2004年8月31日

都心に住む

リクルートの雑誌「都心に住む」10月号を、編集のサカイさんから送って頂いた。特集記事の中の、湾岸に関する文章をひとつ、執筆したので。これはマンション情報雑誌で、わりと厚いページ群の後半はほとんど「新規マンションカタログ」なのだが、前半の三分の一くらいが、毎回違った特集を組む「東京カルチャー誌」のようなおもむきの構成になっている。

僕がお手伝いしたのは第二特集の「東京・海の手、湾岸へ移住せよ」というもので、いきなり、森山大道さんの湾岸の写真と、南泰裕さんの「遠い都市、近い眺め」と題されたテキストという、拡大コピーした10+1みたいなページから始まっている。内容は、湾岸で感じる不思議な都市の心地よさについて。「住居はいかに可能か」の冒頭の「都市の極域」の話に似ているが、ずっとうち解けたポジティブな感じで書かれている。南さんはしかし、ほんとに文章が上手である。読み惚れてしまう。

僕の担当分(湾岸の自然)はまあいつもの話なんだけど、ヨシタケシンスケさんの「東京みなと館見学記」はじつにいい味出ているし(湾岸から望む東京が『窓枠』に収まっているのがなんか象徴的)、庄司里沙さんの、湾岸の「イメージ」の変遷史も興味深い。「第一特集」では植田実さんと米山勇さんが対談していたり、ぽむ企画が「街をつくり、街に同化する建築」という記事を寄せていたりしているし、これで500円というのは広告雑誌のなせるワザだ。お買い得きわまる。意外な「穴場」雑誌なのだった。

2004年8月30日

お疲れ様でした、という僕もそこそこ消耗した。

「東京キャナル」ワークショップ終了。日曜日に「最終講評会」があり、打ち上げパーティーがあった。

いや実に激しい1週間であった。メンバーとしてどっぷり参加した学生さんたちとか、事務方もやりつつグループに張り付いた「TA」の皆さんとかが味わった大変さは想像するに余りある。ご苦労様でした。

いくつかのグループはゲスト講師に酷評されたが、ツッコミどころはだいたい、提案を成立させる条件や背景となる「より大きな事象や構造」をどのくらい考慮したか、理解しているか、という点であった。これは都市計画や土木やランドスケープ系の「クリティーク」の「得意技」(というか、それしか「批評」のよすががないのである。ほんとにこれしかないんだな、と今回つくづく思った)であって、僕がクリティークに呼ばれたとしても、まったく同じような観点で講評しただろうと思う(つまり、建築は時代や人の好みで言うことがころころ変わるからいろんな人を呼んだほうが様々な意見が聞けて面白いが、都市計画や土木やランドスケープ系は代表で誰か一人呼んでおけばいいってことだ)。

なので、提案が空間やカタチに結する際の過程を俎上に乗せる吉村さんの建築的な講評が新鮮で面白かった一方で、佐々木葉さんや長谷川さんが発表するチームを問いつめているとき、一列後ろの席にいながらけっこうツライ思いを味わった。特に佐々木さんは、返答できるはずがないことが自明なことをあえて詰問をしてみせるタイプの厳しい先生のようで(ときどきこういう先生や上司がいる)、自分自身も「裏付けのなさ」を「ツカミ」で逃げ切ろうとする傾向のある僕は、佐々木先生の生徒でなくてほんとーによかった。

というのは、今回、主催・運営サイドの強い意向で、対象エリアに対する余計な先入観や、ありがちな「美しく正しい結果」への早めの着地を排除するために、「ヒントになりそうなバックグラウンド」をわざと与えない、という方針があったことと、安易なスキームに落ちないように、ナビゲーターはぎりぎりの時間まで「かき回して欲しい」というようなインストラクションがあったりして、メンバーをわざと途方に暮れさせるような仕向けをしていたため、「痛いところ」はおおむね、仕組まれた弱点だった、ようなところがあったのだ。といいながら、最終発表が迫ってくると、もう強引に形にしてもらうべく、熟していない思いつきを煽ったりもした。だから、発表しているメンバーの皆さんに対して、なんか、乗せておいてハシゴを外しちゃったような気持ちになったんである。教育者には向いてないな。僕は。

そういう意味で、もう心理的に深くコミットしてるため、フェアな「評価」は不可能だが、どのプレゼンも、前日の夜の様子からは想像もできないような変貌ぶりであった。よくやったと思う。ほんと。

あと、まあこれは相変わらずの鬱屈なんだけど、作業の途中でも、最終講評でも(講師ですら)、誰一人、では東京がどうなればハッピーになるのだろう、という問いを問いとして立てることすらしなかった。再生って何よ?は持ち越しだ(宿題ともいう)。

それと、お誘い頂いたとき、参加のメリットとして「新しい人脈」と言った中津さんに、この歳になって、もう新しい人と知り合うのは面倒だし気疲れするので、知り合いと一緒にやりたいですよ、?うそぶいた自分はどこへやら。今回も最大の収穫は魅力的で刺激的な多くの人たちとお近づきになれたことであった。まったく、人生に楽しみのタネは尽きない。

