2004年11月18日

日経ゼロワン

雑誌「日経ゼロワン」1月号の、「発熱・流行回路」という、デジタルもののトレンドウォッチのコーナーに、「GPSで遊ぶ人」のひとりとして掲載されました。

ライターの吉村さんの文章は、用語の解説とか、僕がしゃべりまくった話の要約とか、さすがにとても上手だ。同じ記事中で「交点ハンター」として紹介されている若狭さんとは、一度だけメールを交わしたことがあるだけなのだが、顔写真入りで「ご一緒」すると、なんだか顔見知りになったような気分。

もしお手元にありましたらご笑覧ください。巻末、195ページ。

2004年11月13日

街野草

@nifty:デイリーポータルZ:東京各所の雑草でコケ玉を

うわ!やられた!
雑草の種類の同定はいい加減だし(ぜんぶオオバコにするなよ。。図鑑持って回りなさい)、リュウノヒゲが雑草呼ばわりされているし、自由が丘の「コケ」はあれは壁面緑化のセダムだ(造園屋さんが気の毒だ)けれど、まあそういうのは野暮な突っ込みで。各地の雑草の「寄せ植え」なんか、けっこういい。

東京街野草の会」←そのうちやろうと思ってたのだが、うかうかしていたら、先に実践されてしまった。フットワークがいいなあ。デイリーポータル。勝手にライバル視。

2004年11月12日

ジオウォーキングの予感。

夕方、事務所に東大・生産技術研の田中浩也さんが来られ、しばしミーティング(というかおしゃべり)。

田中さんPhotoWalkerの開発者。説明すると長くなるのでリンク先参照ください(田中さんが帰られたあと、事務所の若い連中に「あれはどなたですか」と訊かれ、フォトウォーカーの開発者だと言ったら、ちょっとしたどよめきが起きた)。

PhotoWalkerは、街に接近する手がかりのスケールという点では、「近景」の連鎖を「中景」に翻訳して組み立てて見せるものだ。このアプローチは、地上での「遠景」が稀な、都市部で特に有効だと思う。佐藤さんが、建築「体験」を編集・公開するための道具として応用されている(というか使いタオシておられる)。田中さんによれば、佐藤さんというパワーユーザーからのフィードバックは、Photowalkerのバージョンアップに多大に貢献しているそうである。

次なる「ツール」として、田中さんが作り始めているのは、仮称「Geo Walker」という、「視覚」にフォーカスしているPhotoWalkerとはちがうやりかたで、歩行のリズムやピッチや、建築の床やエレベーターも含めた「土地の起伏」の体験をデータに翻訳して記録できるようにする、「地表系システム」である。開発の参考にラ系の意見感想を採集するために来られたのだった。

「試作品」と、その「再生」を見せてもらったのだが、これがまた、感動的に面白い。会社にゼロックスのJ-Star(Mac開発のきっかけになった、Xerox Starの日本語版ですね)が来たときに見たデモとか、HOKで初めて本格的なCADというものを触ったときとか、西村佳哲にハイパーカードを教わったときとか、しかしどれもこれも古いなあ。最近では初めてeTrexの電源を入れたときだろうか。まあともかく、たまにそういう「う!ここを開けて先へ行くとすごいぞ」という、ちょっとだけ開いている期待の扉の前に立ったような気持ちを味わうことがあるが、Geo Walkerはかなり有望でわくわくさせる夏への扉の予感がするぞピート。


帰路。

終電間近の山手線は混む。

僕は原宿ー新宿間を利用しているが、山手線外回りは、新宿高田馬場池袋方面へ向かう、渋谷で乗り込んできた、ほろ酔い加減の若年齢乗客群がぎっちり詰め込まれた状態で原宿へやってくる。

混んでいるといっても、朝の通勤ピークの押し寿司みたいな混み方にくらべればちょろい状態なのだが、混雑の中の身の処し方というか、車内やホームでの移動には、この時間帯独特の困難さがある。乗客に「満員電車的振る舞いのスキル」が欠落している人が多くて、ひとりひとりが、周囲にほとんど「対応」しようとしない。身の回りの状況をぜんぜん受信していないみたいに見えるのだ。

まあ、ヘッドフォンかけてケータイでメールしたりして、「心ここにあらず」状態だから無理もないが、せめて、ドア際に立ってるくせに、降りようとする「流れ」に対抗して身を固くするという、射程距離ゼロの無意味な突っ張りはやめてほしいんだよな。新宿へ着いたとき、ワカモノが二人、乗降客を混乱させたうえに結局もみくちゃになりながらホームへ押し出され、「なんでこんな混んでんだよ」「あー、松本へ帰りてえ」と文句を言った。止めねえよ。松本へでも南アルプス市へでも帰れよ。あるいは朝8時の総武線で研修してから来い。

