2005年1月 6日

都市建設の美的方面にも資したいと思ふ。

  • 今年は「新聞見ました!」という年賀状をいくつも頂いた。。。

  • 打ち合わせで帰国していた、OMAのシライくんが職場に立ち寄ってくれた(というか、近くにいると聞いて電話で呼び出したんだけど)。北京でCCTVの仕事をしているそうで、今年の3月からは常駐するとのこと。あの現場、なぜか仮囲いが高さ18mあるそうだ。すげー。なぜだ。そんなに危ないのか?たしかに「いかにも安全そう」には見えないが。ところでシライくんは、この夏キャナルでお会いしたWEST8のタジマさんと親しいお友達なんだそうで、要するに結局みんなお友達なのだった。つまり。

  • 父親の自転車を借りため、歩くたびに鍵につけてある鈴がポケットでチリンチリンと鳴って、一日、ネコになったような気分だった。スタッフのサカイさんが「ランドセルとかに鈴つけてるコドモみたい」だと言う。サカイさんちの方面では、鈴の音は子供と老人のイメージなんだそうである。これはいかにも都市部、というか下町の発想だと思う。鈴の音で子供の位置が特定できるためには、可聴範囲に特定の鈴音を識別するセンサーがたくさん配置されている必要があるわけで、そういう「よく知ったご近所の耳」による、LPS(ローカル・ポジショニング・システム)は密集住宅地じゃないと機能しない。住宅地図がスカスカの深大寺北町ではちょっと無理である。

  • 上原敬二「風景雑感」を持ち歩いている。
    ・・・或はまた、文化の都に現はれたる現代的の風景とも称される極端なる人為の力の現はれなる建築美、都市美の損存するものあつて、そこに人為と自然との対立によつて新しき意義に於ける人生建設の象徴たる総合美をも見られるのである。
     我々は原始的に保存されたる神秘の景観を耽美するの意識を養ふと同時にかくの如き人力の極致たる建築美をも味ひ得る包容力を養ひ、以て文化的に発展しつつある都市建設の美的方面にも資したいと思ふ。
     一国の歴史と、国民性と、趣味性とを離れて一国の文化や風景を批判するのは酷である、ハドソン河口より仰いだ大空に摩天楼(スカイスクレーパー)の塔上高く白雲のかすめて飛ぶ様に見入つたものは狭量なる自然風致讃仰のみを唱へる人よりは恵まれて居るものであらねばならぬ。
    1925年の本である。上原先生。教わりたかった。。。

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