2004年8月28日

東京キャナル、東京ピクニック

金曜日は東京キャナルプロジェクトのシンポジウムに行った。それにしても、メニューとスケジュール満載のワークショップである。作業中の学生さんたちは大変だろうが、いい経験になると思う。僕が学生のときに体験したかった。こういうの。

ワークショップ参加者に造園学科の学生が「ゼロ」であることにはがっかりしていたのだが、今回のシンポの会場ではオタベはじめ何人かラ系を見かけた。ゼロスタジオ松川さんにも会った。松川さんは今回、Tokyo-Canalのウェブサイトを作られた。要するにみんなぐるっとひとつながりなんである。狭い世界だ。

なんと、写真家の福田則之さんが会場に来られていて、声をかけて下さった。福田さんは、以前、TNプルーブでスライド上映を拝見したのだが、ものすごい写真を撮るかたである。あのときに考えたことは、その後、なんだかんだと書いたりしゃべったりする際にずいぶんネタ的に使い回している。福田さんが冬の夜の化学プラントに接近するようなしかたで撮られた「都市」や「自然」を見てみたい、というのが僕の密やかで勝手な希望である。

シンポジウムのほうは、基調講演として、West8のエイドリアン・グーズさんが、有名なボルネオ・スポーレンブルグの住宅地や、デンマークの港湾再開発のプロジェクト、パリのコンペ、フィリップス社の本社/工場跡地の再開発マスタープランなど、いくつかの最近のものも含めたプロジェクトの紹介をされた。それぞれの内容も刺激的で面白かったが、そのちょっと皮肉っぽい語り口がまた最高だった(笑いどころやツカミをきちんと訳していた通訳のかたが素晴らしかった)。ロサンゼルスのパサデナの通りの「修景」計画案なんか、アメリカの郊外のニュータウン開発のランドスケープの事例調査をして仕事の提案に使っていたころの自分に見せたかった。。。自然/人工、ということについてや、あえて「我々オランダ人は」と強調するところ、その立ち位置なんかについては(わりと深く)いろいろと考えるところがあったけれども、まずはともかくもエイドリアンの「語り」を楽しんでしまった。いや面白かった。

続いて、シーラカンスの小嶋一浩さん、塚本由晴さん、オンサイトの長谷川さん、早稲田の佐々木葉さんの(時間が押しちゃったので駆け足の)プレゼンテーションがあり、その後五十嵐太郎さん司会のもと、四人によるディスカッションがあった。ディスカッションもまた時間がなくていささか欲求不満な幕切れだったのだが、五十嵐さんが冴えたことに、日本橋の上を覆う首都高の高架の風景について端的にどう思いますか、という質問をぶつけ、これが面白かった。

小嶋さんは、たった40年しか経ていないまだ若い構造物を、そんなに簡単に壊しちゃいけないといい、長谷川さんは、仕事でどういう立場で関わるかによって見え方が違ってくるだろうといい、佐々木さんは、あれを「美観」の問題に単純化してしまうのは思慮が浅い、という趣旨のことを述べた。

たしかに、首都高が建設された東京オリンピック以降にモノゴコロのついた僕らにとって、日本橋の上に高速道路が通っている風景は、それを醜悪なものとして取りざたする以前に「そこにああやってあるもの」だったし、あれが「かつてあった美しい(大切な)ものを損なった」ものなのだ、という「理解」はあとから「学んだ」ものである。さらに僕らは「大きな物語が失効した」とかいう思潮のもとで社会的トレーニングを積んだから、「まともに正しく美しい風景のありかた」を疑う習慣がある。だから、佐々木さんが「首都高を地下化するだけでは、何の本質的な解決にならない」という、それは腑に落ちる。

五十嵐さんが、5千億円から1兆円かかると見積もられる日本橋の首都高の埋設は、土建業の新しい延命なんじゃないか、と言っていた。そういう側面もあるだろう。それは、必ずしも悪意ではなく、時代の要請に素直に応じようとしているだけかもしれない。土木の「美しさ」だって、えてしてこういう強い要求への答えの工夫にあらわれるし、逆に外的要求が弱いときに、それ自身が単体で「美」を獲得しようと奮闘すると、しばしば奇妙で俗悪なものになってしまう。そういう意味で、「見えなくなれ」というのは土木には久しぶりのわかりやすい「強い要求」ではある。

美観にせよ、エコロジーにせよ、社会が「正しいこと」としてサポートする趨勢はしばしば「制度」になってゆき、手段が目的になってしまい、その手段によって何を実現しようとしていたのかという本来の「趣旨」が見失われてしまう。制度に絡め取られないためにも、物事を相対的に見たり、逆説的に肯定してみせたり、いっそあえて楽しんだりするという態度は有効である。そのほうが知的に見えるし。

でも、ほんとにそれでいいんだろうか。と、僕は特に最近、思うのである。佐々木さんの言う「本質的な問題」の「本質」ってなんだろうか。美観やアメニティなんて相対的なもので、現在の東京の三面張りの河川にも学ぶべき経緯や必然や、自分自身のメンタリティの問題に還元される「美しさ」が潜在していたりするとしても、そういう態度によって隠蔽されてしまうことは、ほんとに単に相対的なものなのだろうか。たとえそうだとしても、相対的である「他の可能性」を顧みないことが「いいこと」なんだろうか。

