、一旦それが「土地所有区分」に翻訳されてしまうと、慣性が強くなって、けっこうしぶとく残る。
    そういう意味で、明治の地租改正や、戦後の農地解放は、地面のパターンのいわば「凍結」として作用したんだなあ、と思う。

    というわけで週末恒例の現地調査。

    柴崎1丁目。第7中学校の、野川を挟んだ向かいあたり。
    写真ではわかりにくいが、住宅地の中に、ある箇所だけ、建物の向きが他と関係なく斜めになっている列があった。


    片方が畑だったりするとわかりやすい。


    庭や玄関に、斜めに振れた不思議な空間ができていて、工夫が見られる箇所も。


    調布自動車学校へ続く駐車場。建物がすぱっと切ったみたいに並んでいる。


    これは今回の趣旨とは関係ないんだけど、柴崎駅前で見かけた商店街フラワー。
    「繭玉型」で、冬期に出現する正月バージョンであり、しだれ飾りの原種に遺伝的にもっとも近い。
    繁盛のお札がつけてあるところも、正統的なデザイン。


    フィールドワーク中のメンバー。
    左から、調査員2号、隊長、調査員1号。


    途中の児童公園で、遊具の安全性をテストする副隊長と調査員1号。


    GPSによる「時間差ログ」。

    勝手に関連リンク:

  • 「先行デザイン宣言」@大阪市立大・中谷ゼミ
  • FLAT*PLANET:師走を走る・幻の線路を訪ねて
  • Suburban Landscape Search Engine - Chofu edition (時間遡行風景投稿システム)

  • 2005年2月 3日

    「内側」というリアリティ

    新建築2月号、塚本由晴さんの巻頭論文「マイクロ・パブリック・スペース」。
    こ、これは。
    ラ系の諸姉諸兄、ぜひお読み下さい。

    以下、取り急ぎメモ。

    ・一連の「まとめ」としてすごーくわかりやすい。いろいろと腑に落ちた。
    ・塚本さんが北京で目撃された「内側風景」で思い出すのは天理である。
    ・リトルテヘランを排除したのは「景観」であった。
    ・それに関連して、「公園」はちっとも「解放区」じゃない、ということ。
    ・新しい「内側」構築のための活動のひとつとしての、東京ピクニッククラブ。
    ・最後の段落はよくわからない。

    名古屋の公園からホームレスが強制排除された事件に関連して、ホームレスのエコロジー、というようなことを考えていたんだけど、それとあわせて、またのちほど。

    デジカメ地図アルバム

    まわりぶろぐ: デジカメにGPS機能?
    HAMACHI!先生よりご指名頂いたので、以下、専門知識があるわけではないのですが、素人ユーザーとしてささやかな解説を。

    いま、ほとんどの(たぶん全部の)デジカメの画像データは、EXIFという規格に則っています。撮影日時はもとより、機種やらレンズやら露出やら何やら、撮影時のデータを共通の書式で保存する規格で、これに「位置情報」用の欄が用意されているわけです(←正確には知らないけど、まあこういう感じだと思います)。これを利用すれば、撮影位置が緯度経度で記録できます。GPSケータイの写真に位置を記録するのも、この書式が使われています。写真に位置情報がついていると、旅行や街歩きや、仕事で現地調査をしたりする際にも、じつに便利。

    一般向けの、GPS搭載のデジカメには、以前、こういう、ちょっと強引っぽいのもありました。
    現在は品切れの模様。
    GPS対応ファームウェア搭載デジカメQV-4000GX、GPS受信機固定ブラケット付き @IDA ONLINE SHOP
    ブラケットでカメラと受信機を固定しているのは、電子コンパス付きのGPS受信機を使えば、撮影した方角まで記録できるからです。

    普通の、GPSなしのデジカメ写真ファイルにも、あとで位置情報を付加することができます。
    僕がいつも使うのは、カシミール3Dのデジカメプラグインという拡張機能です。
    KASHMIR3D、デジカメプラグイン

    あらかじめ、GPS受信機とデジカメの時計を正確に合わせておきます。GPS受信機は必携。だって位置を記録するわけですから。
    撮影から帰ったら、まずGPSの位置記録(軌跡)をPCに転送し、カシミールに読み込ませます。

    次に、デジカメの写真群をPCに保存して、デジカメプラグインを使って開きます。
    すると、カシミールが、デジカメ写真ファイルの「撮影時間」と、GPS軌跡の時間記録とを照らし合わせて位置を推測し、軌跡上にばばっと配置してくれます。自動的に。
    (だから、カメラの時計がずれてると、うまくいかない。カシミール側で調整は可能ですが)

    ここで、写真ファイルのEXIFに位置情報を「書き込む」ことができます。
    こうして「位置情報つき写真」にしてしまえば、たとえばアルプス社のプロアトラスなどの地図ソフトを使って、撮影場所つきで閲覧することもできます。

    デジカメ写真を読み込むと、地図上にアイコンとファイル名が。

    空撮写真に表示するとけっこうリアル。

    まわりぶろぐ向け写真。