2004年4月18日

春風邪の宵

  • 庭の片隅で、カマキリの卵が孵化し、体長1センチくらいの焦げ目の付いたクリーム色のようないかにも生まれたてという感じの、しかし生意気にカマキリの形をした小さいやつらがわき出るようにぞろぞろと出てきた。
    周囲よりも少し季節の遅い我が家の庭では、カロライナジャスミンがフェンスを黄色に塗り潰し、アジュガとオキザリスとハナニラとギョリュウバイとスミレとタンポポとシャクナゲが零れんばかりに咲いている。アリウムが大きな蕾をつけて伸びている。こうしてみると実にタマネギっぽい。クレマチスもヒメエニシダも咲きそうだ。ヤマブキはシロバナの一重に限る。タケニグサが去年と同じ場所に生えてきたが、宿根草だったっけ?タケニグサ。

  • ISSHOの「ボクセル」のオープンハウスを見逃した。。。
    メールを頂いていたらしいのだが、気がつかなかったか、不達だったか(僕のメーラーは、スパム対策のためにかなり敏感にしつけてあるので、たまに「イベントお誘いメール」の本文テキストが引っかかってゴミ箱へ直行してしまうことがある。探してみたのだが、それらしいメールは見つからなかった)らしくて、土曜日に予定を入れちゃっていたのだ。残念。佐藤さんのフォトコラ見て自分を慰めよう。

  • 読むものが切れて(本屋へいかなくちゃ)、キオスクで買った朝日新聞に「期待される家族像」というコラムが載っていた。いわく、この国には「期待される人質の家族像」がある。出征兵士の遺族が、息子をブッシュに殺された、と堂々と発言できるアメリカとは「風土」が違う。日本のそれは戦時中の「銃後の家族像」を思わせる。云々。

    僕もニュースに流れるたびにご家族の発言の趣旨や態度が変わっていったのを見て、なんだか嫌なものを見たような気持ちになったけれど、一部の家族(と拉致された当事者)の「発言」や「態度」が、こんなに反感や嫌悪を買ったのは、周囲のサポーターやマスコミの思惑と差し向けもあったように見えるけどな。家族のニュースを政府批判の材料として使い回した当のマスコミがこういうことを言うのは、腑に落ちない。

    ただ、「期待される家族像」にはちょっと考えてしまった。これはけっこう深く根強いレベルの、プリミティブな「傾向」に思える。

    僕は、今回の家族の言動への多くの人の反応に、以前、サッカーのワールドカップ・フランス大会での城選手に対する批判や、もっと以前、96年のオリンピック水泳で入賞できずに、「自分のために戦っているんだから放っておいてほしい」と発言した女子水泳選手への批判が相次いだときと同じ空気を感じた。たぶん、「期待される家族像」というよりも、社会的な文脈の中で個人の役回りを正しく演じることへの期待、というような、「身の程をわきまえる」への圧力みたいなものである。これは、発言の趣旨よりも、発言者が想定しているニッチと、周囲が想定している発言者のニッチとの「ずれ」に対して発動する。

    僕らがどれほどの歴史でもってこうしたメンタリティを育んできたのかはわからないが、日常の社会生活ではこの心情はうまく機能する。公的・社会的な立場と、私的・個人的な感情や欲望とを、その場を律している枠組みによって相対的に使い分ける、というのは、別段意識していなくても普段から実践していることだ。家族の中で、親戚一同の中で、友人のネットワークの中で、仕事のチーム?中で、プロジェクトの様々な会議体の中で、会社の組織の中で、その場に応じて、かつその瞬間のフェーズに応じて、場所と立場を「見定め」ながら、逸脱を修正しながら、行動する。社会人でありオトナであるとはそういうことだし、そういう振る舞いができないやつはコドモっぽいと言われたり、はしたないと思われる。(だから、たとえば「庭師のゴミ袋」日記が文句を並べるときに、使えない新人を叱り飛ばしているような調子になるのは共感してしまう。極端な話し、たとえば建設現場で何か問題が起きたとき、「そもそもこの開発は地球に優しくないので中止しましょう」なんて言い出しかねないような人物とは仕事したくない)

    五十嵐さんが日記で言及されていた、被害者の家族の会見は、だから、こう言っちゃなんだけど、良くも悪くも、とても「まとも」に日本的な発言に聞こえるのである。日本は自由でなくなったのか、と驚いたというドイツ人記者はちょっと勉強不足なんじゃないか?日本は以前からこんなもんである。個人的には鬱?しいこともあるし(なぜなら、僕自身は「オトナの振る舞い」の訓練が足りず、その点ではしばしば痛い目にあうからである)、今回のような形でそれが発露するのはあまり見たくないけれども。

    まあ、いまにして思えば、一部の家族の「私の家族の命が危険に晒されているのに、国家のメンツにこだわってばかりいる政府はなんだ」なんて発言も無理もなかったという気もするけれど。僕だって、自分の息子が誘拐されて脅迫映像が届いたりしたときにいきなり何か話せと言われたら、どんなことを口走るかわからない。

    むしろ、事情をわきまえる間もなく発した言葉や、咄嗟に抱いた反感や嫌悪や怒り(匿名掲示板の「世論」はすごかった)が、よく吟味されたり検討されたりしないまま気軽に「公開」されてしまうことや、それが場合によってはチカラを持ってしまうこと、いまはそういう時代なのだということをあらためて考えさせられた。これらは戦時下の異常な有り様というより、情報の広範囲への伝達の速度が格段に向上した現代に特有の現象なんじゃないか、と思う。

    追記。

    同感。というか、いつもながら、実にすっきりとまともだなあ。すこし嬉しいな。
    あとは、中溝に電話でもして話をしてみようっと。

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