2004年10月31日

茶の間、子育て、リンゴ

通勤本:
西川祐子「住まいと家族をめぐる物語」(集英社新書、2004)
興味深い題材なのだが、どうしてこんなに面白くないんだろう。文章も読みにくいし。

スティーブン・ピンカー著、山下篤子訳「人間の本性を考える」(NHKブックス、2004)
あまりにネタ満載で、どうしたらいいのかわからない。少し読み進んでは本を閉じて目を中に泳がせて考え込んだりしたので、時間のかかる読書だった(上中下あわせて3週間くらい持ち歩いた)。実に応用が利きそうな。

マイケル・ポーラン著、西田佐知子訳「欲望の植物誌」(八坂書房、2003)
これは面白い。なんとなく考えていたことではあったし、園芸愛好家の集まりなどではしばしば話題にのぼる話ではある。変な言い方だが、著者の、「自然」や「人為」といった下手をすると政治的・道徳的なニュアンスを帯びてしまう概念に対する、なんともフェアな物言いが気持ちいい。

ハチドリね・・・

木曜日。東京キャナルの次の展示会への打合せ。話ははずむし、どうせならやってみたいこと、などはいくつも思いつくが、なにしろ時間と労力に限りがある。締め切りがないと何もしない僕には、こういうのはよい機会ではあるんだけど。

金曜日。建築文化の12月号を送って頂いた。東京キャナルワークショップの「レポート」の依頼を頂いて書いたので。そしたらなんと、これから休刊する「最終号」であった。。。こういう雑誌がなくなっていっちゃうんだなあ。寂しい。

RLA(登録ランドスケープアーキテクト)事務局から、試験の合否通知が届いた。まるっきり、来年の再試験を覚悟していたのだが、開けてみたら合格していた。やれやれ。一安心だ。合格率20%あまりという、なかなか狭い関門だったようで、散々だった試験の手応えからすると、辛うじて受かったんだと思う。僥倖としか言いようがない。いやはや。

土曜日。早朝、年賀状のやり取りくらいの間柄の古い知り合いからいきなり電話がかかってきて、「全国紙」の威力を思い知った。
http://www.be.asahi.com/20041030/W27/0016.html
でも荒俣館長、「絵」が目的じゃないんです。それは逆です。
といいつつ、「ハチドリか・・」とつぶやいているわたくしです。ハチドリね・・・

2004年10月29日

Trick or Treat and We Trick Anyway

ハロウィンネタが増えました。仕上げは今週末のカボチャです。

2004年10月28日

メモ

・忙しいときに限ってあらゆる仕事が動きだし、ほとんど嫌がらせのごとく輪をかけて忙しくなるのはなぜだ。
・デジタルマップフェア。
・東京キャナルのワークセッション。

在来種生態系 vs. 水稲文化

(社)日本植木協会のかたが職場に来られ、あたらしい企画のお手伝いの依頼を頂いた。緑化産業も「努力中」という感じである。頑張って欲しい。

それはそれとして、ついでに持ってこられた、環境緑化新聞に農大の近藤三雄さんが連載しているコラムの切り抜きが面白かった。「緑化用植物の使用に正しい理解を」というもので、来春施行される「特定外来生物被害防止法」をはじめ、近年、盛り上がっている「生物多様性の保全」をめぐって、「一部の識者が都市緑化、果ては建物の屋上等の緑化建築の場面にまで外来植物の使用を排斥し、在来植物の導入を叫ぶようになった」ことを批判したものだ。

僕は、この在来種/外来種の話題に対しては、一種のナショナリズムというか、議論を拒絶する郷土主義のようなものを感じて警戒してしまう。そういう議論がわき上がる背景については興味があるが、外来種排斥の看板を立てて歩いてくる人とは個人的に会話したくない。

去年のことだけれども、朝日新聞社の雑誌AERA、12月8日号のコラム「明日はどっちだ!」に、「屋上緑化の落とし穴」と題するインタビュー記事が掲載された(わざわざ取ってあった)。語り手は(財)日本生態系協会の会長、池谷奉文という人。

大都市のビルなどで屋上緑化が進んでいます。東京の新しい人気スポットとなっている、最近できたばかりの高層ビルにも、「日本の農の風景」を再現したという触れ込みで、屋上に水田や野菜畑などが作られています。しかし、肝心の水田の周りに生えている草花がマリーゴールドなど外来種であることに気づいた人はいるでしょうか。残念ながら、「日本の自然」とは似て非なる世界です。こんなところに施工した人々の生態系に関する無関心が表れています。緑であれば何でもよいということなのでしょうか。

六本木ヒルズのことだろう。マリーゴールドなんて植わってたっけ?LD誌掲載写真では、土手にジャーマンアイリスが植わっているが(どっちもどっちだが)。

池谷氏の主張は、

  • 屋上緑化が持てはやされている。しかし、推進、供給者が植物の種類に無関心であるため、見栄えのみが追求され、外来種が多く用いられている。
  • 我々がドイツの屋上緑化の事例を日本に紹介したのだが、「生物多様性の維持」という理念が日本では忘れられて形骸化したのだ。
  • 外来の園芸品種が使われるのは、屋上という特殊環境が要求する性能と、生産・流通の都合である。
  • 外来種が多量に持ち込まれ、野生化すると、その土地本来の植生が圧迫されたり、遺伝子汚染が起きたりする。
  • ダムや道路など土木建設の現場でも、緑化に外来種が用いられる。
  • その地域ごとに異なる、本来の生態系をよく理解し、同じ水系内の植物を用いるなどの手法が望ましい。
  • 「緑化」という言葉はよくない。元あった自然を復元するのが目的であるから「自然化」というべきだ。浅はかな緑化はむしろ自然生態系を破壊する。

