2004年6月20日

高級マンションの憂鬱

最近、仕事柄/時節柄、マンションの外構の設計に関わる機会が多いのだが、都心の、これ以上ないくらいのプレステジャスな立地に、有名建築家をデザイナーに起用した、これまで見たこともないような高級物件から、住宅地のなかに建つ、40戸余りの、中庭のあるささやけき中層マンションまで、いくつもの物件に関わりつつ思ったことは、「マンション」という建物タイプには、豪華になりうる限界みたいなものがあるということだ。内装にしろ外装にしろ、「装」をどれほどゴージャスにしても、マンションは良くも悪くもやっぱりマンションなのである。マンションが許容するゴージャスネスを超えると、どんどん俗悪な様子になってゆく。むしろ、「節約の工夫」が見える物件のほうがずっと好感が持てる(むろん、「いくら何でもこれより貧相にすると売れない」というような、チープにしうる限界もあるだろうが)。これは僕がそもそも「マンション」という「住まいのジャンル」に、ぜんぜん納得できないという個人的な事情による気分によるのかもしれないが。デベロッパーが設定する「グレード」とか、マンション購入者にアドバイスするプロによる「良いマンション・悪いマンションの見分け方」というような能書きに述べられていることなど、たしかに「マンションの世界」のなかで見れば論じるに足りるような事柄なのだろうが、ちょっと引いて見れば、販売価格の桁がちがうようなグレードの差ですら、実に小さい「差異」でしかない。売る側も買う側も、すでにできあがった共通認識のもとに、お互いに選択の幅をせばめつつ、住宅の「ありかた」を固定しちゃってるように見える。かといって、公団の東雲みたいなのを建築家が提案しちゃうのもなんかむかつくしな。いいけど。

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