2004年7月28日

攻撃的磁場

iPod miniの発売に行列ができたりしたというのは、SE/30以来のmacユーザーにしてAppleファンのわたくしにはなんか嬉しいニュースだったりするのだが、最近またとみに増えてきた、電車内ノイズくんが一層増えたりすると嫌だ。朝っぱらから満員電車の中で、耳元でシャカシャカとやられるのが実に神経に障るし、大音量で音楽を聴いてるヤツに限って、注意が体の周囲に向かないのか、「周りの動き」に鈍感で、車両のドアの近くに突っ立ったまんま、乗り降りをあからさまに邪魔する。

今度、カバンの外側のポケットに、掲示用の強力マグネットを(磁石を外側に向けて)入れて行こうかと思う。iPodはハードディスクだから、磁力にはひとたまりもない(んじゃないかとおもう)。電車で僕の隣に立つ人は音量を下げるように。さもないと。

2004年7月25日

水際作戦・夏

今日もまた暑い日だった。だのに、雑誌に寄せる文章のための取材に、港区/品川区/大田区の湾岸、埋め立て地へひとりで出かけた。いや暑かった。歩くうちに、路上で溶けてバターになるんじゃないかと思った。

(以下、ほとんど自分のためのメモ)

毎度のことながら、湾岸の埋め立て地の「街の物理的な単位」の大きさには辟易する。

というのも、これも毎度のことながら、最寄り駅から目的地まで、つい歩いてしまうからである。道路も入り組んでいないし、地図上の要素が少なくて単純なものだから、間抜けにもスケールを読み間違えて、これはたいした距離じゃないな、と思ってしまうのだ。歩き始めると、たしかに街の要素は少ないけれど、湾岸ではひとつひとつの要素が「巨大」である。道路を横切るのに100メートル、橋を渡るのに200メートル、公園を通りすぎるのに500メートル。それも、海に近づくほど大きくなる傾向があるから、「海岸」に到達しようと進めば進むほど「次の角」が遠くなる。

さらに加えて、埋め立て地はおおむね、海に近づくほど「高く」なる。新しく造成された埋め立て地ほど高く盛ってあるためだ。埋め立て地の突端はどこもだいたい標高10メートル以上ある。だから、内陸から海へ向かうと、歩みを進めるほど遠く、かつ登り坂になるという、実に徒労感を誘う散歩になる。

東京湾岸の土地の標高を色分けしてみると、そういう「高い部分」が水際に連なっていて、まるで湾を囲む「外輪山」みたいに見える。江東区や江戸川区のように「後背地」というか、区の「本土」全体が低地であるようなところでは、余計に埋め立て地の地形的な特徴がきわだって見える。江東区の「最高地点」は夢の島の先、若洲ゴルフリンクスだし、江戸川区の最高地点は葛西臨海公園である。地球温暖化によって、たとえば海面が5m上昇したりすると、足立区、荒川区、墨田区、中央区はほぼ海面下となり、千代田区や港区、品川区も半分近くが沈んでしまうが、臨海副都心の青海や、羽田空港の一部、八潮、夢の島、若洲、葛西臨海公園などは環状のリーフになって残ることになる。

現在も埋め立てが進行している「中央防波堤埋め立て地」などは、標高が30メートル以上もある。上野や本郷の台地よりも高い。「対岸」の城南島海浜公園から眺めると、人工砂浜の沖合に、赤土色をした巨大な台形の島が海上にどーんと横たわっていて、何とも異様な迫力のある風景になっている。エアーズロックみたいである。

「そこでは近いものを近く、遠いものを遠くとして直感するべき前提が捩じ曲がっているのである。」(南泰裕『住居はいかに可能か』)

都市がすぱっと切れて終わっている、物体的に都市の境界みたいに見える湾岸ではしかし、世界全体が都市的なもので覆われているという事実認識のもとでは、その見かけにもかかわらず、都市の内外部の境界に立ち会っているわけではないという、なんというか理不尽な「見知らぬもの」を目撃するのだ、という(ような意味だと思う、たぶん)、〈極域〉の話を思い出したりするのである。

