2004年2月28日

ゲイのある話

建築家・松原さんの日記:

http://www.ne.jp/asahi/much/art/Diary3/040226.html

僕は、ある個体の生物的性と社会的性が、その社会・時代が期待し予想するありかたで一致しないこともある、ということについては認める。そういう、例外的というか、希少なありかたをどれほど「気にせず」受け入れているかがその社会の寛容さの度合いを示すものであるようにも思うし、一方でそういう価値観はその社会というか文化の「好み」のようなものなんじゃないかと思うこともある。

僕がこのあたりのことについて、自分の日常生活の中で考え込む局面に立たされたのは、アメリカに住んでいたときだった。もう10年以上も昔の話になる(と自分で書いて慄然とした。そうかもう10年も経っちゃったのか。歳をとるわけだなあ)。

今にしてみれば、アメリカでまず感じる、公的な場での性別や人種の差別に対する潔癖さは、一方でびっくりするほど保守的で排他的で原理主義的なところがあるアメリカのカウンターバランスというか、いわば「建前」のような一面なのだと思う。それはまあ、地方都市で「マイノリティ」としてしばらく生活してみれば実感することだ。しかし、渡米した当時はその「建前の徹底ぶり」がいきなり新鮮で、自分の価値観が組み直されるような気持ちを味わった。

僕の住んでいたアパートの上の階の住民はゲイのカップルだった。特に親しくなったわけでもなく、ヘテロセクシュアルには味わえないような未知の世界へ誘われたわけでもなく(僕にはそのような素質も魅力もなかったのだろうと思われる)、廊下や階段で会うと挨拶をして軽い立ち話をする程度のつき合いだったのだが、とてもナイスに接してくれた。着ているものや乗っている車や、二人が階段を上りながらおしゃべりしている会話の端々などに、えもいわれぬセンスや生活スタイルへのこだわりが感じられる人たちだった。きわめて個人的な印象だが、総じて都会に住んでいるゲイの人たちはおしゃれで、物の意匠や料理の質にうるさい。

こんな話も聞いた。彼らは女性を異性として、というか、性的な興味の対象として扱わない。たとえば美容院で頭を触られるとき、客の女性にはそれがわかるので、とても安心して任せられる。というのだ。そういうことは確かにあるのかもしれない。僕にとってこういう話が役に立つのは、想像力を養う一種の思考実験ができるということである。たとえば、痴漢に狙われる憂鬱は、男性の僕にはわからないが、乗り込もうとする満員電車がゲイのお兄さんで一杯だったら、と考えてみる、というような。。。

ちょうど僕が滞在していた頃、アメリカの都市では、「ダウンタウンの再生」に関心が集まっていた。80年代のインベストメント・タックス・クレジット(歴史的に保存価値のあると見なされた建物を再利用するために投資された資本を税的に優遇する制度)によって多くの建築物が商業施設や住宅としてリノベーションされていて、僕もそういう、都心に近い、建物は古いが内装と設備は新しいアパートに住んでいた。でも、いかんせん、都心は犯罪率も高いし保険も高い。せっかく都心に住んでいた若いホワイトカラーの夫婦が、子供が生まれると郊外へ撤退してしまう、というようなことが起きる。

そこで、ゲイの人たちである。彼らは(カップル内での役回りはともかく)なんだかんだ言って男性だから、ダウンタウンを恐れず、都心の倉庫を改造したロフトなんかに住んでしまう。子供も生まれないし。生活財のクオリティに対する要求が高いので、そういう人たちが増えると、そのうち、その周囲にハイスタイルのレストランや雑貨店が開く。すると、スノッブなホワイトカラーがランチやディナーにやってくる。という、「ゲイ文化が牽引する都心再生」がまじめに指摘されていた。

