2004年6月30日

「子」のつく女の子は頭がいい、とはもはや思わないけれど、

僕の家は母方も父方も祖父母の代からのクリスチャンホームである。

クリスチャンの家庭というのは、子供がうまれると、だいたいが聖書の語句にちなんだ命名をする。だから、ある程度そのへんのノリに通じていれば、名前だけで、この人の親はキリスト教関係者なんだろうな、と予測できることもある。

僕自身は洗礼も受けていないし、決して熱心に教会に通っているわけでもないのだが、子供の名前を決めるなんていう、深刻な事態に直面すると、自分で全責任を負う勇気を持てずに、聖書を引っ張り出してきてしまうのである。

長女の名前を決めるに際して、妻はわりとあっさりしていたが、僕は長男のときと同様、頭を抱え、精神的にかなりじたばたし、ひっくりかえって悩んだ。まあ、最終的には、悪くない(と自分たちでは思っている)ところに落ち着き、僕の今期の最大の肩の荷が降りたような気持ちがする今日この頃なのです。

2004年6月25日

May 23rd, 2004 @noon: It's a Girl.

他がどうなのか知らないが、その産院は自然分娩のお産ばかりでなく、帝王切開の手術にも夫が立ち会うことができる。

まず、手術室に妻が運び込まれる。手術のプロセス全体は1時間余りで、そのうちの前半は麻酔やら何やらの「仕込み」である。その間、夫は手術室の前室のような場所で、白い帽子とマスクと上っぱりを着せられて待機している。3、40分ほど過ぎると、いかにも手術中という感じの出で立ちの、帽子とマスクから目だけ出した看護婦が「ご主人様どうぞ、こちらへ」と呼びに来る。オペ室へ入ると、中央に、でかい照明に煌々と照らされた手術台があり、それを囲んでドクターが2人、助手っぽい若いドクターがひとり、看護婦が2人、そして中央に、開腹が「半分」終わっていて、とてもここでは描写できないような状態の妻が横たわっている。夫、つまり僕は、妻の頭の方に回って、側に立っているように促される。手術はてきぱきと、どんどん進む。ドクターの手元でがちゃがちゃとツールらしき金属音がし、看護婦が横から血圧モニターを読み上げる。妻の身体には麻酔がかかっているが、首から上は覚醒しているので、意識ははっきりしていて、話もできる。でも、おなかに大穴があいているのに、平然と会話する妻、というのははっきり言って「ものすごい」光景である。手術が進むにつれて、僕の足からどんどんチカラが抜けてゆく。んもう、これ以上この光景を見せられ続けたらこのまま卒倒して僕がこの病院の世話になるぞと思い始めた頃、文字通り引っ張り出されるようにして女の子の赤ん坊が出てきた。

一昨年、長男も帝王切開で生まれた。でも、難産の末に緊急手術となり、母子ともにへとへとで、コドモの産声もなんだか弱々しく、母親は翌日に痙攣を起こして呼吸困難になり、救急車で大学病院へ運ばれて集中治療室に1週間入れられた、あの騒ぎに比べると、今回はあっけないほどにスムーズなお産(というか手術)であった。長女は小柄ながら、出てきた途端に力強く泣く、やたらと元気な赤ん坊だ。手足をばたつかせている長女を手術台の上から見て、妻はぽろりと涙を流した。予定日よりも早く生まれ(させられ)た、娘は2.5kgあまり、抱かせてもらうと実に軽くて小さい。でも、生まれてきた子を抱いた瞬間の、何とも形容しがたい「手応え」はいつまでも手に残る。ともあれ、6月23日12時16分、無事に長女がうまれました。母子ともに順調です。感謝です。

そういうわけで、息子よ。1年9ヶ月の短い間だったが、家族内のリソースを独占する夢の日々は終わりを告げたのだ。しかも、なんだか実に溌剌と元気な妹が、おとなしくて慎重な兄を圧倒する、強い予感がする。父としては、「歳の近い妹にやりこめられてばかりいる兄特有のコンプレックスのために屈折した少年」なんてことになってしまわないように祈る。

2004年6月20日

高級マンションの憂鬱

最近、仕事柄/時節柄、マンションの外構の設計に関わる機会が多いのだが、都心の、これ以上ないくらいのプレステジャスな立地に、有名建築家をデザイナーに起用した、これまで見たこともないような高級物件から、住宅地のなかに建つ、40戸余りの、中庭のあるささやけき中層マンションまで、いくつもの物件に関わりつつ思ったことは、「マンション」という建物タイプには、豪華になりうる限界みたいなものがあるということだ。内装にしろ外装にしろ、「装」をどれほどゴージャスにしても、マンションは良くも悪くもやっぱりマンションなのである。マンションが許容するゴージャスネスを超えると、どんどん俗悪な様子になってゆく。むしろ、「節約の工夫」が見える物件のほうがずっと好感が持てる(むろん、「いくら何でもこれより貧相にすると売れない」というような、チープにしうる限界もあるだろうが)。これは僕がそもそも「マンション」という「住まいのジャンル」に、ぜんぜん納得できないという個人的な事情による気分によるのかもしれないが。デベロッパーが設定する「グレード」とか、マンション購入者にアドバイスするプロによる「良いマンション・悪いマンションの見分け方」というような能書きに述べられていることなど、たしかに「マンションの世界」のなかで見れば論じるに足りるような事柄なのだろうが、ちょっと引いて見れば、販売価格の桁がちがうようなグレードの差ですら、実に小さい「差異」でしかない。売る側も買う側も、すでにできあがった共通認識のもとに、お互いに選択の幅をせばめつつ、住宅の「ありかた」を固定しちゃってるように見える。かといって、公団の東雲みたいなのを建築家が提案しちゃうのもなんかむかつくしな。いいけど。