これは、今回のワークショップをお手伝いし始めるときに最初に発した疑問でもあるし、突き詰めると「よい風景やよい環境に普遍性はあるか」というような、際限のない問いになる。こうしたことをいつまでも不問のままにしておいていいのかな、という自問がたびたび浮かぶのは、あるいは僕自身が年を食ったためかもしれないが。

だから、塚本さんが、言葉を選びながら、実はもっと豊かな風景や環境を享受することができたかもしれなかった権利を放擲して、あるものをポジティブに楽しむ「だけ」では駄目なんじゃないかと思い始めている、と言ったのはちょっと驚いたと同時に、なんか、少し晴れ間が見えたような、大袈裟に言うと「次のフェーズ」のきざしみたいなものを感じて嬉しかった。シンポのあとの飲み会で五十嵐さんと隣席したが、五十嵐さんも、塚本さんが変わったな、と思ったそうである。

五十嵐さんは、塚本さんが思わず「権利」という表現をしたのに注目し、似たような文脈で「権利」を「発見」して「命名」するという実践において、東京ピクニッククラブの太田さんたちを評価している、といった。これには僕も膝を打つような思いがした。五十嵐さんご自身は、時代や社会から「あるべきだったかもしれないこと」を切り出して輪郭を与え、名前を付ける、という才能はなく、むしろ、現在の社会がどのようにヤバいことになりつつあるか、ということを描くことが役割だと自覚している、そうである。僕なんかにすれば五十嵐さんは充分そういう才能もあると思うが、いずれにせよ、現状の「報告」のほかに、権利を発見したりカタチにしたりしている人たちを発見してプロモートするという仕事もひとつ、よろしくお願いします。

ところで、この日にはちゃんとWest8の作品集を持参し、エイドリアンさんにサインを頂いた。ふっふっふ。あ、塚本さんも飲み会に来られるなら、「現代住宅研究」持っていってサインもらえばよかった。そういえば「過防備都市」も職場にあったのに。伊東豊雄さんもおられのに。。。

(サインもらうの好きなんだほっといてくれ)

2004年8月26日

東京キャナル・中間講評会

一時はほとんど絶望的な気持ちになり、僕は悲観しつつあるんですがとわざわざ中津さんの携帯に電話して訴えるという不審な行動にまで出てしまった東京キャナルワークショップだったのだが、一夜あけた中間講評会でのそれぞれのグループの発表(遅れていったので、後半しか見れなかったが)で驚いた。荒削りで隙だらけだが、みんなそれなりによくやっていて、いくつかのプレゼンテーションは結構「化ける」予感もした。たしかに「もうひと跳びふた跳び」しないといけないだろうが、それは我々ナビも同じである。若い徹夜のパワーを甘く見ていたぞ。←すなわち自分が歳とったということをあらためて実感したぞ。

講評会のゲスト講師で吉村靖孝さんが来ていて、コメントが的確で、聞いていて気持ちが良かった。建築MAP東京・2とか、10+1とかの文章を拝読していて、いちどお会いしたいと思っていたので嬉しい。といってほとんど話はできなかったけど。

本日の閉会後の食事/飲み会にちょっと顔を出したら、West8のエイドリアン・グーズさんの隣になってしまった(そこしか空いてなかった)(というか、納村さんが手招くままに座ってしまった)(ああ、作品集持っていってサインもらえばよかった)。なんとなく、眼光炯々たる、触ると切れるみたいな人物を勝手に想像していたのだが、思っていたよりずっと大らかでユーモラスな感じの人であった。仕事じゃないワークショップだから楽しんでいたのかもしれない。ただし、話をするとき、特にこっちの話を聞くときの目がちょっとコワい。

いずれにもせよ、ちょっと愉快な今宵だったのだ。

2004年8月24日

「建築への」ガイドブック

おお。建築ツウ・大島さんの日記からリンクが。

「世間が狭い」というか、「建築とその関連分野周辺の世界における人材が限定されている」というべきでしょーか。そういえば先日も、東風の山内さんと、 Tokyo-Canalでご一緒してる向山くんとが「ヨシシュウつながり」で2クリックだった。なんか、先週から、共通の知り合いとしての吉田率が高い。本人にはしばらく会ってないが、名前だけが登場して人を媒介してゆくという、「見えない絆」存在である。ヨシシュウ。

以下、ちょっと書きかけだった「お勧め文」。

何の予備知識も脈絡もなく「建築ツウへの道」などという書名を本屋の棚で見かけたら、ふつうは、カーサ・ブルータスばりの建築豆知識(というか、建築家の名前とかスタイルとかのトリビア)が詰まった、気取った素人のためのガイドブックだと思うだろう。いや、実は僕がそう思ったのだ。だから、これまでも何回か、書店で見かけていたのだが、なんとなく無視していたのだ。先日、乗り換え途中の品川駅構内の書店でたまたま手にとって、目次を眺め、中身を少し立ち読みして愕然とし、レジへ走っていって買った。つくづく僕は、迂闊が服を着て歩いているようなものだと、あらためて思った。

