2003年12月28日

中国行きのスローボート

金曜日は「仕事納め」なのだったが、午後、帰宅すべく上着を着て鞄を持ったサカイさんを引き留めて、来年に持ち越しの作業をプロジェクト別に確認していったら、ぜんぜん仕事納まっていないことが明白になった。とほほ。

土曜日、南泰裕さん設計のパークハウスへ、バーベキューに呼んで頂いてお邪魔した。パークハウスの施主のかたは僕らと同世代なのだが、非常にエネルギッシュな愉快な人物で、パークハウスの芝生の屋上にさらに土を重ね、植樹をくわえて「屋上森林」にする作業を着々と進めている。すでに屋上の外周部にはコニファーが生け垣状に列植されていて、一部にはマウンドが作られ、さらなる植栽のための埋め込み型プランター(大きなプラスチックの漬け物樽)がいくつも設置されている。植物の植え方について何度かアドバイス差し上げていたのだが、まさかここまでラジカルに作業が進んでいたとは思わなかった。いや、ちょっとした眺めだ。南さんもハウスのそういう変化を楽しんで見ている感じである。1階の庭の隅には、子供たちが拾ってきて蒔いたドングリが芽を出して葉をつけている。パークハウスは順調に「フォレストハウス」へと遷移しつつあるのだった。

何かの拍子に南さんと菜園の話になった。南さんは「コンパクトシティ」をめぐって、都市の規模や構成単位について研究するなかで、人の生活(というか生存)を維持するということを突き詰めて考えていくと、結局その「もと」は、どのようにして「食う」かというところへ行き着く、という(佐藤さんの高山建築学校の課題の趣旨みたいである)。たとえば人が完全に自給自足しようとすると、どのような規模の農地が必要になるか。

去年から今年にかけて、森ビルの展示企画の作業でそれに似たようなことを僕も思いつき、いろいろと調べてみた。日本はすでに食料の大半を輸入に頼っている。東京は特に極端で、食糧自給率は1%以下である。穀物も肉も野菜も、東京以外の「どこか」からやってくる。食料に限らず、水も電気もガスも何もかも、都市の「生存」を支えるさまざまな物は「都市でないところ」に外注されている。同様に、排泄物も汚水も死体も、都市でない「どこか」へ迅速に消えてゆく。つくづく、都市というのは、人の生活から「自然」に属する部分を覆い隠して、すべてが「人工であるようなふり」をしている場所なんだなあ、と思う。

パークハウスで時間を忘れて、木下さん・高橋さんとの待ち合わせに大幅に遅れてしまった。渋谷で打ち合わせ。僕からは10+1の執筆の分担をお願いする。木下さんからは造園学会その他の企画。加えて、来年新しく始めようとしているプロジェクトの相談。うう、このようにして、どんどんクビが回らない状態になってゆくのである。でもまあ、こうしたことは、声をかけてもらううちがハナなのであって、いまのところ「辞退」という文字は僕の辞書からは削除しちゃってるのだ。ふー。

高橋さんが持っていたSDの最新号と日経アーキテクチュアの最新号を見せてもらった。SDの最新号は、またどういう風の吹き回しなのか、ランドスケープのディテール特集だった(すぐに買いに走った。よい特集だった)。日経アーキには、内藤廣さんの審査によるコンペ「どこにでもある街のどこにもない場所」の結果が載っていた。ちょっと手伝った友人の作品が入選していて、すこし嬉しい。でも、1位の作品にはがっかりする。ランドスケープの学生ワークショップあたりで出てきそうな、しかも突っ込まれまくって落ち込んじゃうようなレベルの提案だと思う。「極めて21世紀的な提案」って、それはあまりに誉めすぎだ。内藤さんの好みの問題なのかもしれないけれども、こういうのが評価されてしまうとすると、建築の人の「自然」観はあまりにナイーブに過ぎるというほかない。ダメだなあ。
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/free/NEWS/20031219/114119/