  • というものである。

    論旨がほとんど(というか完全に)「こじつけ」なのは、もともと言いたいことはひとつしかなくて(日本の本来の自然生態系を守ろう)、屋上緑化についてという題で話せと言われたので、それにかこつけてしゃべった、というところなんだろう。外来種の導入が地域の本来の生態系を圧迫するという主張のために、六本木ヒルズを持ち出すのは的はずれである。たとえば渋谷川水系に固有の「シブヤマツヨイグサ」とかがあって、絶滅の危機に瀕していて、その貴重な群落がヒルズの敷地内にある、とかでもない限り。

    ただまあ、LD誌の記事中、設計者によるこの屋上緑化の「コンセプト」説明文には、水田のある空中庭園で「日本の豊かな水稲文化に触れることができる」とある。これはこれで、マリーゴールドはともかく、僕だってちょっと何か言いたくなるけどな。

    2004年10月27日

    Jack-O Onion

    CIMG0869.jpg
    オノウマキコ作、タマネギランタン。

    薄皮の効果といい、スライスしたタマネギがずれてる造形といい、じつによくできてます。
    製作も簡単だそうです。やるじゃないかオノウ。

    2004年10月26日

    一見タフなのに繊細なやつ。

    土曜日。
    ほぼ1年半、使用しているデジカメが故障した。電源を入れるとエラーメッセージが表示され、あとは何をしても何も動かない、という状態になり、やむなく購入した調布のジョウシンデンキへ修理依頼に持っていった。

    使っているのは、CanonのIXY Digital 30というやつだ。性能も使い勝手も申し分ないし、角張ったボディの形と、適度な重量と、ステンレスの手触りもよい。手に持ったとき、どこか、まるでジッポライターのような、「使い込みたくなる」ような感じがして、それが気に入っている(いた)。

    以前、買ってすぐに同じ症状に陥ったことがあり、やはり店頭へ持ち込んだのだが、そのときにはその場で新品と取り替えてくれた。今回は、購入後1年以上経っていて、メーカー保証も切れているし、機種がモデルチェンジしてしまっているし、さすがに取り替えは無理で、修理のために2,3週間お預かりすることになります、ということだった。購入時、ジョウシンの「延長保証」というオプションも買っていたので、今回の有償修理はそれでカバーできるようである。

    でも、製造者が1年しか「正常動作の保証」をしていない、ということは、1年したらデジカメなんて「壊れ始める」ものだ、と見なされているわけである。1年って、道具の寿命としてはあまりに短い。対応してくれた店員はオヤジ客のそういう詰め寄りにも慣れているらしく、「まー電子回路のカタマリの精密機械ですからねー」とソツなくかわされてしまったが、なんか、どうも腑に落ちないのだ。

    たぶん、IXYの「ジッポライター的外見」と、1年で故障し始める「デジタルカメラ的構造」とにギャップがあって、僕がそれをうまく飲み込めないからなんだろうと思う。だって、いかにも長持ちしそうな、「愛用できそう」な様子なのだ。設定値段によるモデルの「階級」の差はあれ、メーカーや機種によるデジカメの性能の差はもはや、ほとんど拮抗しているみたいだし、その意味では、思わず持ち歩きたくなるような「見てくれ」をしている、というのはその製品のマーケティングとして有効なデザインだということだ。すくなくとも、「カメラというのは手を入れながら何十年でも使い込むものだ」という意識を持っている(いた)僕には、このジッポ的デザインは訴えた。じつに釣りやすい消費者だ。

    電子機器に限らず、僕は長く使えそうな外見の「道具」に惹かれる傾向があって、使い込めそうな、いつも使いつつ、いつまでも使っても飽きない、ように感じるものを選んでしまう。実際、定期入れも財布も、じつに20年以上も使っている。でも、電子機器などはたとえどんなに丁寧に使っても(あまり丁寧に使わないが)数年もしないうちにその性能自体が「古く」なってしまったりする。外見はかわらないのに。この「ジッポ/デジタル・ギャップ」のせいで、僕はいままで購入して使用した歴代のノートパソコンや携帯電話を捨てたり下取りに出したりできず、自宅にはPowerBook140やらDuo230やらSony製のジョグダイアル初代の黒くて大きなケータイやらがコレクションのように積まれている。

    でも、かと言って、構造と外見が正しく一致した、いかにも1年で保証が切れそうな、コンビニ売りのビニール傘のようなデザインのデジカメが売られていても、僕はたぶん買わないんだろうなあ。きっと、20年くらい酷使できそうなジッポ風のものを選んで、結局また「ジッポ/デジタル・ギャップ」に煩悶し、数年後にジャンク・コレクションを増やすのだ。

    いよいよ秋が深まってくるとだ。

    この季節になると、日ごとに冷たくなる空気の感じとともに、ハロウィンから感謝祭をへてホリデイシーズンに突入してゆくアメリカ中西部の秋の風景が鮮明に浮かんでくるのです。何だかんだ言って、あのころが僕の感受性のピークだったんじゃないか、などと年寄りじみたことを思ったりするこのごろです。

    「ハロウィン・ジャパン・インフォ」が30万ヒット。おめでとうございます。

    こちらも、ささやけきネタを仕込み始めました。
    http://members.jcom.home.ne.jp/bobsmith/jack2004/

    さっそく、まわりぶろぐにトラックバックだ!