埋め立てによって今日のような姿になる以前、「湾岸」は干潟が広がる遠浅の海だった。干潟は、東京湾のように、外海の波の影響が少なく、河川が流れ込んでいる内海に発達する。河川から絶えず栄養分が供給され、水も光も空気も豊富で、干潟には多様で豊かな生態系が成立する。江戸の海が産出した豊富な魚介類が、重要な動物タンパク源として100万都市を支えていた、という話もある。

江戸時代後期、1838年に出版された、江戸のイベントカレンダーといったおもむきの本、「東都歳時記」に、旧暦三月の行事として、潮干狩りの様子が書かれている。「早旦より船に乗じてはるかの沖に至る。卯の刻(午前六時頃)過ぎより引き始めて、午の半刻(正午頃)には海底陸地と変ず。ここにおりたちて蠣蛤を拾ひ、砂中のひらめをふみ、引き残りたる浅汐に小魚を得て、宴を催せり」とある。大都市の海岸である。なんとものどかで、豊かな光景だ。紹介されている潮干狩りスポットがすごい。いわく「芝浦、高輪、品川沖、佃島沖、深川須崎、中川の沖」。

いうまでもなく、どのスポットも現在では影も形もハマグリもない。「はるかの沖」というのがどれほどの距離なのかはわからないが、芝浦や高輪や品川のかつての海岸線(いまの第一京浜国道のところ)から「沖」へ1キロ進んでも、海はおろか、モノレールの高架にも行き着けない。

遠浅の海というのは、陸地の拡張のための埋め立てには最適の地形である。埋め立ては江戸時代からずっと続いている、都市と海の関わり方であって、この湾の近代史はそのまま「埋め立て史」でもある。ただ、急激に大規模に進行したのは戦後のことだ。1960年から80年までの20年間に埋め立てられた面積は、それ以前の江戸時代からの埋め立て面積の4倍近くにも達するそうである。いまでは、内湾海岸線の95%が人工海岸だそうだ。埋め立てられた全面積は約250km2。250km2って、東京23区の総面積の40%くらいである。多摩ニュータウンを調べていたときにも思ったことだが、高度経済成長期の土木的な地形改変は、やることが桁外れである。

しかし、スケールアウトした殺伐空間と、ひっきりなしに行き来する大型トレーラーや貨物列車や飛行機の騒音を別にすれば(それだけで充分ツライけど)、湾岸には意外に「みどり」も多く目につく。

まずは、空地の野性系。施設や構造物の隙間がぽっかりと「何もない地面」になっていることがあり、帰化植物や在来の先駆性植物が繁茂しつつあったり、あきらかに「遷移」が始まっていたりする、という光景は、湾岸に限らず都市部のインフラの周辺にはよく見られるけれども、埋め立て地の場合は何しろ、そいいう「隙間」の規模がでかいから、「空き地」は「大草原」みたいだし、「水たまり」はほとんど「湿地」に見える。

大田市場に隣接した「東京港野鳥公園」は、大井埋め立て地にできた「でかい水たまり」に野鳥が集まるようになり、いつの間にか愛好家によるバードウォッチングの名所と化し、このまま残せという市民運動が盛り上がり、結局そこを囲い込んで公園にしてしまったものである。公園のできかたとしては、なかなか粋である。

公園内の「センター」にいくと、いかにも野鳥観察の達人といった雰囲気の、ポケットがいっぱいついたカーキ色のベストを着た「レンジャー」の人たち(どうして自然観察系の人たちはああも同じような独特の雰囲気を発しているんだろう。いいけど。)がトリの見方をいろいろと教えてくれるし、潮入りの池にはプチ干潟も再現されていて、カニがうようよ動いているのを間近に見ることもできる。観察できる野鳥のメニューには100を超える種類が記載されている。