その後、青学の裏手あたりにあるジャズ喫茶へ移動して、安西さん(「イギリス風形式庭園の美学」の著者)や小野さん(「公園の誕生」の著者)が出演するライブを聴きに行く。会場で山内さん・大川さん夫妻と合流。

ライブは、有名なスタンダードナンバーばかり、ということなんだけど、僕はジャズには暗いので、そこはよくわからない。でもウッドベース抱えてる小野さんも安西さんのフルートもかっこいいし、2時間あっという間だった。とくにこういう即興性の強い音楽は、現場で演奏のノリに巻き込まれるのが楽しいのだった。セントルイスで毎週末ブルース演奏してるバーに入り浸っていたころのことを思い出した。

2003年12月24日

ペンディング・サブジェクト

メリークリスマス>各方面

来年もよき年になりますように。

日曜日、教会の合唱の本番はあっさり終わる。通勤時ひとりパート練習をもうしなくてもいいのかと思うとなんか寂しい。

土曜日、雑誌「デザインの現場」のバックナンバーが山積みされているのを見かけ、目次を漁って原研哉さんの「コンプレックスプール」連載第1回、第2回の掲載された号を見つけて、買った。大収穫。しかも一冊200円。

月曜日の夜は勤め先の「忘年会」があり、赤坂の焼き肉屋で脂質・タンパク質を多量に摂取。僕は酒が飲めないので、飲み会ではひたすら食う。僕は、夜の下り電車の酒臭い酔っぱらいどもには殺意を抱くけれど、酒を飲むこと自体については寛容である。飲み会的な狂騒空間に身を置くことは苦痛ではない。ただ、ハイになるためにアルコールに頼る必要がない(逆に言えば、酒の力によってしか高揚できない友人たちと違って、僕はつねに、24時間、酩酊状態なのである)。だから、飲み会に混じっている僕は、外から見れば一緒に酒を飲んでいるとしか見えないだろうと思う。

飲み会は好きだけれど、僕が嫌いなのは、たまに、「酒の席」の力を借りるように、普段なら言いにくいようなことを放言するひとである。そういうのは、少なくとも僕のその人に対する印象を著しく損ねる。酔っていようといまいと、そういうのは僕は忘れない。子供じゃないんだから、好きで飲むなら同席者に嫌われるリスクを負え。

いやしかし、考えてみれば僕は酒なし酩酊男なので、日常、無自覚に失言や暴言を繰り返しているだろうと思われる。ううむ。ごめんなさい。「素面で酔ってる」うえでの狼藉、許してやってください。(自爆)

上記のようなことを書いておいてこんなことをあらためて言うのも何だが、僕はきわめて執念深い。雑誌や新聞の片隅の記事から、廊下の立ち話程度のちょっとした言い争いまで、咄嗟に納得できなかったり、なんかむかついたりした物事は、ほんの些細なものまで含めて、何年にもわたっておぼえている。僕の頭の中には、まるで読みかけの本を鞄の中に入れて持ち歩いているみたいに、そういう未決事項が常にいくつも並んでいて、ときおり意識の前面に浮かんでくる。そのたびにそういう「案件」をいじくり回し、ああでもないこうでもないと拘泥するのである。

そうした宿題の多くは、なんとなく言葉にできないまま、考えあぐねた末に「未決箱」にまた戻してしまう。むろんこれは、僕の頭の回転が遅くて、往々にしてその場で冴えた反論や言い訳ができない、という「能力の問題」でもあるのだけれども。

でも、未決案件が時として急に腑に落ちたりすることがあるのだ。その主題についてまともに議論していて脈絡がつくこともあるし、別な目的で読んでいた本の一節に啓発されて急につじつまが合うこともあるし、友人や仕事相手との何気ない会話に思いがけないヒントを発見することもある。自分のなかで鍛えた疑問と、自分自身の変化や知見のひろがりでうまく記述できるようになった「懸案事項」は、手持ちのネタとして実に使えるものになる。たまーにそういう感動的な経験をするものだから、わだかまりに付箋を貼って抱え込んでおく習慣がついちゃったのだ。