    2004年10月22日

    someone to watch over me

    http://hamatomo.s57.xrea.com/mt/archives/cat_07_jiyugaokaoen.html#000098

    お雇いの「初老ガードマン」は調布でも見かける。僕の通勤経路にある、桐朋学園(音大)の女子寮のセキュリティである。夜になると、寮の入り口近くと、少し離れた布田天神横の角とに、制服を着た警備員が立っている。「防犯」というよりも、「女子音大生を寮まで送ってきたオオカミを追い払う」という効果を発揮しているような様子。

    Googleで「桐朋学園 女子寮」と検索したら、電通大の「大学広報」のバックナンバーがトップに表示された。いわく:

    5月1日(金〉午後11時〜11時半ごろ桐朋学園女子寮に二十数名ぐらいの酒に酔った者が押しかけ,入口のガラスをけったり,窓ガラスを叩いたりして騒いだ。そのため女子寮から警察に連絡があり,パトカーが来て静めた。そのとき騒いでいた者は「われわれは電通大の学生で,コンパをしたあとだ」と警官に云ったというので警察からその旨の連絡があり,今回は取りあえず解散させたが,今後このようなことが繰り返されれば強い措置をとらざるを得ないとの見解であった。 女子寮の話では従来も時々ビラ貼りに来る者があったとのことであるが節度を越えた行為は厳につつしむべきである。(電気通信大学広報 第44号 1970[昭和45]年5月8日発行)

    うわはは。
    電通大は女子寮と道路を挟んだ向かい側にある。いまでも男子学生のほうが多いように見えるが、1970年頃なんて、ほとんど「男子大学」のようなおもむきだっただろう。それにしても、30年以上も昔の広報が律儀にHTML化されているのは、なんか微笑ましい。

    一橋大学の寮生が津田塾を襲う、有名な「ストーム」みたいである。と思ったら、

    http://www.vrenpo.com/kunitachi/reports/0104/media04.html

    2001.4.16 朝日 伝統の「ストーム」一橋大で今年も 一橋大の一橋寮(小平市)に住む男子学生らが、 津田塾大の寮に押しかける行事「ストーム」が、12日夜行われた。 1930年代から続くという伝統行事で、男子禁制の女子寮が、 この日だけは男子学生の立ち入りを許す。 津田塾大によると、かつては一橋寮の男子学生らが酒の勢いに任せてやってきていたが、 最近は事前に計画書を出してくるようになり、半ば「公認行事」になっているとのこと。 普段は午後8時に閉める正門を、 守衛がこの行事のために1時間あまり早く閉めて一橋寮生を待つという。 午後7時前。800mほど離れた一橋寮から走ってきた50人ほどの学生らが、 竹刀を持った渡辺信仁寮長(20)の「いけー」というかけ声とともに 津田塾大の正門をよじ登る。 見守る守衛や教職員から「がんばれよ」と声が飛ぶなか、 男子学生らは歓声を上げながら津田塾の寮に入り、 お茶やお菓子を用意して待つ女子学生らと約2時間、話に花を咲かせた。 津田塾大2年生で寮生委員の伊藤さやかさん(19)は 「1、2年生にとってはけっこう楽しみなんです。 表面上は行事を面倒がっても、本当はうきうきしている」 一橋寮の渡辺さんは「これで仲良くなることも結構あるんです」 津田塾生がお返しに一橋寮を訪れる「ブリーズ」も、17日に行われる予定。

    伝統は単なる「合コン」として存続しているのだった。めでたい。

    2004年10月21日

    必然建築・デザイン土木

    藤村さんのジャーナルより:
    http://www.round-about.org/diary.html

    ここで問題とされるべきは、「必然性」を根拠にするデザインの姿勢そのものについてではないだろうか。建築は(あるいは土木的構造物は)、どんなに自然的、道徳的、論理的な「必然性」をもとに作ったとしても、立ち上がってしまえば新たな必然性=物理的制約を作り出してしまう側面があることに注意する必要がある。「必然性」を拠り所にした建築が「必然性」を再生産している可能性について議論することなしに「必然性」をもとに建築をつくっていく姿勢を「透明」なデザイナーのあり方として無批判に賞賛する風潮が蔓延していることはもっと問題視されるべきではないか。

    「落とし前をつけろ」には賛成。そりゃあそうだよなあ。だって、そこに「生えた」わけじゃないだろう。そもそも「文」あってこそ「文脈」があるわけだし、いかに不自然でないかを訴えられても、それが「なかったことになる」のは無理である(逆に、大規模に地形っぽく作って「あたらしい自然」とか言いつのるのも、それはむかつくけれど)。