たとえば、建築について、大雑把な歴史や様式や最近の流行、そのプロフェッション、産業、建築家の素行や行状や言説、そういうものについてまったく知らないわけではなく、かといって「身内」を語るように語れるほど事情に通じているわけでもなく、分野が重複するだけに無視はできないが、全面的に愛を感じるわけではなくて、なんとなく反発もあり、でもつねに新しいことが大好きでいろんなことを試してはごちゃごちゃと言っている彼ら/彼女らから刺激を受けることはよおくわかっているので、いつも気になってしまう、そんなやつ(たとえば造園/ランドスケープの設計者とか)にはぴったりの、「建築ガイド」というより「建築へのガイド」であった。

ラ系の諸君はみんな買いなさい。そして、気取ったメディアが消費しようとした「流行」の海外国内有名建築家や「話題の建築」から「生活スタイルファッション誌」的なホコリをぬぐい取り、「建築ハンカツウ」になろう。

水メモ

■東京都水道局「安心を未来へつなぐ東京水道」(1996)
すこし古いが、東京都水道局による報告書。
上水もなかなか面白いが、目を惹いたのは東京都内の「配水圧力分布図」。給水所の配置や土地の高低差の関係なのか、都内の上水の水圧は場所によってけっこうムラがあり、色分け図は変形した地形図みたいになっている。

・西村佳哲氏による『水道は川?』
http://www.kt.rim.or.jp/~nish/water.html
面白いのは、水道というのは、一方向に流れる樋みたいなものではなく、網状に張り巡らされて圧力のかかった水タンクみたいなものだ、というところ。考えてみれば確かにそうだ。上水道には「出口」はない。上水道の中の水の様態は下水道とはちょっと違う。常に「流下」してる下水道は「川」に似ているが、上水道はどっちかというとガス管に似ている。

■神田川流域浸水予想区域図
東京都の資料コーナーでコピーしてきた。これも、洪水がきっちり地形を浮かび上がらせていて興味深い。

2004年8月23日

こういう日もある。

土曜日。「限りなくブラウンに近いグリーン」:上空を旅客機が横切り、沖合にチュウボウをのぞむ城南島の芝生でピクニックしてるTPCに思いをはせつつ、子供の相手で日が暮れる。

日曜日。RLA(登録ランドスケープアーキテクト)の試験。朝8時半から夕方6時半までの長丁場。はっきり言って「玉砕」というに相応しい手応えであった。

筆記試験はまだ、そこそこだったけど、時間配分を間違えて殴り書きみたいになった設計の「実技」がひどかった(僕がもし試験官だったら僕の図面は一目で落とす)。最近は図面をCADでしか描かないからかなあ。来年またこのタフな試験を受けるのは憂鬱だが、まあしょうがない。

しかし、受ける側が言うのもなんだが、試験の「内容」はなかなか良くできていた。にわか勉強では答えられないような難度のものが多かったし、出題のジャンルが示す「専門性」に、この「資格」の目指すところ(端的にはアメリカのランドスケープアーキテクト資格?がよく伝わってくる構成だった。(←受験生のくせにこういうこと考えたりするから時間切れになるんだって)

月曜日。保育園では布団カバーを取り替えたりなんだり、やることが普段の日より多いので、月曜日は忙しい。おまけに今朝は雨天を予想してバスで出たから、余計に時間がかかった。職場へ寄るのをあきらめて、竣工式の会場に直行したら、意外に早く着いてしまった。近くの書店ですこし時間をつぶし、会場へ行ったら、先週末に出席メンバーの変更があって、僕は出なくていいことになっていた、ということが判明。金曜日の夕方にメールで周知されたという。

・・・あのなー。てめえ。
午後から出かけてしまって、メールなんか見ない、かもしれない、という可能性については考えなかったのかよ?


さて、本日からTokyo-Canalワークショップが始まる。
仕事終えて、夕方から「飛び込む」予定。

追記:

本日、会場にハンディGPSを4つ(eTrex、eTrex Legend-J、Gekoふたつ)を持参し、明日フィールドワークに向かう学生チームのTA(ワークショップのスタッフの大学院生たち)に配った。これで、「Tokyo-Canalはどこを見に行ったか」という記録が残るのである。こころよく貸してくれたサカイさん、ササキ、どうもありがとう。

手渡す際に、カシミール3Dを使って軌跡を地図上に表示した画像を見せながら、簡単なインストラクションをしたところ、何人かのTAが目を輝かせてくれた。うっふっふっふ。

2004年8月20日

本日のどうでもいいメモ。

・僕はアメを最後まで嘗め続けることができない。必ず、途中でガリッと噛んでしまう。最近は特にこの傾向に拍車がかかり、のど飴でも何でも、口に放り込んで10秒くらいで噛んでしまう。ほとんど、クッキーを食べる速度と変わりない。

・朝、数秒も無駄にできないと焦っている通勤客でごった返している駅のホームで、発射ベルに煽られながら殺到する客を見事に捌いていくキオスクのおばちゃんのあれは、たいしたスキルだと思う。

・僕は今年40歳になる。なんか、いよいよ折り返し地点という感じである。これから復路を走るわけだ。そう思ったら、自分より若い人がみな、こちら向いて走ってくるように感じ始めた。