でも、ゲイの人たちが都市に住むのは、彼らが都市生活を好む傾向がある、というだけではなくて、社会的に、都市生活を余儀なくもされるのである。それは、都市が異質なものを許容するところだからだ。アメリカの、保守的で排他的で原理主義的な田舎でゲイライフを送るのは非常に困難である(危険ですらある)。そして、アメリカの大部分はド田舎だ。

結婚について。

僕は、日本では、松原さんが言うほどには、醒めた捉え方はされていないと思う。ただ、「日本における一夫多妻の伝統」がどの時代の何を指しているかにもよるけれど、日本に限らず、多くの民族で一夫多妻は存在した。形を変えていまでも事実上存続している、という主張もある。

スティーブン・ピンカーさんによると、女性にとっても、冴えない男と単婚するよりも、絶大な資本と権力を持った男の「妻の一人」になったほうが遺伝子戦略的に優れているし、パワーのある「勝ち残った男性」がより多くの女性を占有しようとするのは進化的には自然なふるまいである。そして、一夫多妻制のもとでは、男同士は文字通り流血の争いをする。一夫一婦制は「ハーレムを作れないオスがゲームに参加することを可能にする」ことによって、パートナー獲得のための闘争を最小化するために合意されたシステムである、という。

まあ、一夫一婦制度には無視できない人類学的な根拠がある、と説かれても、何が変わるわけでもないだろうけれど、これがなくなってしまうようにはならないだろうなあ。という気はするのである。

2004年2月23日

スノードロップの終わりは草刈りのサイン

お春うございます>各位

土曜日、森美術館でのピクニック・ワークショップは盛況で、楽しい一日だった。

僕は伊藤さんや福留さんのようにスタイリッシュな実践者ではないし、太田さんのように都市のありかたに対してプロテストする気概を抱いているわけでは必ずしもないのだが、聴衆にオフィシャルな趣旨をプレゼンテーションしていると、説明しているコンセプトそれ自体の説得力や整合性や美しさを補強することが楽しくなってしまうのである。

(これは、仕事で計画内容を施主に向かって説得するのとおんなじだ。仕事の場合はしかも往々にして、聞く方もデザイナーの「物語」の内容を額面通り信じるわけではなく、むしろそのプレゼンテーションの辻褄の合いかたに注目している。それはそれで、必ずしも「間違った」聞き方ではないけど)

それと、今回、フードコーディネーターの福留さんのプロフェッションに、じつに新鮮な驚きをおぼえた。まあ太田さんや伊藤さんは多才な人たちだということは充分にわかったので、あらためてそれほど「びっくり」はしないのだが、福留さんが発揮する「日常的な行為や場面を気の利いたものにする」才能には(普段、そういうものに触れていないだけに特別に)感嘆してしまうのだ。福留さんのような職能がちゃんと成立するかぎり、日本は大丈夫だという感じがした。


日曜日、妻は一日中机に向かって仕事をし、僕は子供を引き受けつつ、久し振りに庭仕事をした。今年は暖かくなるのが早くて、なんだか庭全体に「芽」関係が出ている。去年、プロに手入れてもらったので、今年は草の刈り込みがいつもよりも楽だ。

我が庭の植物は草系がほとんどなので、毎年晩夏に最盛期を迎え、秋に穂の乱立になり、冬は「枯れ野」になる。早春には大部分を地面まで刈り取ってしまい、春に地面からまた生えてくるのを楽しむ。この、春夏秋冬のメリハリが極端にある様子、とりわけ、春先に全体を刈り取ってしまうのが結構好きである。毎回「リセット」してしまう潔さが、なんとなく性に合っているのである。