2004年11月 9日

「政治的に正しい風景」に怖じ気づくことについて。

http://www.ktr.mlit.go.jp/toukoku/michikeikan/shinsa.html

公園が1位になっちゃうのか。。。

首都高を護岸の一部にするとか、首都高のシステムを見直して路面電車を導入するとか、首都高を「建築化」して日本橋の街のインデックスにする、というような案が「次点」になっている。

最優秀賞はたしかに、一目で(少なくともプロ意識や知的特権者意識が余計な邪魔をしなければ)「こうなったらいいなあ」と思わせる、きわめて「まっとう」な風景像を描いている、と思う。いやもちろん、いろんな留保がくっついてくるのはわかっている。でも、これをまともに「よい」と「言えない」不健全さについて、ちょっとまじめに考えないといけないと思うな。

とはいうものの。趣旨説明文の、この、目眩がするような常套句のコラージュはいったいなんだ?「癒しの軸」はないだろう。軸が癒すのかよ。こういう、素朴でストレートなイメージが、えてしてチープな決まり文句とセットで出てきてしまうのが困る。僕がこういうのを咄嗟に素直に喜べず、警戒しちゃうゆえんなのである。

2004年11月 6日

The Degree Confluence Project

先月、残り少ない日本の「未訪問」の交差点二つが「制覇」されていた。

北海道の交差点。
45N,142E
http://www.confluence.org/confluence.php?visitid=9666
この方の「訪問記」もユーモアがあって面白い。熊よけの鈴をつけていなかったため、口笛で「森の熊さん」を吹きながら進んだそうで。

すごいのはこれだ。
37N,139E
http://www.confluence.org/confluence.php?lat=37&lon=139
本州の陸上では最後の未訪問交差点だった。山中でキャンプしながら3日がかりで到達している。訪問記はほとんど、どこかの未踏峰に挑んだ「登頂記」みたいである。僕は(稜線を歩くだけの縦走登山だが)谷川岳とか巻機山とか、上越国境の山に登った経験があるので、このポイントに到達する困難さはよくわかる。いやあ素晴らしい。拍手。お疲れ様でした。

2001年の6月に九州で初訪問されてから3年半、訪問された日本のポイントは44カ所。おおむね1ヶ月に1カ所の割合で「制覇」されてきたわけだ。これで、日本の陸上のポイントで未訪問なのは北海道にひとつ残すのみになった。
http://www.confluence.org/country.php?id=74
北海道にお住まいのどなたか、いかがでしょう。

「未訪問ポイント」がなくなると、初訪問のプレッシャー(?)も感じずに、落ち着いて「再訪問」できそうである。3年前、当時まだ妻のおなかの中にいた長男(しかもそのときは気付いていなかった)とともに行ったポイントに、また行ってみようかと思ったり。

2004年11月 4日

地表系の系譜

「東京ナス化」について、印刷ではない媒体の企画/制作会社の方が取材に来られた。朝日のbeの記事を読んで、ということだったので、予想はしていたのだが、話を伺ったら、案の定「子供を背負ってママチャリで走るお父さんの微笑ましい趣味」というノリの企画案だったのだ。

ううむ、それは違うぞ。いや、そういう側面があることは否定しないが、今後はbeと同じ切り口はご免こうむる。というわけで、GPS(だいたい、別にGPSでなくってもいいのである。手軽に位置情報を記録できる測量ツールであれば)を「手がかり」にして僕らが何を「味わおう」としているのか、ということについて、センソリウムの「Night and Day」から、「Degree Confluence Project」「GPS Drawing com」「時空間ポエマー」「Urban Landscape Search Engine」「バーチャル卸町マップ」「My Landmark」「Geocache」「数値地図と衛星写真とカシミール3D」「Keyhole」、さらにデジタルマップフェアで仕入れたGISの話やパソコン地図、おまけに「地図Night」まで引き合いに出して、ひとくさり話をしてしまった(昼休みが潰れた)。

これが意外にも、というべきか、制作会社のディレクターのかたが「聞き上手」で(おおむね、こうした「編集」のプロは聞き上手が多い)、しかも、もともと地図や街歩きが好きな方だったようで、ちょっと楽しいひとときになってしまった。

天気予報には衛星写真が映され、都心の高層ビルからは模型のような「都市の風景」が眺められ、カーナビやデジタル地図が普及して、いつのまにか僕らは街や土地を「俯瞰する視点」を身につけている。現代の「遠景」だ。でも、むしろそのために、街に身を置いたときの「地表の実感」との乖離が埋めがたい。ことに、建物に覆われて見通しが利かなくなり、「中景」を失った都市部においてはそうである。モブログの多くの写真は、いわゆる「風景」でなく、レストランのテーブルに並んだ料理の皿だったり、道ばたの看板だったりする。ああいった、ケータイのカメラの被写界深度が捉える「近景」が、僕らの「地表の実感のスケール」なのだと思う。先述したようなプロジェクトはどれも、この「乖離」を、埋めないまでも「ちょっと接続」してみようという試みなのだ。