トリはわんさか居る。遠く港湾施設のクレーンや倉庫を背景に、人工的に再現された干潟に集まる野鳥を「観察」する建物の上を国内線の旅客機が轟音を立てて飛びすぎてゆくという、野鳥公園の風景はなんか、妙な言い方だが、ちょっと挑発的である。他に行くところがないから集まってくるんじゃないか、という気もするが、まあ、自然らしさはその気になればある程度、いいところまでは「回復」する、という実例ではある。

もっとも、この公園は公園の建設予定がまったくないところに唐突に作られたわけではなく、湾岸に展開する「海上公園」計画の一部に取り入れられて開設されている。海上公園というのは、70年代に構想され条例化された、埋め立て地の中に公園を散在・ネットワークさせるという事業である。都市公園とは別に、港湾局が管轄する。これまでに40余りの公園が開園していて、面積を合わせると、東京都全体の公園(自然公園などを除く)の1割くらいに達する。湾岸には、けっこうな規模と密度で公園があるのだ。

緑地の植栽は、埋め立て地に最適化すべく、耐潮性のある常緑広葉樹が多く植えられている。古い植栽地は30年を経てそこそこ成熟し、湾岸の緑地や緑道は実に鬱蒼と「濃い」感じの樹林が多い。なんとなく、「潜在自然植生理論」のニオイがする。湾岸のそこかしこに見える森のような緑は、おおむね、この事業で整備された公園緑地である(海上公園についてすこし調べると、樋渡達也さんの名前がぼんぼん出てくる。うむ。これは、やっぱりそのうちに話を聞きにいかないといけない)。

そういうわけで、船で引き潮を待ち、ハマグリを拾ってその場で焼いて食べる、というほどは風流ではないにせよ、たとえば城南島海浜公園に行けば、オートキャンプ場があってバーベキューもでき、「水際へ出かけていって食う」というレジャーはそれなりに可能である。人工ビーチはお台場がメジャーだが、僕は個人的に、湾岸の生々しさが剥き出しで残っているような、城南島海浜公園のほうが好きだ。

結局、モノレールの流通センター駅から城南島の突端を徒歩で往復し、炎天下、10km以上も歩いてしまった。へとへとだ。自動販売機を見つけるたびにペットボトル入りの水を買った。5リットルくらい消費したんじゃないかと思う。

帰りがけに、マンションの建設著しい港南四丁目に寄ってみた。タワークレーンがひしめいて、超高層マンションが文字通り林立しつつあり、目眩がするような眺めである。ここに、民間の開発に混じって、都営住宅のタワーが一棟ある。近くの都営住宅の建て替えで建設されたもののようだが、すでにタワーの足元、モノレールの橋脚の下や道路の街路樹の植え込みに「都営スタイル」のゲリラ菜園ができている。野鳥にしても植物にしても人間にしても、「ある環境の状態が長い間変わらずにある」ということが、「回復」のキーである。

でも、住宅が土地利用の「あがり」かどうかはわからない。湾岸というのは、つねにその時代の「必要」や「願望」を、大袈裟に(極端に拡大して)受け入れてきた場所だと思う。たとえば今後、人口が減少して都市が縮小してゆくとかするとどうだろう。タワーにぎっしり住む、というスタイル自体が不要になるかもしれないし。海岸線を後退させる、くらいのミチゲーションができるかもしれない。東京湾岸解体撤去計画。

2004年7月21日

見え隠れする水

http://www.tokyo-canal.org/

すでにして、えらく濃いウェブサイトができている。

きっと、水をどう捉えるかによって、街の「何に」働きかけるか、という提案の方向ががらっと変わっちゃうだろうなと思う。

江戸時代だろうと現代だろうと、僕らの体が本質的に「水系内存在」であって、あくまで「水のサーキュレーション」のなかで生活していることに変わりはない。水の本質は「つねにぐるぐる回り続けていること」である。

