2004年5月30日

結婚記念日なんだったそういえば。

■浜松・アクトシティ

造園学会の学術分科会での「土木デザイン」をめぐるセッションは、僕の準備不足で狙っていたようなディスカッションには必ずしもならなかったのだけれども、非常に面白い懸案事項が手元に残った。プレゼンテーターの御代田さんが提示した「土木は自己目的性がない」という話。これは、土木的な仕事に限らず、「(建設を暗黙の前提として構想されるものも含めた)建設されるもの」について、その「範疇」の描き直しをしてみるうえで、なかなか使える切り口になるように思う。

御代田さんは土木と対比させて造園や建築を自己目的的な建設物を産む分野としていたけれど、実際は建築も造園も、携わる人はみな自分の仕事を「自己目的的」だとは思っていないだろう。でも、建築や造園がその(土木からは自己目的に見えるところの)「切実さ」をうたうために弄するレトリック、というと言い過ぎなら「構築するロジック」の強度、というかリアリティは、土木の「議論の余地のなさ」とあわせて考えてみると、ちょっと面白いんじゃないだろうか。

一方、「理念」の水準だけでなく、「産業」としての実際の水準では、土木も建築も造園も、産業の維持のために、まさに自己目的的な建設を繰り返している。そういう土木物の、「非・自己目的的手法で建設される自己目的的物件」のリアリティのなさを、あらためて「自己目的的手法で構想される非・自己目的的造園案件」なんかと比べるのも面白いぞ。

■伊勢原・恵泉キャンパス

土曜日は恵泉の「最後のプレイデイ」に行った。

プレイデイというのは、恵泉女学園短期大学園芸生活学科の学園祭であり、毎年5月の最後の土曜日に開催される。恵泉のプロフィールをくわしく書き始めると長くなるので面倒なのだが、一言で言うなら、日本で園芸に関係する仕事に就いていて恵泉の園芸学科を知らない者は、モグリである、というような学校である。

「最後の」というのは、短大の園芸生活学科が今年限りで廃止されて、多摩にある恵泉の大学のコースへ吸収されることになっているのである。昨今、キリスト教の「全寮制」の園芸専門の短期大学に学生は集まらない。もともと、学校経営的には園芸生活学科はずっと恵泉の「お荷物」だったらしい。恵泉のフラワーショップやスクールなんかの事業も園芸生活学科を支えるべくして作られたそうだ。

大学の事情も決してわからなくはないけれども、こういうちょっと変わった学校がなくなってしまうのは残念だ。規模こそ小粒ながら、この50年間、恵泉は日本の園芸に、無視できない影響を与えてきたんじゃないかと思う。日本の、特に戦後の園芸の歴史研究というのは、あまりされていないように思うが(江戸時代の園芸文化をむやみに持ち上げる、ろくでもない入門書はそこらじゅうにあるが)、だれか「近代日本の園芸文化史序説・恵泉女学園短期大学園芸生活学科の再評価」をやってくれないかな。

■千代田区・皇居前広場

日曜日は東京ピクニッククラブの第2回アニュアルピクニック。週間天気予報を裏切って暑いくらいの好天となり、いつもながら楽しいイベントでした。勤め先の仕事だってぜったいにむちゃくちゃ忙しいはずのピクニシェンヌ伊藤さんが、それなのに毎回凝った料理を何品も持ってこられる、いったいいつ寝てるんだろう、というのがこの1年の疑問だったのだが、芝生に敷いたラグに「く」の字になって昼寝している様子を拝見し、つまり睡眠時間をケズってピクニックの「仕込み」をしている(ろくに寝ていない)のだと合点がいった本日であった。走り回る長男の相手をしてくれたシンカワさんありがとう。

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コメント

はじめまして。しばずけです。
再就職活動中でして、むかしむかしに勤めていた恵泉・園芸科が
なんと、5年前に無くなっていたことを知り、かなりショックです。
当時(30年前)、27歳だった私は、ちょうど今頃、校舎棟地下の
自室で退職前のかたずけを考えていました。
たしか、その年の卒業式も間近い、ほんとに近い日でした。
造園科の学生たち、実習助手の妹分たちとの思い出は、あまりに多く
ありすぎて。
人生に(もしも)は、ないんですが、あの時学園を辞めずにいたとしたら
園芸科の幕切れを見届ける一人になっていたのかと。私にとって
当時の職員で、その行く末を案じている人がいますが、行方不明です。
いつかは再訪したいとも思いながら、足は向かいません。

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