    でも、もし、「あるべきようにつくる」ことが建築の「正しさ」を保証する、というか、建築することを「免罪する」かのような気分があるとしたら、それはそれで興味深い。土木からは「必然建築」だって充分に自己言及的に見えるんじゃないかと思うが。つまり、「建築」の「必然性」と「恣意性」の振れ幅なんて、やっぱり建築論の範囲の話なんじゃないか、と思うのだ(むろん、それが悪いということではない。そうした議論自体はえてして面白いし)。

    「土木的構築物」というと、うっかりすると橋梁やダムを思い浮かべるが、実際に僕らの生活に日常的に浸透している、典型的な土木構築物は、道路とか排水溝とか電柱とかである。そういうのは通常、そのデザインの「必然性」が議論されたりすることはぜんぜんない、批評フリーな構築物である。土木の場合、しばしば問題にされるのはデザインの自明さの水準でなく、その自明さを自明たらしめている(とされた)ものに対してである。日本橋上空の首都高をめぐる議論は、あれを作らしめた価値観や意味について行われるのであって、「デザイン」が議論の俎上に乗ったのは聞いたことがない。もっとも、最近の土木はメタな批判をデザインのレベルの努力で何とかしようとしているみたいに見える。

    そういう意味では、土木は「必然建築」よりも、建て売り住宅群とか通販のインテリアなんかに近いような気がするけどな。いや、建て売り住宅群と「建築」を隔てているのも、言ってみれば建築論的分類なんだから、ひとまとめにその「グラデーション」を眺めてみるという、「建築の文化人類学的批評」があったっていいんだけど。

    ジャック・オ・野菜

    041021_1604001.jpg
    台風一過。空が高い。

    041019_2113001.jpg
    今年は、カボチャ「以外」の野菜を使ったランタンに挑戦してみようと思います。
    >ハロウィン

    分別ゴミ

    ううむ。なんだかスパムメールが激しい。

    ここ1年ほど、広告や勧誘やウィルスらしき添付ファイル付きのメールを受信するたびに、メーラーの受信フィルターを増強し続けている。しかも、本文の一部やヘッダの情報やメールのサブジェクトや差出人の名の一部を場当たり的に登録しているため、フィルタリングの設定条件がものすごい数になっていて、僕自身ももはや全貌を把握できないくらい、複雑で過敏なことになっている。

    サブジェクトに「広告」はもちろん、「裏技」「貴方様」「期間限定」が入っているとアウトである。本文に「無料の」「今すぐ」「あなただけの」その他、思わせぶりな単語が含まれていてもアウト。差出人やその他のヘッダにかけたフィルターは多すぎて列挙できないが、すくなくともyahooとかgooとかhotmailその他、無料のウェブメールのドメインはフィルタアウトされる。

    フィルターと言っても、受信時に自動的にゴミ箱へ直行するだけなので、いちおう、一旦ハードディスクには保存される。でも、ゴミ箱のメールはまず見ることなく、数日おきに削除してしまう。中には僕宛てに送って下さった真面目なメールもいくつか混ざっているかもしれないのだが、なんというか、申し訳ないけれどもそのメールとはご縁がなかったのである。大量のゴミメールをひっくり返していちいち中身をチェックできない。そもそも、そういう労力を省くためにフィルタリングしているんだし。

    2004年10月20日

    電波なわたし。

    おお。地図NIGHTに参加された谷口さんの日記を発見。
    http://www.asahi-net.or.jp/~iw8n-tngc/dialy/

    谷口さんが持ってこられたニューヨークの、角度を変えると地下鉄路線図が浮かぶ「レンチキュラーマップ」は面白かった。現代の都市の地表は、構造物が立体的に錯綜していて、平面に印刷した「地図」に表現することが困難になっている。でも、工夫次第で「平面への意外な照射のしかた」はまだまだありそうで、楽しみだ。

    > GPSの数値を基準に移動してみると普段行かないようなところに行けるというのがぐっと来るそうだ。
    > ある意味、衛星からの電波に動かされているとも言えるんじゃないかな。

    ううむ。「ある意味」って「どの意味」だろう。谷口さんがどういうニュアンスでおっしゃってるかにもよるが、もし、(僕も含めてGPSで遊んでる連中が)自分が関与できないスケールのテクノロジーに踊らされている、というような意味だとすると、それは違うよな。僕の説明が下手だったんだなきっと。

    別に、GPSでなくてもいいのである。GPSは、現在、たまたま使えるツールであるに過ぎない。所詮はアメリカの軍事技術の民間へのおこぼれの解放であって、何かの拍子に、やっぱりやめます、と言われて電波が消えちゃったりしても文句は言えないし、システムや機器の精度や規格が変われば地上の位置も数字も変わる。GPSが表示する「数値」や、衛星から降ってくる「電波」に、何か意味がある、なんてことを思って使ってる人など、誰もいない。そもそも緯度経度が恣意的な取り決めであることくらい、誰だってわきまえていると思う。要は、それに乗って何を見るか、ということなのだ。