・NHKのオリンピック報道のバックに流れる「ゆず」っていうグループの音楽が苦痛だ。歌詞の日本語も変だし。「栄光の架け橋へと」って何だよ。「橋」が「栄光」なのかよ。

2004年8月19日

「豪雨」としての大規模集合住宅

(本日の)水メモ。

午前中、会社の仕事で都庁へ行った帰りに、資料閲覧室へ寄って上下水道関係の資料を眺めた。
水の組成とか、土木・水理なども面白そうだけれど、そこまで勉強してる時間がないや。

上水について、地域によっても差があるが、平均すると1世帯あたり、一日2.5キロリットルくらい使うそうだ。思ったより多い。日本中の家のなかを、一日あたり、時速100リットル余りの水が「通過」してゆくわけである。

これは集積するとけっこうな量になる。タワーマンションでは、500世帯なんてのもザラにある。500世帯が2.5キロリットル使うと、合計1,250キロリットル。敷地が5,000m2あったとしても、1m2あたり250リットルになる。最近のマンションは食器洗い機を実装していたりするから、平均値よりは節水できているかもしれないが、たとえば仮に一世帯2キロリットルだったとしても、1m2あたり200リットルである。

一日で200mm/m2、というのは、もしこれが降雨量だったとしたらものすごい。災害級の豪雨である。タワーマンションのような、住宅が積層して集中することは、水的に見れば、その敷地に、季節に関係なく途切れなくずーっと「1日200ミリの豪雨」が「降り続けている」という事態を生んでいるのである。そりゃあ、排水能力が不足しちゃうわけだ。(工業用水なんて、もっと使うだろうし)

建物の汚水・排水配管だけを透視したら、排水枡やドレーン口を「水源」にし、合流しながら太さを増してゆくツリー状の立体が見えるはずである。それこそ「河川」みたいな格好で。建物をそこに建てることは、あたらしい「水系」を都市に付け加えることでもある。

2004年8月18日

東京・ジオカナル

火曜日の夜は、Tokyo-Canalワークショップ準備の(最後の)ナビ会議。ワークショップの理念や目的よりも、実際のワーキングのプロセスをどうするかということを話し合った。早稲田の田中さんのアイデアが冴えていて感動し、ミーティングの後で向山くんと「ああいう人の生徒になりたかった」とよくわからない盛り上がりかたをしてしまった。

僕は、フィールドワークで集めてくる材料をどういうふうに整理するかということを少し考えていった。事前にちょっとキーワードを拾おうと思って、自宅の本棚から、テレデザイン責任編集の「建築・都市フィールドワークメソッド」を引っ張り出して開いたら、扉に田島さん、納村さん、久野ちゃん(←思わず『くん』と呼んでも、あらためて『さん』と呼んでも聞き逃がしてくれず、突っ込まれるので、今後、久野さまとか久野どんとか久野っちとか久野どのとか、しっくり収まる呼称に当たるまでいろいろと変化させてみようと思う)のサインに並んで、南泰裕さんと田中浩也さんのサインがあった。出版パーティーでお会いしていたのだ。すっかり忘れてた。森ビル都市展の準備でお会いしたとき、初対面のように振る舞ってしまった。こういうの、すごく多いのだ。なんという失礼な。

序文で、田島さんは、「都市」はもう、わからないものになっちゃったのだ、と書いている。都市をわかろうとするのが無駄だ、というのではなくて、地図や写真や模型で俯瞰して理解したような錯覚にとらわれてはダメだ、ということだ。だから、ともかくも街の中へ入ってゆき、様々なやりかたで街の手触りや息づかいを感じ、その「断面」を集めてみることから始めよう、そうしたら、都市を動かしているものがなんとなく浮かび上がってくるかもしれないし、と。

読みながら、田島さんはきっと、ナチュラリストが「ナチュラリスト」と自称するようなニュアンスで「アーバニスト」と自称しているんだろうなあ、と思った。「都市の味方」なのだ。

街で目をこらせ、という姿勢には賛成。ただ、「地図派」としては、「地図見メソッド」というものもあり、様々な地図を様々な角度で見ることで浮かび上がってくる「都市の理解」というのもある、ということを付け加えたい。地形図も植生図も住宅地図も統計地図も、地図はそれこそ「ある断面」を「マッピング」したものだから、そのへんをわきまえて見るならば、街歩きでは得られない「都市の相貌」をかいま見ることができる。

地図といえば、会議では中津さんに笑われちゃったけど(というか、みんなに失笑されたけど)、今回のワークショップで、もっと早くにGPSのプロモーションをすればよかったなあ。フィールドワークに出かけるワーキング・チームにひとつずつ、ハンディGPSを携行してもらえば、「Tokyo-Canalが見歩いた場所」が地図にプロットされて、非常に面白い記録になったと思うんだが。