そういうわけなので、僕が「ふうん」とか「なるほど」とつぶやいて、とりあえず黙り込んでも、それは決してそれをそのままアクセプトしたわけではないのである。その後、時間をかけて、「なぜ俺はああいう物言いにムカついたのか」というわだかまりにインデックスを貼って、また新しい検索キーワードのもとに、使えるデータとして浮上するのを待つために一旦「収納」したのである。

2003年12月18日

汐留の憂鬱

造園学会の学会誌が届く。特集は「都市再生・ランドスケープからの発想」。

汐留の景観デザインに関わったコンサルタントの土田さんという人による事例報告が載っている。

土田さんによれば、シオサイトのアーバンデザインに関して、官民にまたがった「協議会」が設置され、街のハード・ソフトをあわせたトータルなデザインに大きな役割を果たしているそうである。

いわく

「次世代型の都市づくりに求められる良質な都市空間の創造に対して、本来的なアーバンデザインが一定程度以上の責任と義務を果たす必要がある」。

「次世代型の都市づくり」って何だよ、という疑問はあれ、街全体を「デザイン」する視点をもった役割を果たす存在が必要だという話はわかる。そして、協議会は、
「協議会の思いを具現化するコミュニティデザインの出発点としてライフスタイルデザインを検討するため、キャラクターとしてShiodome君を登場させ、舞台となる都市空間イメージを概念的なコンセプトにまとめることにした。さらに、自らの街づくり活動の拠り所となる街を「汐留シオサイト」と命名し、ロゴマークを作成することで、精神的な拠り所ともした」。

本気ですか?

おそらく、大真面目だろう。汐留の公共空間の、痛いくらい格好悪い原因の一端を見たような気がする。

2003年12月16日

もどかしいつぶつぶ

■父親に借りたMPEGプレイヤーで合唱曲を聴きつつ、かすかな声でバスのパートを鼻歌いながら(かすかな声だと自分では思っているが、ヘッドフォンしてるし、本当のところはわからない。ここ数週間、隣に立ったらけっこう不気味な奴だろう)通勤するようになって、あらためて実感したのは、都市はじつに音に、それも「メロディ」に満ちているということである。ケータイの受信音、電車の発車音楽、原宿や渋谷の駅前の大画面から流れてくるプロモーション中の音楽。いつのまにか、僕らは街の風景をBGM越しに眺める環境に浸っているのであった。

■空気が冷たくなった。自転車で駅前から自宅へ向かう途上、三鷹市大沢から調布市深大寺北町に入るあたり、ちょうど国分寺崖線を登りきったところに空気の層があって、まるで暖簾をくぐったように急にがくんと気温が下がる。たぶん2度くらい違うと思う。

■自動販売機で買うコーンスープの、飲み終えても缶のなかに残っていて振ると音がする最後のコーン粒がじつに、ストレスフルである。

2003年12月14日

主よ、人の望みの喜びよ。

ばたばたと一週間が過ぎる。ばたばた。

週末は自宅にいて、妻の仕事をちょっと手伝う。個人庭のデザインというのは、なんかこう、ネジを巻き戻すような心理的効果がある。以前、戸田芳樹さんが、仕事として、採算を無視して、年に一件は個人庭の設計をするようにしている、とおっしゃっていたのを思い出す。

夕方、駅前に出て(我が家は駅からバスで15分の、畑や雑木林の広く残る地域にあるので、つい『駅前に出る』『街へ出る』という言い方になる)、パルコの新星堂でモーツァルトの「宗教音楽・小品集:アーノンクール指揮」というドイツ版の輸入CDと、バッハの「カンタータ140・147番:ガーディナー指揮」を買い、ついでに書店に寄ってなんとなくうろうろし、若林幹夫「都市への/からの視線」(青弓社、2003)と、原研哉「デザインのデザイン」(岩波書店、2003)を買った。