2004年2月15日

展覧会という媒体への接し方についてなど。

深川雅文さんという人のクロッシング展の感想:
http://bbs7.otd.co.jp/pg_web/bbs_plain

およびそこで言及されている土屋誠一さんという人の「試評」:
http://www.pg-web.net/off/tsuchiya/main.html

これは面白い。ううむ。なるほど。こりゃ、はしゃいでる場合じゃないぜ。
これは「展覧会というメディア」の形式に対する問いだな。

ここまでちゃんと言葉にできていたわけではないが、確かに似たような感じは僕も抱いた。でも「それで、それがどーした」という(深川さんによればあらかじめキャンセルされちゃってる)問いから、なんとなく僕らが免罪されているような気分でいられるのは、おそらく、僕らが出しているものがそれ自体「作品」として鑑賞して欲しいものであるよりも、むしろ「ツカミ」なんです、というちょっとずるい気持ちがあるためだ。

でもまあ、トートロジカルというなら、いわゆる「アート」というのは多かれ少なかれ、自己言及的というか、同義反復的なものなんじゃないだろうか。というか、「なんか表現されたもの」のうち、トートロジカルなものが他になんとも呼びようがなく「アート」とされる、というような気もするが。

もちろん、個々の作品やプロジェクトと、展覧会の意図とは別な水準のものであるのかもしれないし、個々の作者は、自ら好んで「自分がどの『領域』に属しているのか」などという発言をしたりしないだろうし、「分野」や「ジャンル」で括ったり分けたりすることのできない「表現」が個別に行われ、それをまた、まったく個別に特殊に享受する、というのが理想的なのかもしれない。

でも、現実には「アート」という「領域」や、その専門家のコミュニティは「ある」と感じられるし、その輪郭が(皮肉にも?)アートの「強度」を補強していることも感じられる。たとえどんなに自由な選択で「クロッシング」させようとしても、実際のところ「作品」は展覧会(を開催する美術館)に、物理的に設置できる物体や装置に限定されてしまう。それで、むしろそれが、「アート」っていう「ジャンル」に輪郭を与えてもいやしないか?というのは言い過ぎだろうか?

僕ら、享受する人たちの心構えとしては、「展覧会」や「美術館」自体がまるでアートであるかのような、過剰な期待はしないほうがいいのだろう。「建築ガイド」が、紹介される物件を建築にするわけじゃないのと同じように。キュレーターの目利きを楽しむ、というメタな楽しみ方は、不健全で退廃的かもしれないけれど、考えようによってはとても高度でスノビッシュな、「通」っぽい鑑賞だよな。

2004年2月14日

茶色と緑

会社からの帰り、水やり後の芝の調子をチェックするべく、ポータブル・ローン(「六本木クロッシング」の、東京ピクニッククラブの展示)を見に六本木ヒルズへ寄った。

太田さんたちの計らいのおかげで、僕は(芝生に水をやっているだけにもかかわらず)「参加アーティスト」として、結構長い列を作って並んでいる他のお客さんたちを尻目に、受付で無料券を発行してもらって入場することができる。以前、アメリカのHOKにいたとき、インドネシアへの出張で乗った飛行機で、チケットが何かの拍子にアップグレードされて、知らぬ間にファーストクラスになっていて、空港でいきなり赤い絨毯を踏んでエグゼクティブラウンジへ案内されちゃったときのことを思い出す。背中に大きな文字で「身・分・不・相・応」と書いてあるみたいな気分である。

芝生は、さすがに展示初日よりもずっとしっとりしていて、全体に緑の新芽が出つつあるのが見えるけれども、なかなか思うようには伸びてくれない。芝刈りの回数が半減するという、あまり上に伸びない新品種の芝を使っているためだろう。温度も申し分ないし、日照も悪くないので、あと1週間くらいしたら全体にもっと緑色になって、「芝生養生中」の札もはずしてしまえるだろうと思う。側にいる監視員の女性に断って、貯水タンクの水量を見ると、タンクの水は残り1/3くらいだった。芝生に種が落ちていたらしく、スズメノカタビラみたいな1年草のPoaっぽい雑草がいくつか生えている。面白いのでそのまま残した。