追記。
ミーティング後、ぞろぞろと食事に行く集団に思わずついていったため、あわや終電。向山くん、会田さん、と、珍しく「京王線組」がいたので、一緒に帰った。向山くんと、調布や稲田堤のような、郊外への踏み台みたいな地域において、もっとも醜悪かつ決定的に環境・景観を破壊しつつあるのは建て売りミニ戸建て開発であるというところで一致。ダニエル・リベスキンド事務所にお勤めの会田さんは、ハーバードGSDで霜田くんと重なっていて、生まれ育ちが調布で、しかも深大寺北町で、時期的に重なっていたら回覧板回し合ったんじゃないかというようなご近所だったということが判明。WTCのプロジェクトの話をちょっと聞いた。あまりに有名なので、つい公共の施設をつくるかのような感じがしてしまうが(公園にしろとか記念碑にしろとかいう提案もあったし)、実際は跡地利用はあくまで私企業の運営の問題なのだった。

2004年8月16日

盛夏は過ぎ

先週月曜日から、会社が夏期休業週に入る。

火曜日。夕方、Tokyo-Canalのナビ準備会議。ほんと、みんな冴えてて面白い。面白いんだけど、それだけに、議論は暴走気味で、帰り際、スタッフの内野さんが、開催までの残り時間が心配だと漏らしていたのが印象的であった。

セッションのあとの飲み会で、ジュリアン・ウォラルさん、テレデザインの田島さん、オンサイトの戸田さんと隣席した。ジュリアンさんは、話が高じてきて抽象的になると日本語が出てこなくなるので、まるでリミッターのついたエンジンみたいであった。

田島さん、戸田さんと僕は同い年であったことが判明。田島さんは僕がもっと年上だと思っていたそうで、実年齢以上に見られたのは初めての経験だ(態度が横柄だったんだきっと)。

木曜日。練馬の陸運局へ行き、紛失していた車検証の再発行をしてもらった。これで、車検切れのまま5年以上放置してあったSRX400もいよいよ廃車。帰りに池袋のリブロへ立ち寄っていくつか本を買う。

今週の通勤本1号:
■松原隆一郎、荒山正彦、佐藤健二、若林幹夫、安彦一恵「〈景観〉を再考する」青弓社ライブラリー、2004

パルテノン多摩が主催した「景観を考える」という連続講演会の記録を本にしたもの。これは面白い。多摩ニュータウンを調べていたときにも思ったのだが、パルテノン多摩はなかなか刺激的な企画をする。展示も面白い。仕掛け人は学芸員の金子淳さんという方。パルテノン多摩はちょっと注目。

本の内容と、それに関連して思いつくことはいろいろとあるが、いろいろとありすぎて長くなりそうなので後日。

2004年8月14日

サイバーメトリック復活

よかった。よかった。
http://www.cybermetric.org/

2004年8月 9日

Tokyo Canal 助走:参考にしつつある本

■高橋裕「都市と水」岩波新書、1988
■日本建築学会編「雨の建築学」北斗出版、2000

以前から手元にあったもの。ランドスケープ批評宣言の「化粧桝都市」の参考にしていた。

■鈴木理生編著「江戸・東京の川と水辺の事典」柏書房、2003

湾岸の原稿を書いたとき、参考に買った。高いし(12,000円)重いけど、これはすごく勉強になる。東京の都市河川のプロフィールが「全部」掲載されている。丁寧に読むのは大変だが、それこそ事典として使える。

■小池一之・太田陽子編「変化する日本の海岸 最終間氷期から現在まで」古今書院、1996

3万年前から現代まで、地学スケールの「海岸の変化」と、近年の土木技術による人為的な海岸の改変を、こうやって時系列に並べられちゃうと、ちょっと目からウロコというか、人間がやってる埋め立てなんぞ、それまでの自然の変化にくらべたらちょろいもんだなと思うと同時に、逆に、近代の土木工事がいかに「急激に」海岸を変えつつあるかということに慄然としもする。

■沼田眞監修「東京湾シリーズ」築地書館
 ・風呂田利夫編「東京湾の生物誌」1997
 ・河村武編「東京湾の汚染と災害」1996
 ・貝塚爽平編「東京湾の地形・地質と水」1993

図書館で見つけて借りてきたんだけど、これは手元に欲しい。たぶん買う。沼田眞という人はほんとにすごいなと思う。

ところで、ちょっと内輪ウケ用に。
上記の「生物誌」の、「植生」の章の導入にあった一文。

> これまでに東京湾沿岸を一括して、その植生を記述したものは宮脇ほか(1975)の「東京湾臨海部の植生」があるのみである。(大場達之「湾岸のフロラと植生」)

・・おそれいりました(笑)。

2004年8月 6日

東京かなる

ワークショップ「Tokyo Canal」の準備として、「ナビゲーター」(参加する学生メンバーのチームに貼り付いて指導する人たち)のワークセッションに参加した。こういうのは呼んで頂けるうちがハナなので、末席を汚すべく(講師やシンポジウムの顔ぶれを見ると、蒼々たる面々である)三田のテレデザインにお邪魔した。

テレデザインの皆さんは相変わらずというか、立て板に水という感じで、じつに淀みなく早口で夥しいボキャブラリーを駆使しながらよくしゃべる。頭の回転が速そうな人たちである。集まった「ナビ」の人たちも、冴えた人ばっかりであった。じつに建築は人材が豊富だ。うらやましい。

