2004年12月24日

TFK、ラ系チャイナ

■内田樹、平川克美「東京ファイティングキッズ」柏書房、2004

まだ途中。面白い。
ウェブサイトで連載していたときからよく読んでいたのだが、僕の場合、やっぱり「本」として手元にないと駄目なのだ。僕は、買った本は、(よほどの駄目本を除いて)折に触れて読み返して何かの材料にしたりするので、いつでも参照できるようなカタチで本棚に並んでいないと嫌なんである。

印象的な文章や、あとでネタにしたくなる箇所というのは、しばしば、その本のその箇所を読んでいたときの場所や時間のイメージとか、前後のページの厚みの感じ(その本のどのへんに『居た』か)とか、そのときに連想したこととか、読み終えた後でどの本棚のどのへんに分類して置いたかとか、そういう「読んでいた状況の記憶」と「セット」になっている。往々にしてこれが有効な「検索」のタグになる。テキストを持ち歩けるというだけならPDAでも電子ブックでも何でもいいのだし、独特の「有機的な接し方」があるのかもしれないが、いまのところはまだ、こうしたデジタルのテキストのツールを「手触り」や「匂い」のようには使いこなせずにいるのである。

■隔月刊「ランドスケープデザイン」No.40、マルモ出版 特集「躍動する中国のランドスケープ」

中国の建設ラッシュの報告を見るたびに、なんか、妙に後ろめたいみたいな、やーな感じがするのはなぜだろう。

建築文化の10月号も中国特集だったが、掲載されてるプロジェクト群の、「旧世界」ではできそうもないような、抑制を欠いたやりたい放題の施設の様子は何だか、見たくないものを見せられているような気持ちになってしまうのだ。あるいは、自分が依拠していると無自覚に思っている(ラ系の)「倫理」とか「道徳」なんて、実はローカルなシガラミに過ぎないのかもしれなくて、そんな「抑制」なんかなくったって簡単に建設は実現してしまうのだ、という現実を直視したくない、のかもしれないけどな。

今年の始めにアモイに出張したとき、中国の都市の片鱗をちらっと目撃した。なにしろ、大きさもスピードも、意匠のぶっとび振りも、ものすごい。コンペや演習のスタディ模型がそのまんま建設されてるみたいなおもむきだ。でも、どれほど「ぶっとんだ」建物も、その建物「そのもの」に驚くようなものではなくて、「どこかで見たことのあるもの」が「どこにもないような勢いと規模」で作られている、という感じがした。そうだ、多摩ニュータウンをさんざん見て回ったときに抱いた気持ちに似ているかもしれない。

LDの紙面で紹介されている最近の中国のラ系プロジェクトはどれもまさに、どこかで見たことのあるような写真のオンパレードである。まるで、20年前のバックナンバーみたいだ。スケールは別にして。

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://fieldsmith.net/mt/mt-tb.cgi/246

コメントする