    GPSなど持っていなくても、僕らはいつも「動かされている」。地上を移動するとき、僕らは常に(自覚しているかどうかにかかわらず)大きく制約を受けている。自由に歩いているようなつもりで、実は僕らが足を踏み入れることができる場所というのは、社会制度的・物理的に、非常に限られている。歩ける面「以外」を塗りつぶしたら、隙間のようなわずかな「模様」を残して、ほとんど真っ黒な地図になるだろう。車に乗れば、「車道ー車両系」の制度・ルールと物体的な特性の制約の中でしか移動できないし、電車や飛行機だとその「決められたコース」はもっと極端に動かなくなる。道路地図や路線図というのは、「この交通手段ではこの範囲しか行けません」というルールの分布図みたいなものである。

    でも、逆に、そういう「ルール」の補助線から見えてくるものがあるわけだ。道路の成り立ちからは、移動や居住や生産をめぐるその土地の歴史が浮かんでくるし、道路や橋梁の物体的特性からは、地形や土地の所有区分や行政の論理と、車両の性能との「拮抗」が見えてくる。その「拮抗」は、土地の意外な潜在性をあぶり出していると同時に、道路そのものの潜在性もあぶり出していて、たとえばそこに道路の「デザイン」の余地が見えたりするんじゃないだろうか。(引き合いに出すのもアレだが、宮本さんの「環境ノイズエレメント」とか、吉村さんの「超法規的建築」とか、TPCの「ブラウンフィールド・ピクニック」とかも、そういう着眼なんじゃないかと思う)

    いや、なにも、何もかもをデザインの対象として眺めるということではないんだけれど。というか、こういうことをくどくどと説明したくなるのが僕の野暮なところだな。つまり、つい自明のことのように見てしまう「土地を覆う錯綜した事情群」を、いったんリセットして眺めてみることを可能にする、お手軽な補助器具として、ハンディGPSもなかなか優れものだと僕は思いますよ、ということです。
    (それと、巨匠と呼ばれる、というのはやめてくださいね。まじで)

    でも「記憶地図」は面白そうだなあ。自分が「知ってる」と思っているところの「記憶」と、他人の「記憶」とを重ねてみたいなあ。こういうの、考えはじめると止まらなくなっちゃうな。

    2004年10月18日

    カボチャ都市・蕨

    ナカムラさんとオノウさんが、ハロウィン用カボチャランタンを描いてくれました。

    http://fieldsmith.net/gps/wp/

    全周47kmというのは、東京ナス化計画史上、最大距離記録です。すごい。
    それにしても所要時間8時間弱。
    お疲れ様でした。

    続きを読む "カボチャ都市・蕨"

    2004年10月17日

    地図NIGHT。

    土曜日。「地図NIGHT」に参加した。

    ULSE(アーバン・ランドスケープ・サーチ・エンジン)の主催のひとり、岩嵜くんの呼びかけで、
    > 意外と多そうなそんな地図好きな人たちが一同に集まって、普段
    > は周囲の人たちになかなか切り出せない(?)地図の話で盛り上がれれば楽しい
    という、膝を打つようなスポット・ヒッティングな趣旨の集まりであった。

    夜7時半、ULSEのメンバーや、知り合いで「好きそう」な人たち(帰国間もない霜田くんまで顔を見せた)や、本江さんのウェブログ見て来られた専修大の先生まで、十数人が東麻布の「foo」に集合し、明治の陸軍陸地測量部の作成図、渋谷「記憶地図」、Googleの全国市町村別「地名検索ヒット数」分布図、商店街活性化プロジェクトとしての「ULSE地域版」、市民参加「グリーンマップ」、アメリカの都市のサイクリングマップ、汎地球人工衛星データ閲覧ソフト、函館関心空間「つながり」マップ、Yahoo!電話帳データ利用による首都圏コンビニ分布図、京都市の「史跡今昔鳥瞰図」、縄文海進時の海岸線である「海抜10m線」フィールドワーク、と、それぞれ、自分が作ったり気に入っていたりする地図を持ち寄って見せ合い語り合うという、僕は終電まで4時間、掛け値なしに「至福のとき」を過ごした。

    別れ際、岩崎くんが言っていたが、地図へのポジティブな思いに惹かれて、というのは「人の集め方」としてもなかなか雰囲気の良い場づくりなのだった。企画して下さった岩嵜くん、お誘い下さった元永さんありがとう。

    江戸切り絵図からEZ-Naviwalkまで、僕が「地図」に心躍るのは、地図が「あらわそう」とするもの、に限りなく興味を抱き続けているからだ。都市だろうと山岳地帯だろうと、どれほど切り口を増やして記号と絵を尽くしても、その「土地そのもの」を伝えきることはできない。でも、だからこそ、意外で冴えた軸による「切り取りかた」によって、その土地の相貌を垣間見るのが楽しいのだし、そういう切り口で土地に接近しようとする「地図作者」の視点や姿勢や思いに共感したり驚嘆したり興奮したりするのである。

    (以下、いつごろからどのようにして僕が地図に没頭するようになったかという話を書こうと思ったのだが、長くなるので後日。)

    日曜日。午前中は、調布駅前で妻が借りているシェアオフィスのテーブルを借りて、お手伝いしているプロジェクトの打合せ。僕の勝手な都合で、場所を調布にしてもらったのだ。驚いたことに、寺田真理子さんがOM氏と知り合いであることが判明。要するに、寺田さんは「全員」と知り合いなんだと思う。たぶん。(「話題に詰まったら、寺田さんの話を出せば取り敢えず間が持つ」とナガオさんが言っていた)