「水」という観点からは、たとえば建築は「水の供給と排出の経路の編集」だと言えるかもしれない。屋根を防水して縦樋を排水枡に接続するのは、雨の経路をすこし変えて、乾いたスペースを確保するという操作だし、上水を引き込んで「水回り」を通し、汚水管をつないで外部へ排水させるのは、いわば「水のインターフェース」をつくる行為である、とも言える。僕らは建築を介して水に接している。そういう意味では、建築が用意する「水との接し方」は意外と典型的で貧弱だ。

都市のレベルだと、水のサーキュレーションはたしかに「見えにくく」なっている。それを見えにくくなさしめているのは、莫大な必要量を効率よくコンスタントに供給する工夫と、「乾いた床」への希求と、雨水、汚水から糞尿まで「排出される水」への忌避である。スケールは大きいけれど、建築に見られる水のインターフェースのありかたと、本質的には変わらない。

水をどうにかする「手法」はさまざま、ありうるだろうが、そもそも、そうやって都市を再生しようとすることで何が目論まれるのか、というところが重要だろうなと思う。というか都市の「再生」って何だ?

クールアイランド

2日ほど前からなんとなく調子を崩していた長男の体調がいよいよ悪くなり、咳が止まらなくなって、昨夜はほとんど1時間おきに発作的に咳き込んでは目を覚まして泣く、という、隣で横になっている親にとっては拷問のごとき睡眠環境であった。というわけで今朝、半日会社を休んで(結局1日休んでしまった)、長男を小児科へ連れて行き、いくつか薬を処方してもらった。

今日も暑かった。

僕の自宅のある地域は緑が多い。衛星写真を眺めても、深大寺周辺から野川公園にかけての国分寺崖線一帯は、目立つくらい植物の色に覆われている。おそらくそのために、このあたりは周囲の街よりもずっと涼しい。夜が特に涼しい。調布駅から自転車で帰宅すると、調布駅のある立川段丘から武蔵野台地へ、崖線を上ったところでいきなり、空気の層が変わるように涼しくなる。我が家では真夏でも、夜、クーラーを使ったことがない。

http://www2.kankyo.metro.tokyo.jp/bunpu1/air/mapmenu.asp?mapno=13&date=2004072105
↑東京の気温分布をみると、東京近郊の地域の中で、調布から三鷹にかけてのあたりだけが「クールアイランド」になっているのがよくわかる。暑さに弱い僕にとって、クールアイランド深大寺に住んでいられるのはまことに幸いである。

なのに、毎朝、ただでさえヒートアイランド化して暑い都心にあって、溜池から続くスリバチ地形になっていて空気は澱み、サウナのごとき「熱帯街」と化している赤坂へ通うのである。うう。

2004年7月16日

セキュリティとしてのイミューニティ

発作的にRCサクセションのベスト版CDを買ってしまったのはわたしです。


雑誌の記事の執筆依頼を頂き、お引き受けした。東京湾岸の自然に関するちょっとした文章の予定。

職場にナカツ氏がイベントのお手伝いの打診に来られ、お引き受けした。

このようにして自分の首を絞めてゆくのである。

現在の通勤本:

池田清彦「生命の形式 同一性と時間」哲学書房、2002
多田富雄「免疫・『自己』と『非自己』の科学」NHKブックス、2001

「セキュリティ」が気になっているのだが、生物の「免疫」ってなんか、関係がありそうな気がして。

2004年7月15日

ASLA AWARD 2004

おおお。ASLAの今年のデザイン部門で、ヤマダくんらが受賞している。
越後のトリエンナーレに出展した、中里のプロジェクト。
http://www.asla.org/nonmembers/publicrelations/pressreleases/press04/pressrelease071304.htm