2004年6月 3日

イヌと男性おことわり

昨夜終電近く、混んでいる京王線・急行電車で、なんだかやけにいい雰囲気の車両があり、思わず乗り込もうとして駅員に「すみませんが女性専用です」と制止された。(期せずして)女性専用車両に踏み込んだのは初めてだったが、あの、険悪さのまったく感じられない平和な空気はちょっと驚きだ。人間行動学的に、女性のほうがパーソナルテリトリーが狭いそうだが(だから男女が混じっているほうが狭い場所に多くのヒトを詰め込めるらしい)、なんかこう、一触即発の殺伐としたガスに満ちてる「混んだ終電」に身を浸していると、余計に女性専用車両の穏やかな様子がうらやましい。

先週からの通勤の友:
21世紀研究会編「食の世界地図」文春新書、2004
真木悠介「時間の比較社会学」岩波現代文庫、2003
浅羽道明「ナショナリズム」ちくま新書、2004
とくに3冊目、これはのたうち回るほど面白い。ラ系の、特に学生さんは、造園学会の全国大会・学術分科会の発表テキストとして冊子に収録されている、小野良平氏の「里山の誕生」論考とあわせて読むことを強く強く勧める。手元にない場合、送ってあげるからメールするように。

そういうわけで、客先で会議の後、品川駅で構内の書店に立ち寄って、浅羽道明「アナーキズム」ちくま新書、2004、も買ってしまった。ついでに、ササキバラ・ゴウ「<美少女>の現代史」講談社現代新書、2004、を一瞬迷ったすえに買う。こっち方面は苦手なんだけど。まあしょうがねえ。

2004年6月 1日

世界で一つだけの花。

帰路、新宿の青山ブックセンターに行き、そのあと、駅に隣接した「気取り気味」の花屋に寄った。

花束を作ってもらいながら、最近のアレンジメント用の花材はずいぶんボールドな感じになったなあと思った。フラワーアレンジメントにも時代のトレンドがあって、まめに追っかけてみると面白いだろうと思う。

以前、おそらく日本で「トレンドを作ってる人」のひとりである、井上恵子氏というフラワーデザインの先生のクラスに紛れ込んだことがある。母が学生時代に同級生だった、というご縁で、何かのおりに声をかけて頂いて、のこのこと出かけていったのだが、実はそのクラスは、それぞれ自分の教室を持っているようなレベルの人が手直しに集まってくるようなレベルのものであったことがわかり、「ヴェゲタティーフ」とか「ルントシュトラウス」とかよくわからない用語が飛び交うなかで、大いに冷や汗をかいてしまった。

井上先生によると、フラワーデザインの「発信元」はだいたいドイツなんだそうである。日本の場合はさらに「生け花」の影響が大きいらしい。まあ、どの分野でも同様だが、「花束」もまた、時代の気分を察知しながら自覚的に新しいことを試みる一部の先鋭がいて、それがメディアに紹介されたり、スタイルを追っかける1.5から2.5流のクリエイター群に伝播して、やがて街の花屋の店先を飾るんだろう。

ちなみに、イギリスはいつも遅れてるそうだ。考えてみると、ガーデンデザインでもイギリスは必ずしも「先を行ってる」わけではない。最近のちょっとジャンクなスタイルはドイツやオランダからだし、自然植生風のデザインはアメリカからの「逆輸入」だし。近年、イギリス発として注目されたのは、コテージガーデンという「復古調」のスタイルだった。ただ、園芸植物の博物学的収集の集積はすごい。

それにしても、客の見ている前で、素材を選びながら即席で商品を作る、というのは結構なスキルである。花屋さんの技術は、美容師さんとか板前さんの技術に似た緊張感がある。

ヒトが「花」を美しく感るのは、花が咲いていることが、その土地の環境の快適さと豊穣さを保証するものだ、と感じるようにヒトがチューニングされているのだ、というのはスティーブン・ピンカーさんの弁。もともと花をつける植物は、昆虫など他の生物によって遺伝的多様性を維持するために「目を惹く」ように進化しているわけで、咲く花は好ましく思われるべくして思われるんである。おまけに、花屋の店先の花は人工的に高度に調整された環境で育成されて、さらに厳しく選抜されて並べられた商品である。しかも、しおれたり傷ついたりするとあっさり破棄される。only oneなんて甘っちょろいもんじゃない←野暮