    午後、日経ゼロワンのかたが自宅へ取材に来られる。先週のA新聞さんは「趣味のひと」にピントを合わせていたんだけど、日経ゼロワンはもっとツール寄りの「デジタル機器の楽しみかた:GPS編」という趣旨の記事だった。カメラマンを伴っていらっしゃったのは、フリーのルポライターの吉村さんというかたで、インタビューが巧みで、話している僕が楽しんでしまった。

    デジタル機器としてのGPSの魅力って何でしょう、と訊かれて、思わず「ざらざらしているところです」と答え、自分自身で妙に納得してしまった。

    デジタルに終始して完結している機器や表現物はツルツルしている。GPS受信機の場合、手のひらにおさまるような機械が、人工衛星が発する電波を捕捉して数メートル単位で全地球座標系の位置を特定する、というのはすでに驚異的な「カティングエッジ」のテクノロジーだが、一方で、それを手に持って大汗をかいて地面を移動して、はじめてその効果が得られるという、「入力」と「出力」はきわめて「ザラザラ」だ。
    地図もGPSも、つまり地表をなで回すためのツールなのだった。

    2004年10月15日

    ヤング・ウーメンズ・クリスチャン・アソシエーション

    水曜日。午前中、英国王立園芸協会のスタッフを屋上庭園にご案内。

    今年はあまり様子を見に行く機会がなく、ちょっと心配だったのだが、幸い、パンパスグラスもイトススキもペニセタムもカラマグロスティスも元気で、それほど荒れた感じもなく、盛りは過ぎていたものの、グラスガーデンらしい、いい雰囲気を出していた。

    ヒペリカム・トリカラーがずいぶ「先祖返り」して、ただのヒペリカムになっていた。意外にも、ベニチガヤがごっそり消えている場所があった。なんだ。根性ないな。ベニチガヤのくせに。

    午後は、仕事の取材で日経アーキテクチュアの編集のかたが来られ、対応。近年のマンションのランドスケープについて。

    金曜日。日が暮れてから、お茶の水にある東京YWCAへ。

    「トワイライト・フェスティバル」という、定期的に開かれているメンバーのサロンのようなイベントへ、講師として呼んで頂いたのだ。会場には丸いテーブルに料理とワインが並び、ご婦人方が50人くらいだろうか。

    YWCAがどういう活動をしているのか詳しくは知らないのだが、雰囲気的には、教会の婦人会のような感じだった(余計にわからん例えだな)。今回、新しい材料を仕込む時間が取れなかったため、去年、浜松で講演したときの材料に、農大の講義の時に作ったやつと、東京ピクニッククラブのワークショップ用のスライドデータをいくつか加えて使い回した。聴衆が違うからいいのだ。

    何度かしたことのある話だが、そのためこちらも、聴衆の反応を伺いつつアドリブをかます余裕が持てるし、YWCAの教養マダムたちはリアクションが良くて的確で、終わった後の質問もばしばし出たし、なかなか楽しいひとときであった。

    それにしても、大勢の人の前で話をしたりする機会があるたびに思うのだが、大学の教授や講師の先生というのは、毎週のように、同じ聴衆に向かって、違う内容の講義を(毎回1時間半も)し続けているわけである。真似できん。僕なんか、3週間目くらいで言うことが尽きてしまう。きっと。

    2004年10月14日

    プレイスメディア・コラボレイティブ

    一日中、打ち合わせ/会議が続いて作業の時間が取れず。おまけに、約束していたコンペの打ち合わせも失礼してしまって申し訳ないことをした。やれやれ。

    プレイスメディアのウェブサイトがリニューアル。
    http://www.placemedia.net/

    全編、フル・フラッシュになった。「Profile」メニューの「Staff」の紹介がかわいい。やるじゃないかプレイスメディア。

    でも、Flashムービーで埋まったサイトにされると、音声読み上げソフトはお手上げだし、アンテナも効かない。業務履歴とか、プロジェクト紹介とか、コンテンツは満載だけど、検索エンジンには「語句」では拾われないんだろうなあ。これでは。

    「コラム」の連載が準備中のようだが、なんか、テキスト情報で検索する手がかりを残してほしいなあ。と思うのです。

    2004年10月12日

    本日の頭痛は単に睡眠不足のサイン。

    依頼原稿を一本書いて送る。締め切りぎりぎりだった。ふー。

    「新建築」10月号。「COLUMUN」に田中智之さんが、東京キャナルのシンポジウムのレポートとして「『水の都市東京』の過去/現在/未来」という記事を寄せている。
    「URBAN STUDIES」に、田島さんによる東京キャナルの連載(6回予定)が始まった。
    ベラ・ジュンさん、藤村龍至さんの「VOXEL HOUSE」が掲載されている。じつにいい写真。

    田中さんはワークショップに「ナビ」として参加されたし、田島さんは主催者のひとり。藤村さんはコアスタッフのひとりで、ワークショップではチームの世話役もされた。
    なんか、「東京キャナル率」の高い号である。

    田中さんは、シンポジウムでのエイドリアン・グーゼの発言を引いて、「東京的でありながら東京らしくない場所」というようなアプローチの可能性について、書かれている。なんか慰まる文章だ。励まされたような気持ちにもなるし。実際のところ有効なのは、「東京的」との冴えた折り合いの付け方を探ることなもかもしれない。ただ、ここでいう「東京的」がほんとに信頼に足る風景なのだろうか、という議論は、それはそれとして残されている。と思う。