しかし「Yamada Landscape Architects, Oslo, Norway」って、最初、北欧にも日本人みたいな名前があるんだなあ、などと惚けたことを思ってしまった。それにしても、在ノルウェイで、日本の新潟の作品を、アメリカに応募するという、国際的というか手が込んでるというか、やるじゃないかヤマダくん。

実は、材料に、解体された民家の廃材を使っているというのを、説明文を読んで始めて知った。パンフレットとかを良く読んでいないからだ>自分。

去年の秋、トリエンナーレお祭りが終わってから、家族旅行のおりに行ってみた。近所のおばちゃんたちが寄ってたかって、デッキ状の木材の隙間に草花を植えまくっていて、ケイトウだのマリーゴールドだのサンジャクバーベナだののいかにも派手で安価で丈夫そうなジャンゴ系の花に埋まっているのがなんとも印象的でした。

「ジャンゴ系」については以下を参照。
http://mozmoz.web.infoseek.co.jp/jfcframe.htm

ところで、さいたま「けやきひろば」が、Peter Walkerの名前で受賞している。なんか、あのプロジェクト、関わった人がそれぞれ自分のクレジットで各所で受賞してないか?いいけど。

2004年7月14日

自然「再生」

鷲谷いづみ「自然再生 持続可能な生態系のために」中公新書、2004
うーん、これはだめだ。言いたいことはわかるが。

2004年7月12日

Securi-City

日曜日。朝日が昇った途端に家の中まで蒸し暑くなり、じっとしていても汗が噴き出るくらいになって、外へ出て庭に水をまいた。
お昼過ぎ、西の空に遠雷が聞こえ、風が庭の草を揺らし、そのうちに見る見る墨色の雲が広がってきて、いかにも寒冷前線的な大粒の冷たい雨が激しい音を立てて降ってきた。夕立はほんの15分ほどで止んだ。軒下に吊した寒暖計をみると23度。熱気がこう、台地から引きはがされていったみたいな感じである。庭の植物が心なしか頭をもたげたように見える。

涼しくなったとたん、それまでうるさく泣いたり走り回ったりしていた子供らが、電源を切ったみたいに昼寝してしまった。やれやれ。急に静けさのきた居間で、ソファーにひっくり返って、昨日買ってきた、五十嵐太郎「過防備都市」(中公新書ラクレ)を読む。

急速に顕在化してきた「セキュリティ」が都市を変えつつある、ということについて、これまでいくつかの媒体に発表した論考をもとにまとめられた本。近年、日本の都市空間は、テロリズムや、最近その頻度が急上昇している(としばしば喧伝される)窃盗や暴力犯罪などへの恐怖心・不安感から、街づくり、地域共同体、住まいのデザイン、路上のベンチにいたるまで、「空間化した敵意・悪意」を身にまといつつある、という。

一気に読み終えて、いささか、複雑な気持ちである。ひとつには、自分の職業上、こういう傾向には大いに荷担しているため、思い当たるフシがありまくることだ。およそ「建設」に関わる仕事をしているプロで、こうした空気を感じていない人はいないだろう。集合住宅の防犯対策はもとより、最近は「公園」の計画ですら、市や区の担当者から、ホームレス対策をせよという「指導」を受ける。僕らは「排除の空間」をいかにフレンドリーかつ不自然でないものに見せるか、つまり、いかに巧妙で悪賢い排除空間をつくるか、というデザインに心を砕いている。仕事で。自覚しているつもりでも、こうしてあらためて整理されて論じられると、暗澹たる気分になる。