藤村さんや内野さんたちの「事前リサーチ」がまた、なかなか面白い。藤村さんが、リサーチをするにつれて「知らない風景を見る」ところが興味深かった、と言ったのが印象的だった。たぶん、何かの提案の「射程距離」も、そこにあったのに見えていなかったような、見知らぬ風景を見せ?ような経験をどこまで促すことができるか、なんじゃないかという気がする。

ただ、当初から疑問だったところ、「都市再生」って何よ?という点についてはわからなかったし、その後の議論でも「提案のゴールを最初から明示したくない」という答えで、かわされたような感じだった。まあ、そういう気持ちはわからなくもないが、僕が聞いてみたかったのは「成果のイメージ」とかではなかったんだが。

些細なきっかけでも構わないけれども、どこに掛け金を置くか、が、「言わずもがな」のこととして議論されないと、僕は不満である。「都市をなんとかする」という標題のもとに行われるワークショップやシンポジウムでは、いつも、「それでは最終的に何を是とするのか」ということが気になる。いまの都市(東京)の何が駄目なのか?どんな「よい」を想定して、いまの都市を「駄目」だと思うのだろうか。ことに、今回のワークショップでも掲げられている「都市再生(都市再創造でもいいが)」という言葉はすごく気になる。

いや、こういうのは野暮な問いなのかもしれないが。

書いていて思ったが、たぶん、僕自身が個人的に、「話を始めるにあたって、まず自分の立ち位置を明らかにしておきます」と言明する人を信用する傾向があるんだろうと思う。たとえば、「何よりもまず、都市では、住む、ということが損なわれている、というところから」とか、(いささか戦略的ではあるにせよ)端的に、「都市でまともにピクニックさせろ」とかね。

2004年8月 4日

建築ツウへの道

大島健二「建築ツウへの道」エクスナレッジ、2004

こ、これは面白い。取り急ぎ。

The Water City

東京かなる:水メモ

  • 水は、液体、気体、固体、とその様態を変えながら地球規模でぐるぐる回っていて、その中にある私たちの身体を通り抜ける。 ダムも放水路も運河の水辺空間も公園の噴水も緑地の自動散水もお風呂もトイレのフラッシュも、自動販売機のペットボトル入りお茶も、この「ぐるぐる動き続ける水」の「経路」をすこーし編集した状態である。
  • 循環水系内存在である私たちが、今後もハッピーに存続するために、水の循環をいかにエフィシェントなものにするか、という課題を解決しようとすることを「デザイン」というなら、国土レベルの治水から、飲料水のペットボトルまで、水と私たちをインターフェースすることはすべて「水をデザインすること」である。
  • 「都市の水」は、地球規模で循環する水圏系と、生物としてのヒトの体を循環し通過する個身体水系との「中間」にある。
  • 水のデザインに、現代的な射程距離をもった強度(←えらそうな言い方だが?があるとすると、もしかすると、「身体を通過する循環水」と「地球を循環する水圏」とをつなげるような、たとえばペットボトルの水とモンスーンとをいきなり接続しちゃうようなもの、だったりして。
  • ■ミズブクロとしてのわたし:

    身体の水分率は、体重との比率にして、男性55%、女性50%くらいだという。平均体重を50kgとすると、一人あたりの「水分」は25リットル余りになる。(「東京大学公開講座 『水』」(1979)から孫引き)

    これに、「日本人の場合、平均して2リットルから2.8リットル」の水が補給される。内訳は、飲料水60%、食物水分30%、燃焼水(体内で食べ物が分解されて生成する水)10%、である。同じ量が排出されるわけで、その内訳は、尿60%、不感蒸泄(汗や呼吸で身体から蒸発する水)35%、糞便5%、だそうである。

    平成12年の国勢調査によれば、東京圏の人口は3,341万人。これだけの人数がそれぞれ、25リットルを「保水」している。単純に計算すると、合計約83.5万トンになる。小さいダムくらいの容量である。このダムに毎日、合計9万トンあまりの水が排出入しているわけである。

    ■モンスーン・アジアの果て「ジャポネシア」列島:

    地球の気候は、ほぼ、緯度に沿ってストライプ状に分かれる「気候帯」をなしている。日本は、緯度的には「亜熱帯高圧帯」という、砂漠の多い乾燥した気候帯にあるのに、例外的に雨が多い。日本の降水量の3分の1は梅雨によってもたらされる。梅雨は、日本だけでなく、朝鮮半島、中国中部・南部で見られる「季節雨」である。

    梅雨前線の形成には、チベット・ヒマラヤ山塊が大きな役割を果たしている。詳しいことはよくわからないのだが、夏期に北上するジェット気流がこの高原を越えることができずに二手に分かれ、東アジアで合流するところに小笠原高気圧とオホーツク海高気圧ができて、梅雨前線を停滞させるらしい。チベット・ヒマラヤ山塊の高さや、夏期に急激に上昇する温度などが、東南アジアから日本までの、多雨な「モンスーン・アジア」気候に密接に関わっている。らしい。この山塊があまりに高いため、地球規模の「ビル風」みたいなことになって、これがモンスーン・アジアを成立させている、というわけだ(←ぜんぜん違うかもしれない)。

