2004年12月 6日

東京キャナル・銀座編

土曜日、「東京キャナル」の公開プレゼンテーション&リレートークに出席。

今回の展示のうち、僕が担当したのは「見えない川」というもので、「東京キャナル」のようなプロジェクトが標的にするスケールの風景を、いまいちど、違う縮尺から位置づけてみよう、というのが「ねらい」なのだった。手がけた本人が一番面白かったのは「上下水道」についてだった。特に下水道は面白い。都市のインフラは、間近で「実物大」で接するとその規模に圧倒されてしまうが、地形図くらいの縮尺で眺めると、意外な相貌を表すことがある。機能のみを負わされた都市河川が巨大な排水溝と化している、というのは今回のプロジェクトで繰り返し語られている話なのだが、それはあくまで「街区スケール」の事情を切り取ってみた断面である。

まあ心残りはいろいろとあるけどな。時間がなかったし。関係者が非常に多いなかで、短期間にとりまとめをしたスタッフが身を削るようなご苦労をされていたが、それでも「制作フェーズ」にしわ寄せが来るのはいかんともし難い。手島君がこの手のイベントのプロデューサーとしていかに優れた人材であるのかということが、振り返ってよくわかった。(←内輪受け用話題)

「リレートーク」は、五十嵐太郎さんの司会のもと、シーラカンスの小嶋氏、早稲田の佐々木葉氏、テレの久野氏、 の横に僕が並んでいるという、つまりもう、僕が背伸びをして何か気の利いたことを一生懸命考えて発言しなくても、他の4人が充分に役に立つことを述べてくださるだろうという布陣だった。そしてまさにその通りの展開だった。ことに、佐々木さんの冴えが感動的だった。話題は多岐に及んだが、五十嵐さんも連続3回のうち初回だからということであまり「まとめ」をしようとしなかったため、かえって気楽に座っていられた。

小嶋さんの「ほんとに長く持続するのはピラミッドでなくて、たとえば農業のようなものかもしれない」とか、「多少、人が死ぬくらいは許容するような枠組みのほうがいい(時節柄、場合によっては不謹慎に聞こえるかもしれないが、つまり、都市のハードウェアの『標準』を見直した方がいいんじゃないか、という意味です)」とか、佐々木さんの「技術がマチュアな社会とは、ハイテクからローテクまで多様性があって選択肢が広いことだ」とか、「川の上の首都高、と十把一絡げに語られるものにも、デザイン的にも優れた部分や駄目な部分があり、それは個別にきちんと「評価」すべきなんだ」という話、五十嵐さんの「こうした場で議論された内容を広く伝達するための言葉を鍛える必要があるかも」などという、印象的な発言がいくつもあり、僕はなんかそれなりに楽しんでしまったし、ネタもいくつも仕入れたが、聴衆が1000円払った価値があったと思ってくださったかは、はなはだ心許ない。五十嵐さんはあと2回、これの司会をされることになっている。大変である(でも五十嵐さんがこういう役にきわめて適任だということも、あらためてよくわかった)。

それにしてもまあ、話す側も聴衆も、ほぼ「内輪」で固まっていたのが残念だった。というか、なんか、結局こういうふうになっちゃうのが、この手のイベントの特徴であり限界であるような気もしてきたな。僕も来週、「公開会議」の司会をすることになっているのだが、なにを「会議」するか、実はまだ決めていないのである。なんか、渦中にいる僕がこういうことを言うのもなんだが、結局何のためにこういうことをしているのか、ますますわからなくなってきたんだが。

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