しかしまあ、問題は大きいな。たしかに、テロリズムや戦争や犯罪事件の報道が昨今の変化を早めているという側面はあるだろうが、もともと「誰が何をするかわからない」という不安や恐怖の日常化は、その背景に共同体の解体や規範の消失や価値観の相対化があって、それは近代化のなかで進行してきた大きな流れである。いまさら、「他者を信頼する」ってのは言うほど簡単ではない。たとえば「玄関に鍵をかけない」という生活スタイルを可能にするのは、犯罪率の低さとかいうような「知識」よりも、もっとプリミティブな、そのへんを行き来する人がみな一種の「身内」だという「実感」だろう。現代の都市で、身内の身内性を保証するのは、何だかんだ言って「非・身内」がうろついている領域との境界が強固であることなんじゃないだろうか。身内のレンジの狭さが現代の都市の特徴でもあるわけだから。そこでむやみに(あらためて)個々の住宅を開放的にしようとすると「境界」は近隣に適用されて「ゲーテッドコミュニティ」になる。結局、「セキュアな状態」というのは相対的なもので、一旦意識し始めたら、どこかを区切ってそこへ「インセキュア」を押し込めることでしか成り立たない。かといって、「まんべんなくなんとなくインセキュアな世の中」を押しつけるわけにもいかないし。

本書がくりかえし強調していることは、セキュリティはあくまで「対処療法」であって、これがドミナントになることの危険は、「システムの不調」が「個別の事例」にすり替えられてしまい、本質的な問題が隠蔽されてしまう、ということと、セキュリティを「享受」しているつもりの僕ら自身が緻密に巧妙に選別され操作されて(場合によっては無自覚なまま)「環境管理」に絡め取られてゆく、ということである。前者の極端な例が、終章で触れられている「世界を身内化するために、ヤバそうな(つまり価値観が通じなそうな)連中をむやみに叩き潰しに行く」国による「セキュリティの世界化」であり、後者の巧妙かつ深刻な進捗を予感させるのが、1章で述べられている、テクノロジーを駆使した、人の個体選別によるセキュリティの強化である(ちなみに、「シェルターからスキャナーへ」というのはサノケンタくんが出したキーワードなんだそうで、冴えてるじゃんか)。

書いていて思ったのだが、これは、最近読んだ「心理学化する社会」や「こころを商品化する社会」で指摘されていた問題とそっくりである。「個性」が強調される一方で、心理カウンセラーが幅をきかせ、個別の「こころのケア」によって共同体の問題や教育システムの問題が個人の心理の問題に置き換えられ、管理する側は困難をおぼえる個人を「症例」としてふるい分け、「癒された」個人は現状の体制に「文句なくおさまる」ことで社会の階層化が肯定される、という。

あと、セキュリティが要求する、メリハリのないフラットな空間って、なんか「バリアフリー」に似てないでしょうか?(←ちょっとおよびごし)


実は、もっと建築の話、というか建築家がこうした趨勢にどういう態度や応答を示しているか、というようなことが出てくるかと想像していたのだが、内容はむしろ「社会面寄り」で、「嬉しくない事態の始まりに僕らは立ち会っているようです、という緊急レポート」というおもむきであった。もちろん五十嵐さんとしては、セキュリテクチュアの蔓延は見たくないだろうけれど(僕だって見たいわけじゃないが)、個人的に、次は「セキュリティが変えてしまった建築」の批評を読んでみたい、などという不謹慎な思いもしたりして。

2004年7月 9日

建築の技法、としての「自然」との関わりについて。

10+1の最新号「建築の技法」。

特集記事の最初に、企画した今村さん、南さん、山本さんらによる、テーマをめぐる対談が収録されている。趣旨は、建築について、「建築家がやりたかったこと」だけでなく、「建築を支える技術」だけでもなくて、状況や制約への解答と、そこで取られた表現への意図や思想の結びつきの「ありかた」に目を向けるなら、それは「普遍化する強靱さを持ちうる固有の実例」として、建築家をプロたらしめる、知見のストックになるだろう、というようなものである。なんかこう、誠実でマジメな気持ちが伝わってくる。建築家がこんなふうに、まるでお互いに確かめ合うみたいに職能を問い直しているのは、意外な感じがして興味深い。造園なんかから見ると、建築のプロフェッションなんてよっぽど確固としているように見えるが。