CDは、来週末、教会の俄聖歌隊(にわか・せいかたい)に参加して歌う練習用。帰宅して聴いてみたら、モーツァルトのほうは想像していたよりもえらくゆっくりなペースの演奏で、一方バッハのほうは想像よりもはるかに速いテンポの演奏で、それぞれびっくりしてしまった。ううううむ。アヴェヴェルムコルプスは息が切れそうだし、コラールは目が回りそうだ。いや、どういうのがオリジナルに近いのか、というような疑問は野暮なのかもしれないんですが。

「都市への/からの視線」は前書きからしていろいろと考えさせられる。

サダム・フセイン拘束のニュース。
行政官が「We got 'm」とくだけた言い方をしたのが、なんか、意味なくむかつく。

2003年12月10日

「デザイナーズマンション」

■サンデー毎日12月21日号
『ホンネの住まい選び』「デザイナーズマンションの(Hanako世代が殺到 都市公団もついに進出」でも)おシャレじゃない住み心地」
「新進の建築家やデザイナーが手がける『デザイナーズマンション』。入居希望は依然として高倍率で、30〜40代に人気というが、必ずしも暮らしやすいとは限らないらしい。住まい選びは見た目より住み心地を重視しないと、とんでもない落とし穴が・・・。」

いかにもありそうな、新聞や雑誌が記事にしそうな題材ではあるけど、しかしそれでは、その「住み心地」とは何だろうか。家賃と、その値段なら我慢できるくらいの広さと、水回りと収納と、陽当たりと、屋内気候の快適さと、セキュリティと、駅や買い物の利便性?不動産広告のフォーマットに乗っているようなこういう「住み心地度」を、おびただしい住宅群がそれぞれの制約や事情のなかで最大化しようとした結果、それこそ「見た目」に関心が払われることなく、街全体が裏庭の資材置き場みたいなことになっちゃったんじゃないか。すこしは「見た目」に金と関心を払え。

でも、見出しは扇情的だけど、記事は比較的まともだった。「デザイナーズに住んでみたらひどい住み心地で、すぐに転居した」式の「匿名体験談」は最初の前フリだけで、その後千葉学さんにもインタビューしていて、千葉さんがいいことを言っていて、全体的にはややポジティブな内容。

■カーサ・ブルータス12月10日号
『2003年の建築・デザインのマスト』『えっ!見てないの?」を世界中から集めました。』

建築通を気取るなら、レム・コールハースとジャン・ヌーヴェルくらい押さえとかなきゃ。
という感じ。

ランドスケープ特集やってくれないかなあ。
「よみがえるアメリカン・モダニズム:フレッチャー・スティールの庭を五十嵐太郎が訪ねる」とか「ダグラス・リードの癒しの空間」とか「三谷徹が語る:ピーター・ウォーカーらとその後」「カリフォルニア・シナリオからモエレ沼へ、風景としてのイサム・ノグチ」「ブリュニエ、ウエスト・エイト、そしてランドスケープアーバニズム」というようなディープな企画。別にディープじゃないか。

2003年12月 9日

Teo Torriatte

携帯電話を新しくした途端、発信元通知のない間違い電話が連続していくつもかかってきたため、番号非通知の電話をシャットアウトする設定をした。それから、@vodafoneのスパムメールを頻繁に受信するようになったので、vodafoneドメインのメールをひとまとめにシャットアウトするフィルターを設定してしまった。というわけなので、vodafoneからの携帯メールは受信できませんし、番号非通知の場合は自動的に受信拒否してしまいますので、お電話くださる際には186よろしくおねがいいたします。そもそも、新しくなった番号をあまり人に教えていない、何様のつもりなんでしょうか。わたくしは。