展望台フロアへ降りて、カフェで、期間限定品の東京ピクニッククラブ特製ケーキセット(五十嵐さん、あれはどうやら「クッキー」じゃなくって「ケーキ」です。でもたしかにこれはおいしい。)を注文してみた。100年前のピクニック読本のレシピを再現したケーキに、今回の展示のためにピクニッククラブのフードコーディネート班がブレンドした紅茶がついてくる。紅茶は「グリーンフィールド」と「ブラウンフィールド」という2種類があり、どちらかを選ぶ。「グリーンフィールド」は緑の芝生のなかで行う古典的なピクニックのスタイル、「ブラウンフィールド」は都市的・人工的な風景や空間のなかで挑戦的に行うピクニック、を指す用語で、紅茶はそれぞれの場面をイメージしたフレーバーになっている。でも、カフェの兄ちゃんは「お茶はグリーンとブラウンがありますが」と、趣旨のわかってない聞き方をした。それじゃまるで「緑茶とウーロン茶どちらにしますか」みたいに聞こえるじゃないか。

2004年2月 9日

ランドスケープはデザインしうるか、という相変わらずの設問。

http://www.japandesign.ne.jp/HTM/REPORT/c_a_l/10/index.html

今回はちょっと面白い(「意図された空間」と「生きられた場所」みたいな話が、最後にどうしてああいう結語になるのかよくわからないけれども)。僕もしばしば同じようなことを考える。これは「最後の問い」である。

宮下さんが縷縷述べていることを、「ランドスケープ批評宣言」のなかで、槻橋修さんがもっと簡潔に、明快に書いている。

「アンダルシアン・グリッド」がそうであったように、「インカ・テラス」や「森の透明性」もまた、土地や自然に対する高度に人工的な営為の中に、ランドスケープを生成する方法がパラレルに存在していることを示している。どの事例も景観の創出を目的とした行為ではないが、ある合目的的な営為が結果的に生成するランドスケープは、それぞれに強度を持ち、独自のアイデンティティを形成するのである。」(「建築家なしの」ランドスケープ)

槻橋さんは、計画学やデザイン論ではなくて、分析的に記述する視点、「ランドスケープの分類学」が必要だ、と言っている。いままで、そういう「学」がなかったわけではないだろう。むしろ景観論や風景論、特に土木工学の周辺の「景観工学」あたりはまさに、風景の分析と分類と、整理、記述に力を注いできた。ただ、これらの多くは「美しい(とされる)風景」に対して、その形態的・視覚的な特性や構造を抽出できれば、建設・計画の手法として定式化し応用できる、という目論みによって研究されてきたように思う。それはむろん、意味のあることだとは思うけれども、その応用はまさに、その場所を意図された空間にするわけだ。

田路さんが「環境の解釈学」の前書きで同じことを述べている(たぶん)。

作り手が誰も彼も無自覚であるわけではなくて、たとえば三谷徹さんは一貫して、意図されて作られたもの「そのもの」が目的であるのではなくて、それが映し出すものへの補助線なんだ、というようなことを言っている。実際にそこの場所がそういう意味での説得力があるかどうかは別としても。

2004年2月 8日

隣の芝生。

街の様子も植生も完全に熱帯だというのに、廈門観測史上初めてという、不意打ちのような寒さのなか、朝早く集合して車に分乗し、石の山やら工場やら先方の事務所やら一日中移動しまくって観光なんかする暇がまったくなく、日が暮れると現地の石材会社の「老李(ラオ・リー)」と晩餐をともにして、この世のモノとは思えないような食事(食文化をあそこまで極める民族を僕はこよなく尊敬し畏怖する)のあと、13種類の漢方だかなんだかが溶入しているお湯に浸した足を1時間半ツボ押ししてもらうという、これもこの世のモノとは思えないようなトリートを受けて、前後不覚になって昏睡するという一週間が過ぎ。

金曜日の夜は、六本木ヒルズの森美術館で開催される「六本木クロッシング:日本美術の新しい展望2004」という展覧会のオープニングレセプション/内覧会に行った。
http://www.moriart.org/contents/roppongix/