    昨夜は久しぶりにコドモの夜泣き攻撃に全敗し、頭が朦朧とする一日であった。ううむ。

    極東フェロモン。

    http://gaby.e-nihongo.net/archives/000053.html

    実は僕は香水が好きである。いや、自分でコレクションしてるわけでもないし、香水のブランドや時流に特に詳しいわけでもないのだが、(主に)女性がつけている「香り」が妙に気になる。海外へ出張したり旅行したりする機会があると、必ず免税品店に立ち寄って、店員にあれこれ聞きながら有名ブランドの香水のサンプルをチェックして回る(どうして免税品店かというと、日本で、普通に伊勢丹の1階とかで香水を嗅ぎ回っていると妙な眼で見られるからである)。

    で、僕が香水に開眼、というか、開鼻したのはアメリカでだった。アメリカも、男女問わずみんな大胆に香水の匂いを振りまいているが、がび姐のおっしゃるとおり、白人や黒人の男女は独特の(というのは僕のようなアジア系からすると独特の)体臭があって、香水はその匂いと混じり合った一種の「相乗効果」として立ち上る。同じ香水でも、人によってまったく似て非なるものになる。香水に、「似合う、似合わない」がある、というのは、目から鱗、じゃなくて鼻から鱗(鼻からウロコが落ちたら、他人が見ると大きなハナクソが落ちたみたいにしか見えないだろうな。いいけど。)(←なにが?)の発見だったのだ。英語では香水を「つける」ことを「wear」という、その「身にまとう」という表現も新鮮だった。

    音楽がしばしばそうだけれども、「匂い」も、「記憶」と分かちがたく結びついて、その効果は強烈だ。いまでも、特定の香りを嗅ぐと、白昼夢みたいに想い出がよみがえってくることがある(注:艶っぽい話ではありません)。

    それで、日本人(女性)がつけると、なんだか「すかすか」な匂いになっちゃう、という感じはよくわかる。帰国したら、日本では「エターニティ」も「デューン」も化粧品売り場みたいな匂いだったし、「CK1」は「ピット糊」のよーな匂いだった。

    ただ、これは僕が「雄」だから感じるのかもしれないが、日本女性(というか東アジア系メス)独特の匂いというのはたしかにある。外国でしばらく「隔離生活」を送って、嗅覚が現地の「匂い体系」にシフトしたころに、日本から来た女性友人と会ったりすると、はっきりとわかる。そういう「客観的な鼻」を持ったデザイナーが日本むけにチューニングしたら、日本女性の体臭の潜在力を引き出して魅惑的な香りに顕在化する、ファー・イースト・フレグランスができるのかもしれない。

    2004年10月11日

    被写体としてのわたし

    全国紙の新聞社のかたが、取材のために自宅へ来られた。
    土曜版に連載している、ディープな趣味に走っている人を紹介するコーナーに、GPSで絵を描いたりしている奴を載せる、という趣旨で。

    インタビューの前に、写真を撮られた。「いつも地上絵を描く格好」(いつも、といってもまだ2回しかやったことがないんだが。)を請われ、息子をベビーキャリアに乗せて背負い、ママチャリの前カゴに地図とeTrexを固定して、武蔵境通りを行ったり来たりし、ナイコンの一眼レフのフラッシュがバシバシ光って、通過する車やバスの乗客から思い切り注目を集めてしまった。じつになんとも恥ずかしい撮影であった。

    それにしても、カメラマンの方は、たかだか、僕が自転車に乗って走ってる場面のために、フィルム使い切るんじゃないかと思うくらいの、ものすごい数の写真を撮った。使うのは1枚だそうだ。

    2004年10月10日

    ASIN

    まわりブログの記事に惹かれて、いくつか試してみた。

    http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/url/-/(以下にURL)
    で検索できる。

    サイバーメトリック:ある。

    アーキヴェラゴ:なんと割り当てられている。

    日本造園学会:ない。

    東京農業大学:さすがにある。

    (ところでgoogleで「東京農業大学」って検索すると、「もしかして: 東京農工大学」って言ってくる。なんかむかつくな。グーグル)

    ウチの事務所:ない。

    Urban Landscape Search Engineには割り当てがないが、

    「This site contains adult content.」ってのはまた、どういう勘違いなんだアマゾン。

    2004年10月 7日

    No Water No Life

    Tom Vincentさんより。
    http://www.nowaternolife.net/

    ううむ。これはよくできてる。

    なんか、昔よく作っていた、ハイパーカードのスタックを思い出した。

    置きグリコ

    041007_1327001.jpg事務所に「置きグリコ」がきた。

    041007_1328001.jpg大人気。

    2004年10月 6日

    The Blank Slate

    つき合ってかれこれ20年近くになる友人から電話があり、かつての話題や、最近のお互いの関心事や実践していることや、その他もろもろ、時間を忘れて話し込んでいたら日付が変わった。毎度ながら、速記録をとっておきたいような会話だった。