ジョン・レノンの命日である。ジョン・レノンが亡くなったのは高校1年のときだった。でも、僕らの間では、同じ年の9月にジョン・ボーナムが亡くなった衝撃の方がずっと大きかったのです。命日と言えば、フレディ・マーキュリーの命日は11月24日。1991年、ニュースに接したとき僕はセントルイスにいた。。。

2003年12月 8日

布団のなかで平気で読書する脳

最近、年齢のせいか(年齢を感じるのは自分で『年齢のせいか』なんて書くときだ、ということがいまわかった)、床につくとすぐに眠りに落ちてしまう。以前は、どんなに遅い時間でもよほど疲れていない限り、横になってから30分くらいは目が覚めていて、それが「通勤時の電車の中」「朝のトイレ」と並ぶ3大読書時間だったのである。そういうわけで、このごろ本を読むスピードが落ちた。たいへん困る。

・井上史雄「日本語は年速一キロで動く」講談社現代新書、2003
これは面白かった。言葉遣いの変化はこういうふうにダイナミックにとらえないとわからないと思う。本棚に方言についての新書があったことを思い出し、真田信治「方言は絶滅するのか 自分のことばを失った日本人」(PHP新書、2001)を拾い再読。

・茂木健一郎「意識とは何か 〈私〉を生成する脳」ちくま新書、2003
・木下清一郎「心の起源 生物学からの挑戦」中公新書、2002
・橋本治「人はなぜ「美しい」がわかるのか」ちくま新書、2002
ピンカー「心の仕組み」から、このへんの方面の本に興味を抱いて買う。「意識とは何か」は膝を打つようなネタ満載。「awarness is enigma.」上記に関連して、思いついたことがあってまた本棚から2冊ほど引っ張り出して拾い読み。
・山内昶「タブーの謎を解く 食と性の文化学」ちくま新書、1996
・野内良三「レトリックと認識」NHKブックス、2000

・小浜逸郎「なぜ私はここに「いる」のか 結婚・家族・国家の意味」2003
・藤田覚「大江戸世相夜話 奉行、髪結い、高利貸し」中公新書、2003
・佐藤洋一郎「縄文農耕の世界 DNA分析で何がわかったか」PHP新書、2000
・田中秀臣・安達誠司「平成大停滞と昭和恐慌 プラクティカル経済学入門」NHKブックス、2003
書店でなんとなく。

・木下直之「ハリボテの町」朝日新聞社、1996
調布駅近くの古本屋さんでなんとなく。

・田中修「ふしぎの植物学 身近な緑の知恵と仕事」中公新書、2003
これは久し振りにダメ本に当たった。身近に見る植物の意外な生態や植物体の仕組みやふるまいを面白く紹介してくれる、という趣旨はいいけれど、この人をバカにしたような童話調はなんだ。

2003年12月 7日

ためらいの計画学

なんだか忙しくて落ち着かない。

仕事で、サイトアナリシスのプレゼンテーションを作った。建築物単体だけではなく、将来のマスタープランも構想されているというプロジェクトだし、敷地が、斜面林の多く残存する丘陵地帯という魅力的な場所だったので、限られた時間で手に入る限りさまざまな資料を集めて数枚のパネルに編集して建築の設計のエラいヒト(我々に仕事を発注した会社のエライひと)にプレゼンしたところ、その場ではそれなりの反応があった(ように思った)ものの、実は「無駄なことに時間と資源を使っている」と評判が悪かったということが後になってわかり、ちょっとがっくりした。

確かに、多くの場合、その敷地のプロフィールをどれほどスタディしても、そこに建設されるものの性格や様子が大きく変わることは、少なくとも僕がいまの立場で仕事をしているところでは、ほぼあり得ない。良くても、建築の意匠の「参考」に採用されるくらいである。それも、建物の余興のように付け足された「環境共生の記号」であったりする。だいいち、ランドスケープがしたり顔でスタディする行為に支払われるお金は、その土地を開発し建設するための費用の一部として充てられた設計費用のまた一部なのだ。まあ、仕事なんてそんなもんだけど。(というか、単に僕のプレゼンが下手なのだ。たぶん。もっとうまく何かを説得しアピールするやりかたがあるのである。きっと)

