2004年12月12日

東京キャナル・銀座編その2

土曜日。東京キャナルの展示イベントの一環で「公開会議」の司会をした。

やりたかったのは、「水の都市への告白タイム」のようなものだった。それが水だろうと川だろうと運河だろうと何だろうと、東京を何とかしようという提案をするからには、東京のどこが駄目で、どんな東京を思い描いているのか、どんなところで暮らしたいと夢見ているのか、という素朴な「放言」がされたっていいだろう。「ピクニックさせろばか」みたいに。何かがまともではない、と直感するからこそ何とかしようと声をあげるんじゃないのか。もちろん、新しい物事を作ることに自分が参加して名を留めたい、という建設スキル集団特有の欲望が最初にあるのかもしれない。でも、所詮、高尚な「使命感」と「自己実現の欲望」なんて紙一重である(裏表ともいう)。夢物語を描いて、「現実的」な人に突っ込まれたら、逆にその「現実への実現」をいったい何が阻んでいるのかを緻密に検証するくらいの「バカぶり」を発揮したっていいだろう。デザインの必然性には敏感なくせに、「プロジェクトの必然性」については知的な言い回しばかりに終始するのはなぜだ。というような。でも、「公開会議」の議題には相応しくなかったかもしれない。まとまる話題でもないし、なんか、いまひとつ歯切れが悪かった。僕の「司会」も下手だったし。面白いところもあったけどさ。とほほ。

でも、そこんところを詰めておかないと、なんか数年後に「2000年代の初頭、都市再生や景観法制定など時代の思潮のなかで、東京の都市資源を再発見し積極的に利用しようという提案がいくつも行われた(例えば東京キャナルなど)」なんていう「歴史的な総括」をされちゃったりしないだろうか。

 (追記:同じことを書いている、夏のワークショップ参加者がいたので。)

後半は、五十嵐さん司会による「リレートーク」第2弾。役者が揃った回だった。小林博人さんは、実に魅力的な語りをする人で、聞き惚れてしまう。田島さんはまあ、いつもの名調子。 宮城さんもいつもの名調子。みんな、質問を振られても、まるで用意してあった原稿を読むみたいに淀みなくしゃべる、この「プレゼンの基礎体力」には驚嘆する。そんななかで、吉村さんが、マイクを向けられるたびに、え、あ、オレか、みたいな顔をして、言葉を選びながら発言するのがなんか、面白かった。いいキャラだ。限界があるという言い方も分かるが、自分としてはやっぱり、ものを作ることで良くすることに掛け金を置く、と言っていた、こういう人は信用できるよな。

終了後、廊下で宮城さんと、(もと)建築文化の編集の神中さんと立ち話。宮城さんは、学生からの評価ベスト1の教授なんだそうで、そういうところさすがというか。イベントばっかりやってないで、実施のデザインの仕事もしろよと背中をばんばん叩かれて言われてしまった。ううむ。やってるんですが(ジミチに)。

日曜日。妻は朝から仕事に出かけ、僕は自宅でベビーシティングに文字通り明け暮れる。自宅のPowerBookのメールボックスを整理したら、ゴミ箱から東京キャナルの連絡メールがぞろぞろと出てきた。スパム除けに、yahooやhotmailのような無料ウェブメールのドメインは問答無用でゴミ箱に直行するようにフィルタをかけている、そのせいである。もう。

というわけで、僕に関しては、この週末をもって、この夏以来の「キャナル活動」は(ひとまず)終了なのだった(宣言)。

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