2004年11月 4日

地表系の系譜

「東京ナス化」について、印刷ではない媒体の企画/制作会社の方が取材に来られた。朝日のbeの記事を読んで、ということだったので、予想はしていたのだが、話を伺ったら、案の定「子供を背負ってママチャリで走るお父さんの微笑ましい趣味」というノリの企画案だったのだ。

ううむ、それは違うぞ。いや、そういう側面があることは否定しないが、今後はbeと同じ切り口はご免こうむる。というわけで、GPS(だいたい、別にGPSでなくってもいいのである。手軽に位置情報を記録できる測量ツールであれば)を「手がかり」にして僕らが何を「味わおう」としているのか、ということについて、センソリウムの「Night and Day」から、「Degree Confluence Project」「GPS Drawing com」「時空間ポエマー」「Urban Landscape Search Engine」「バーチャル卸町マップ」「My Landmark」「Geocache」「数値地図と衛星写真とカシミール3D」「Keyhole」、さらにデジタルマップフェアで仕入れたGISの話やパソコン地図、おまけに「地図Night」まで引き合いに出して、ひとくさり話をしてしまった(昼休みが潰れた)。

これが意外にも、というべきか、制作会社のディレクターのかたが「聞き上手」で(おおむね、こうした「編集」のプロは聞き上手が多い)、しかも、もともと地図や街歩きが好きな方だったようで、ちょっと楽しいひとときになってしまった。

天気予報には衛星写真が映され、都心の高層ビルからは模型のような「都市の風景」が眺められ、カーナビやデジタル地図が普及して、いつのまにか僕らは街や土地を「俯瞰する視点」を身につけている。現代の「遠景」だ。でも、むしろそのために、街に身を置いたときの「地表の実感」との乖離が埋めがたい。ことに、建物に覆われて見通しが利かなくなり、「中景」を失った都市部においてはそうである。モブログの多くの写真は、いわゆる「風景」でなく、レストランのテーブルに並んだ料理の皿だったり、道ばたの看板だったりする。ああいった、ケータイのカメラの被写界深度が捉える「近景」が、僕らの「地表の実感のスケール」なのだと思う。先述したようなプロジェクトはどれも、この「乖離」を、埋めないまでも「ちょっと接続」してみようという試みなのだ。

むろん、自分の「位置」を見定めたからといって、それで何かが大きく解決するわけではないんだけど。でも、日常、社会的に、時間的に、つねに「自分の位置」を確かめているように、自分が地上の「どこにいるか」を確かめたい、という抜きがたい衝動が僕らにはある(いや、あんまり関心のない人も多いみたいだが、経験的に、20人に1人くらいはそういう欲望を持っている人がいる)。これは実は、わりと根源的に、僕らの自己同一性に関わってくるくらいの「衝動」に思える。「地図好き」は、日本で初めて「茫漠たる座標系の上での自分の位置を確かめつつ」列島を一周した伊能忠敬から連綿と続く、「地表系の系譜」の末端にいるのである。名付けて「伊能組」。

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://fieldsmith.net/mt/mt-tb.cgi/214