いわく「現代美術を中心に、デザイン、ファッション、建築、メディアアートなど多様なジャンルから、複数のキュレーターの異なる眼差しによって参加者が選ばれています。すでに永いキャリアを持つアーティストから若手注目株まで、年齢に関係なく、その時代を代表する創造的で刺激的なアイデアを紹介します」

その、キュレーターが選んだ「注目すべきクリエイター」57組のうちのひとつとして、「東京ピクニッククラブ」(以下、TPC)が出展していて、それをちょっとお手伝いしているためである。キャスターのついた、四角い一坪の芝生を、ピクニックセットやら今回のためにブレンドしたお茶やらお菓子やら、「ピクニックの心得」と一緒に並べちゃうという内容のもの。

Special Thanks To: 共同カイテック
http://www.ky-tec.co.jp/

内覧会はすごい人数で混雑していて、会場にはいかにも「現代アートとその周辺の関係者」然とした男女が超然とした笑みを浮かべて闊歩していたのだった。そのなかに、「作品」を嘗めるごとく睨みながら歩いている某「評論家」を見つけ、それがまた実に会いたくない人物だったため、足早に会場をひとまわりして、シャンパングラス片手に談笑するレセプション会場の群集に逃げ込み、誰とも目を合わさないようにしてしばらくサンドイッチやチーズをぱくついたあと、裏の動線を通ってTPCの展示コーナーへ戻った(おかげで、他の作品をあまりじっくり鑑賞できなかった)。

土曜日。一般へのオープニングの日、午後から「アーティストトーク」というイベントに参加した。これは森美術館の企画で、アーティストが作品の前に陣取っていて、見に来たお客さんが気さくに「作者」に話を聞けるというやつで、20人くらいのアーティストが参加していた。

僕らは、太田さん伊藤さんご夫妻、フードコーディネーターの福留さん、と4人でTPCコーナーに待ちかまえた。これは面白かった。作者の名札をつけて立っていると、お客さんがけっこう質問してくる。森美術館の場合、森タワーの展望台と一緒になっているため、他の「現代美術館」よりも客層が広いのが特徴なんだそうである。たしかに、「アートをチェックにきました」という感じのひとよりも、タワーに登りにきた家族連れやお年寄り群の観光客が圧倒的に多い。これは、展示物にとっては幸いなことではある。

個人的には、おばちゃん相手に芝生の特性なんかを話している方が楽しい。一方で「深読み系」というか、なんか暗い顔をしたひとに「いつもこういう立体のインスタレーションでやってらっしゃるんですか」なんて訊かれると、答えに窮してしまうのだった(インスタレーション「で」ってなんだよ。顔を見て話しかけろ)。もう言い古されているのかもしれないが、「美術館」に「展示」してある「作品」という事態というか、なんかこう、アートの意味をめぐる議論を喚起する場所である。森美術館。

あと、ちょっと新鮮だったのは、「東京/ピクニック」という響きに、即座に反応してくれる若い人が何人もいたことだ。さすがに太田さんたちは、ある種の人のココロを掴むストーリーを紡ぐのが上手である。

あと、そうだ、五十嵐太郎さんの妹さんのジャンヌさんが見に来てくださっていた。

そして土曜の夜。閉館後、設置の日にできなかった「芝生の水やり」に行った。太田さん伊藤さん夫妻、スパイラルの松田さん、それに特別ゲストというか臨時手伝い人というか福島の佐藤さんが合流してくださって、美術館のトイレの水栓にホースを繋いで、2時間くらいかけて芝生のコンテナ全部に注水した。

佐藤師匠は、「森ビルの最上階で芝生に水やりをしている図」を面白がって、しきりに写真を撮っておられた。ので、間もなく佐藤さんのサイトに写真が掲示されるだろうと思われる。みなさまご苦労様でした。