対談の途中、「自然」についての言及があった(つい、こういうところだけに目がいくので)。テクノロジーがもっとどんどん、マチュアになってゆけば、いわゆる「自然」と「対立」するものではなくなってくるだろう、そして、都市に自然を持ち込む意味や視点も変わってくるだろう、という見通し。

そうだといいなと思う。そもそも、自然を「自然」として認知するというのは、自然を「自然でない私たち」から切り離して「対象化」することだ。「自然」への態度がマチュアになれば、おそらく、山本さんのいう「技法として消える」のように、克服するものだったり、征服するものだったり、保護するものだったり、あるいは「持ち込む」ものだったりする「自然」は消えて、もっと空気のごとく「あるもの」になるんだろう。ウィルダネス・ユビキタス。

「フランス国立図書館」の中庭に移植された植栽を「森」と呼ぶのは、屋上ビオトープを「自然」と呼ぶのと同じように僕にはためらわれるが、南さんが言うように、これも「全体の様相が変わってゆく予感」をさせる過程の、ひとつの象徴的事例として見るなら、まあ、許す(←俺が許してどうする)。

本文では、19のケースが論考にあがっている。そのなかの、「自然ー環境」という項目で、柳沢潤さんが「森の学校 キョロロ」を取り上げている。

柳沢さんは「風景(ランドスケープ)」は「建築」と「自然」の関係によって創出される、という仮定(ここで「む?」と思う人は、「建築」を「人為」とか「人工」と読み替えてもいいだろう。という僕はそれでも気分的に差し支えるが、まあいいだろう。建築論だしな)のもとに、その関係の取り方によって、建築を自然との一体化を試みる「ランド型」(余計なことだが、僕はこの手の「自然にすり寄る」建物がどうもキライである)、インスタレーションのように自然と対比させる「ランドアート型」、建築自身が一種の風景/文脈となる「ランドマーク型」の3つのタイプに分類できるが、「森の学校 キョロロ」はこうした類型を同時に内包して「複雑な関係」を生む「ランドアーキテクチャー型」とでもいうべきものだ、としている。

なるほど。もちろん、建物の用途が可能にする表現もあるだろうし、建物のロケーションが可能にする佇まいもあるだろうし、そういう意味で「キョロロ」も特殊なケースだと言えはするけれども、「自然との関係を取り結ぶ技法の洗練」として見るなら、それは、同化や対立や独りよがりを超える冴えた「可能性」である。こうした可能性をさぐる実践の積み重ねを通して、僕らは自然との関係の手応えをつかむ。のだろう。

ただ、「自然」は「(それが建築かどうかはともかく)自然でないもの」をきっかけにして浮かび上がり、その「関係」が「風景」という文化になる、というスタンスにはとても共感するけれども、たとえば柳沢さんが「新たなコンテクストを産出する」ところの「ランドマーク型」として挙げている、「ハノーヴァー万博オランダ館」「グッゲンハイム美術館ビルバオ」「横浜大桟橋国際客船ターミナル」らをもって「これまでの『自然』に対する定義を根本からくつがえ」されちゃう、そんな「自然の定義」ってどの「自然」の「定義」なのだろう?

「自然」という言葉には僕はどうも、引っかかってしまうのである。もっとも、これは僕が僕自身の「自然」の「定義」に納得していないという事情の裏返しであって、論旨に文句をつけているわけではないんだけどさ。

2004年7月 4日

アメリカ独立記念日(日本時間)

調布の関森農園ではイングリッシュラベンダーが旬だ。
調布も多分に漏れず、住宅地とパッチワーク状に錯綜した農地が、いきなり宅地に転用されて建設される中高層マンションが目立つようになってきた、東京近郊の私鉄沿線の典型的な風景を呈している。そんな中で頑張って農家をやっておられる関森さんは、畑の作物に名札をつけてみたり、洋野菜やハーブの栽培をしたり、最近はご自宅の一角で「ハーブ教室」を始めたり、と、いろいろな試みをされていて、それがなんか、周囲の宅地化に対する、農地の「適応」というか、「応答」のように見えてちょっと興味深い。
先週、母が通りすがりに関森さんのハーブ教室に紛れ込み、ラベンダーの花を使ったオーナメント作りを習って帰ってきた。いま、両親の家の玄関にはそのラベンダーが飾ってあって、ドアを開けると何とも言えない甘い香りが漂ってくる。