    ここ数日の通勤本:
    スティーブン・ピンカー「人間の本性を考える」NHKブックス、2004

    2004年10月 4日

    Geko

    サカイさんが全周22kmの「トカゲ」を描いてくれました。
    http://fieldsmith.net/gps/geko/

    2004年10月 3日

    TPC@Sony Style

    http://www.jp.sonystyle.com/Asobi/20041001/index.html

    それにしても写真がキレイ。

    街に「しるし」をつける蛍光ペンみたいに。

    松川さんらによる「時空間ポエマー」がグッドデザイン賞受賞とのことで、おめでとうございます。すげえ。
    http://www.g-mark.org/search/Detail?id=30656&lang=ja

    (しっかし、コメント寄せている「某建築家」がまるで内容を理解していないな。匿名のくせに職業的特権意識をちらつかせてるところも気に入らないし。書かなけりゃいいのに。)

    こちらに、本江さんによるプロジェクトについての詳しい説明が。
    http://www.myu.ac.jp/~motoe/text/zone_poemmer.html

    画像と位置情報を記録できる小さいツールをみんなが持ち歩くようになった、ということと、その行為がいわば場所に「付箋」を貼り付けてゆくことだ、ということに注目したのである。冴えてる。僕が咄嗟に思い出したのは、図書館の貸し出し管理が最近のように電子化される以前の、貸し出しの履歴が手書きで記録されていたカードだ。長く人気のある本を借りたりすると、カードには様々な字でいろんな知らない人の名前が連なっていて、それを眺めるのが好きだった。自分の名がそこに加わるのも楽しかったし。

    これ以外に、元永さんらによるこんな試みもある。
    http://ld.monken.net

    また、CET-04では、同様な手段で集まった投稿を、現実の特定の位置へ投げ返し、街の中に「見えないレイヤー」として被せる、という試みも行われた。
    http://www.mylandmark.jp/

    それぞれ、切り口も表現も少しずつ違うが、テイストというか、「想い」に共通するものが感じられる。

    ひとつは、地図の精度や情報量をどれほど緻密にしてもすくい上げることが出来ないもの、「街をゆく人々の個人的な体験」こそが、街を生き生きとさせているのではないか、という「アーバン・ロマンチシズム」とでも呼べるような態度。これは、自分がその一人になるという喜びにも関わっている。

    それから、「末端から情報を直接集める」というアプローチ。「地球の歩き方」がそれまでの観光ガイドと違う面白さを持っていたのは、(編集されていたとはいえ)紙面の多くが個人の体験談で構成されていたからじゃないだろうか。これは、Yahoo!とGoogleの差(最近はYahoo!にも検索エンジンがくっついたから違いが薄れたし、Googleもサイトの順位付けに意図が入り込んでいるらしいことが問題になったりしたが )みたいなもので、街のエンドユーザー同士で「出来合いのオフィシャルな情報」をすり抜けよう、というような意志がある。

    もうひとつは、「トポフィリア」である。個人の体験情報の集積だけなら「地域情報交換BBS」のようなところで盛んに行われているけれど、これらのプロジェクトはそれをあらためて「地図のレイアウト」に配置してみせることで、個人の体験を場所の固有性に結びつけようとしている。つまり、「言わんとすること」は実は「場所そのもの」である。これは、翻って、いつも手にする「街の地図」が、実はほとんど「公的な制度がプロットされたもの」であるということをも気付かせる。

    もちろん、まだまだツールの制約もあるし、こういうのを嬉しがって参加する人は(まだ)ある傾向を持った人だろうけれど、ケータイメールをブラインドタッチで送り合いしている連中がもっと齢を食って、世代や生活が多様化したら、きっとすごく面白いものが見れるんじゃないかと思う。ただまあ、そのころにはツールもすいぶん進化(というか変化)して、それはそれで見たこともないようなことになっているかもしれないが。

    プロアトラス、eTrex

    アルプス社から、プロアトラスの新製品のパンフレットが届いた。
    いろんな機能が増えているみたいだが、特に地形の立体レンダリング機能とか、ハンディGPSとの連携の強化に注目。

    プロアトラス「航空写真II」

    「GPSプラス」という製品は、eTrexと接続ケーブルがついてくる。

    いいぞ。GARMIN製品を付録にしたところがまた、ツボを突いてる。さらに普及しろGPS。
    ただ、受信機がeTrexっていうところが、惜しいよなあ。eTrexは、ポイントの記録の密度も調節できないし、容量も小さいから一日中記録しているとすぐオーバーフローする。Gekoにすればもっとよかったのに。でも、「携帯して嬉しい」という点で、eTrexは(他のモデルと比べても)いちばん可愛い。

    「航空写真II」には衛星写真も収録されていて、仕事のプレゼンテーションにも使えそうだ。
    http://www.alpsmap.co.jp/consumer/pcsw/pak2/product/feature/close_up3.html

    でも、こういうのを見ると、あらためて、カシミール3Dがいかに「先取り」しているか、わかる。
    http://www.kashmir3d.com/landsat/

    「GMT」というのを使うと、元永さんが「地形散歩」用に作られたみたいなこういう実に魅力的な地図が、しかもベクトルデータでできるそうなのだが、
    http://minken.net/mt/archives/000381.html

    GMTは研究者向けの、激しく難しそうなソフトなので、手が出ないのである。。。
    http://gmt.soest.hawaii.edu/