むろん、自分の「位置」を見定めたからといって、それで何かが大きく解決するわけではないんだけど。でも、日常、社会的に、時間的に、つねに「自分の位置」を確かめているように、自分が地上の「どこにいるか」を確かめたい、という抜きがたい衝動が僕らにはある(いや、あんまり関心のない人も多いみたいだが、経験的に、20人に1人くらいはそういう欲望を持っている人がいる)。これは実は、わりと根源的に、僕らの自己同一性に関わってくるくらいの「衝動」に思える。「地図好き」は、日本で初めて「茫漠たる座標系の上での自分の位置を確かめつつ」列島を一周した伊能忠敬から連綿と続く、「地表系の系譜」の末端にいるのである。名付けて「伊能組」。

2004年11月 2日

「東京ナス化計画」

先週末以来、「東京ナス化計画」という検索キーワードによるヒットが激増し、こちらもそれで検索したら、記事にされているblogをいくつか発見したので、記念にトラックバック。

http://blog.bibinko.com/
とても丁寧なご紹介と解説。

http://bright-yellow-2.way-nifty.com/aquazone/
受信機、個人的にはGARMIN Geko201がおすすめです。

http://dragon-tips.cocolog-nifty.com/dragon_tips/
なるほど。絵を見つけるのは、あたらしい街の名を呼ぶこと、なのかもしれないぞ。

http://tonton1234.ameblo.jp/
ケンチク家も普通の人から見たらマニアックですよね。けっこう。

http://yomikaki.hiho.jp/blog/
こちらにも「地図好き」が(というか登山者は基本的に地図好き)。「地図愛ネット」が作れそうです。

http://yuki-monologue.air-nifty.com/
「グッジョブ」ありがとうございます。

http://www.kanshin.jp/bicycle/index.php3?mode=home&id=19636
関心空間:「自転車部」。

http://blog.livedoor.jp/jangada25/
時々日記@jangadaさん。

http://d.hatena.ne.jp/rikuzen/
はてなダイアリー、yskさん。

サイエンスライターの森山和道さんの日記にも。
http://www.moriyama.com/diary/2004/diary.04.10.htm#diary.04.10.31

地図といえば、先週、日本地図センター主催の「デジタルマップフェア2004」に行ってきた。仕事柄、植生や地形の解析や、景観シミュレーション(といっても、簡易な「なんちゃってシミュレーション」なんだけど)をするので、いちおう「仕事」である。

本格的なGISを構築するシステムを売っていたりする企業のブースでは、説明を聞いても半分もわからない(何ができるかは理解できるが、現在の技術がよくわかっていないので、それが従来のものと比べて、どう画期的で有効なのかがわからないのである)のだったが、電子地図とか航空写真とか地形データによる立体模型とかExel使った簡易GISとか、仕事にも楽しみにも使えそうなネタを両手いっぱいに仕込み、販売コーナーで日本地図センターの月刊誌「地図中心」のバックナンバーを何冊も買って帰ってきた。楽しいひとときであった。

*記事を修正して保存しなおしたら、間抜けにも2重にトラックバックが送られてしまった。。。すみません。慣れていないもので。

追加(11/06):
http://yaplog.jp/morigaki/
北海道、道南は瀬棚の「モリガキ農園」から。
実は、この若き農場主の奥様が、僕の高校の後輩で、大学時代に母校で教育実習をした際の「生徒」のひとりなのだった。彼女からメールを頂いたんだけど、連絡を取ったのは実に18年ぶり。全国紙の威力だ。

農園のホームページには、全編「北の国から」のセットのごとき美しくも牧歌的な風景の写真が並んでいるが、これは本当である。こういう場所である。僕が卒業した高校では、修学旅行の一環として、この地域の酪農家で1週間ばかり実習するという伝統があって、僕もお世話になったことがあるのだ。積み上げた牧草のカタマリの上に乗っかって、トラクターに引かれて牛舎へ戻りながら眺めた、周囲の森と牧草地の起伏の連なる向こうの海を染めて沈む夕陽はほとんど「荘厳」というべき風景だった。僕の高校は普通高校にしては異様に農業系へ進む卒業生が多いが、これには、あの風景も大きく「効いて」いるだろうと思う。

ただし僕の場合、実習が始まって3日目に発熱して倒れ、2日間、宿舎で寝て過ごしつつ、自分がこういう職業に向いていないということを思い知った(しかもそこは、瀬棚の中でも実習生にやさしい作業を課すことで知られた農家だった)。

この地域も、離農者(農業を諦めて出て行く人)が相次いでいる一方、こうして新たに入植して農業を始める若い世代が何人もいるそうだ。頼もしい。