造園/ランドスケープは、まずは敷地の周囲へ視野を広げて地理的な文脈を解析する、というトレーニングを積んでいる。多くの場合ほとんど形式的な手続きになってしまっていることが多いけれども、そもそも要素がその土地の「自然」に大きく依拠しているし、施設のプログラムのなかでは機能的な必然性が低いから、デザインのきっかけや根拠をつかむためには、その土地が置かれている「自然状況」を参照する以外にその拠り所がないのである。サイトアナリシスは、時間とエネルギーをかけるほど、地理的・時間的なスケールが大きくなってゆく。1/5,000、1/10,000、1/100,000、それぞれに発見がある。地形図の縮尺が与えてくれるのは、その土地を俯瞰する、よりメタな視点である。敷地とその周囲の造成の歴史、土地の形状と土壌が作用していた農地や街道、集落の土地利用の変遷、長い間維持されていた人為と自然との拮抗が生み出した植生の分布、潜在的にあり得たかもしれない極端な植生のモデルとの乖離、丘陵を形成した火山活動の痕跡、降雨がえぐり取った谷。

小さいスケールで見るとまるで土地をリセットしたように見える近年の都市開発も、実はそれ以前の集落や農地の区画を利用しながら進められているし、土地の造成も経済性や土壌の物理的な組成を無視して行われるわけではないので、大きなパターンを見るとそれが地形を浮かび上がらせていることがわかる。衛星写真のスケールまで行ってから、再度敷地を訪れて実物大のスケールで歩き回ると、もう風景は以前のようには見えない。建物の向きやファサードのデザインやピロティの柱の間隔や、軸に対して受けがどうのこうの、というような議論が矮小に感じてしまうときもある。

でも、どれほど解析の真似事をしても、「その土地そのもの」をほんとうには把握できないような、その土地についに接近できないような、どうしようもないもどかしさがいつも残ってしまうのである。その土地のことなんか、結局ぜんぜんわかっちゃいないんじゃないか、というような不安。あるいは、そこに10年住んでも、その土地の「ほんとう」なんてわかりっこないのかもしれないし、あるいはすぐれた計画者(造園でも建築でも)ならば、優秀なスタイリストがモデルの潜在性を一目で見抜いてその美しさを最大化するみたいに、その土地の潜在的な可能性を一発で見抜くのかもしれない。

しかしそういう場合でも、その「潜在性」に基づいた「計画」の射程距離が問題になるだろう。そこに建設されるもの、の「様子」(たいていの場合、建設物の「内容」は、その土地への取材を反映することとはまったく別な論理ですでに決定している)をその土地にふさわしいものにする、という触れ込みで、限られた時間と労力で、土地の現在の表面を撫でただけの「手続き」で、容易にやり直せないような規模の物事が作られてしまう。そうした営みによってこそ、土地の歴史が刻まれてゆく、などというシニカルな(人によっては大まじめな)議論は、もう僕は買わない。

30年以上も前に、この土地の開発手法に関して冴えた提案があったことを思い出し、いつも頼るC大のK下助教授に電話して資料を送ってもらう。それは、採算が取れないという理由で採用されなかったものなのだが、その緻密さと大胆さと、なによりもその土地への「思いやり」とでもいうような、巧妙な計画にあらためて驚いた。安易に、下手に開発を進めるとひどいことになってしまう、そんな風にならないために、という主張は、その後の丘陵地のたどった歴史を見通していたとしか思えない。いま、その地域はまさに、きっちり「そんなふう」になってしまった。それだけに、その提案が持っている視点は現在、なお新鮮で切実である。オオタカの巣があるから開発をやめろ、というような野暮なやりかたとは別な仕方で。