    モンスーン気候の形成や、その変動のメカニズムの解明というのは、「大気・海洋結合気候モデルによるシミュレーション」とかいって、気象学の分野でも現在進行形のホットな題材である、みたいである。「気象」は面白そうだ。ウチにある百科事典の「モンスーン」という項を読んだだけで、知らない用語や概念の羅列に目眩がしてくるが、ちょっと勉強してみたい。

    ところで、年間1,800ミリという、世界平均の2倍近くの雨が降る日本はしかし、雨の量を人口で割ってみると、一人あたりの降水量が5,000m3あまりになり、世界平均をずっと下回る。サウジアラビアの3分の1くらいである。雨は多いが、人にとっての水は必ずしも豊富ではない、というのがジャポネシアの特徴である。

    2004年8月 3日

    sales Talk

    土曜日のお昼過ぎ、ようやく子供を昼寝に持ち込み、書きかけの依頼原稿の仕上げにかかろうというとき、セールスの電話がかかってきたのだ。

    相手(若い男の声)「お忙しいところ恐れ入ります。当社は○○商会と申しまして、ただいま調布市内のマンションのご案内を差し上げているところなんですが」
    僕「(目一杯、露骨に不機嫌そうな声で)・・・はい」
    相手「あの、失礼ですが、石川様はご自宅は持ち家でいらっしゃいますか」
    僕「・・・いえ。借家です」
    相手「あの、たいへん失礼ですが、お家賃などは結構、ご負担ではないでしょうか」
    僕「負担?・・まあ負担といえば・・」
    相手「今後、ご自宅をご購入などということはお考えではないでしょうか?」
    僕「(思わず一息考えて)そうですねえ。想像してみることはないわけじゃないけど。まあ、いまのトコロに満足してますからね。これで。」
    相手「仮にですね、ご自身でお住まいにならなくても、マンションは投資物件としても、いまなら、」
    僕「不動産に投資するモトがないですよ。そもそも」
    相手「いまですと、時期的に、すごくいいタイミングだというのはご存じでしょうか?実際にローンとかですね、仮にいま」
    僕「時期ってなんですか?」
    相手「あの、金利とかですね、たとえば銀行」
    僕「いや、金利は上がったり下がったりするだろうし、景気も良くなったり悪くなったりするでしょうけどさ、どちらかというと、家族の今後とか、いま何歳でどのくらい収入があるとか、子供の教育をどうするとか、そういう個人的なライフプランのほうが重要なんじゃないですか?家を買うタイミングなんて。時期にしても場所にしても」(←議論してどうする)
    相手「?・・はい、えー、そうですね・・」
    僕「(切り上げるつもりで)いずれにしても、ウチはマンションはダメですね」
    相手「えー、それはやはりあの、一戸建てでないと、というようなことで」
    僕「一戸建て?(つい考える。たとえば2世代とか3世代同居で、玄関も別だったりしたとき、あれって『集合住宅』とは言わないんだろうか?)いや、一戸建てっていうか。・・庭がないと嫌ですしね・・」
    相手「(なんか、急に生き生きと)あ、実はですね、いま私どもがご案内差し上げていますマンションは、ちょっと変わったものでして、コーポラティブマンションというんですが、ぜひモデルルームに起こしいた」
    僕「コーポラティブ?」
    相手「あのー、メゾネットといいまして、マンションなのに1階と2階があったりですね、お庭があったり」
    僕「ゼネコンはどこですか」
    相手「?・・えー、H社が入っているんですが、」
    僕「へええ。でもコーポラティブなんですよね?そういうのもやるんですか?最近?」
    相手「え?・・あ、あのー、Hコミュニティという会社でして、そこがあの」
    僕「そりゃ管理会社でしょう」
    相手「あ、施工はですね、えー、○○建設です」
    僕「設計はどこですか」
    相手「設計はですね、えー、(書類めくる感じの間)○○○○一級建築事務所(←棒読み)です」
    僕「その事務所は、コーポラティブをいつも設計してるんですか」
    相手「え?いや、えー、」
    僕「あのね、どうしてコーポラティブを、商社さんが『売る』んですか?欠員が出たとかそういうこと?」
    相手「え?あの」
    僕「ねえ、コーポラティブって何のこと言ってるんですか?コーポラティブって、家を欲しい人が集まって、組合でも作って、共同でマンションを建てるやりかたのことですよね。メゾネットだからって必ずしもコーポラティブじゃないよね。それとも最近は、コーポラティブ風スタイルとかいうのがあるんですか?」
    相手「・・・えー、」
    僕「住まなくても投資になるっていう売り文句も気に入らないよねー。ほんとにいいマンションだったら住むんじゃないですか?住宅を投資対象にしたりすると、そうやってどんどん、街が悪くなっていくんじゃないですかね。だって、投資で買う人って、デベロッパーみたいにマンションを見るわけでしょう。住民の目じゃなくて」
    相手「えー、石川様、ではまたご縁がありましたら、ということで・・・」
    僕「まてよ、でもあれかな、土地が値上がりしたりしなければ、みんなが自分の住まいの不動産価値を高めるために頑張ったほうが、逆に良くなっていったりするのかな。」
    (ここで電話がしずかに切れる)

    ・・・物件の名前を聞くのを忘れた。