調布の路上ではエノコログサが旬だ。アスコンと縁石の隙間、風に揺れる緑色の小さい穂は沿道のグラスガーデンである。

我が家の庭では、富士山麓から来たルドベキアと、各種のギボウシと、3年越しでようやく咲いたアガパンサスが全開。ウドンコ病にやられていたヤマボウシ、フジバカマ、ユキヤナギ、ワレモコウらが、薬剤散布で完全復帰した(病気と害虫には薬剤を躊躇しないのが我庭の特徴です)。

ここ3週間ほどの通勤の友:

・前田愛「都市空間のなかの文学」筑摩書房、1982
実は、読んでいなかったのだ。駅前の古書店で見つけて買った。一緒に、
・上野俊哉「思考するヴィークル クルマ/速度/都市」洋泉社、1992
を買う。古書店ではつい、数冊まとめ買いをしてしまう。

・田川建三「キリスト教思想への招待」勁草書房、2004
実家で父が(なんのつもりか)貸してくれた。

・草野双人「雑草にも名前がある」文春新書、2004
まあまあ、面白かった。でも「雑草」という言葉については、いささか言いたいことがある。それは長くなるので後日。

・安田喜憲「文明の環境史観」中公叢書、2004
・沼田眞・岩瀬徹「図説 日本の植生」講談社学術文庫
・只木良也「森の文化史」講談社学術文庫、2004
エコロジーとナショナリズムは親和性が高い。「エコロジズム」はそういう文脈で注視したほうがよくわかる、と思う。ところで、狭い知見での勝手な印象だが、沼田氏にはなんとなく射程距離の遠さというか、思想の大きさのようなものを感じて、僕は好きである。

・鷲田清一「顔の現象学」講談社学術文庫、1998
・小沢牧子・中島浩籌「心を商品化する社会」洋泉社新書y、2004
・大場秀章「花の男シーボルト」文春新書、2001
ぼくはすっかり大場氏のファンになったので、今後、これまでの著作そのほか、コレクションが始まる予定である。

2004年7月 2日

内覧会にて。

先週、竣工した分譲マンションの内覧会に同席し、「設計者による庭の説明」というのをした。

内覧会というのは、マンションを購入したお客様が、入居前に「完成品」を見に来られる「会」である。出来映えの最終チェックをするほか、カーテンとかの内装のオプションを発注したりもする。

呼ばれた時間に現場に着くと、エントランスホールには花を飾った受付テーブルと椅子が並び、若い夫婦や子供連れのお客が歩き回り、周りには販売会社のスタッフやデベロッパーの担当者や施工会社の現場スタッフまで、びしっとスーツを着て立っていて、壁に「3時からお庭の説明会」とハリガミが貼ってあった。

答えに窮するようなとんでもない質問や厳しい指摘をされたりしたらどうしようとか、最近、お客がしばしば連れてくるプロのコンサルタント(たとえば大川さんみたいなひと)が鋭い突っ込みをカマしたらやだなとか、いささか緊張して臨んだのだが、終わってみると、意外にもと言うか、なかなか楽しいイベントだった。お客さんはみんなポジティブだったし。

マンションの庭の設計はいくつも経験があるのだが、実際に入居する住民の方々と直接接する機会は、実はこれまでほとんどなかった。というのは、マンションの場合、建築も設備もインテリアも造園も、設計者が「デザイン」の提示をするのは事業者(と、しばしば販売者)だからだ。(つづく)(長くなりそうなので)