2003年10月 4日

日常のDQN

http://www-cc.gakushuin.ac.jp/~881791/d/

田崎先生に全面的かつ熱狂的に賛同。ファンレター出そうかしら。

現在の電車のホームは路面電車のそれと本質的に変わっていないと思う。工事用のエレベーターで高層ビルを利用しているようなものだ。柵をつけるのはたしかに第一歩だけれど、本当なら、南北線や大江戸線のようにホームと線路を完全に遮断してドアだけが開くという、それこそエレベーターのような仕組みでないとイケナイと思う。成熟したインフラとして。

僕が田崎さんのいう「身の回りのDQN」(←しかし書いてみると違う意味に見えるな。やっぱり)の代表選手として日頃から憤懣やるかたなく感じているのは「自動車」だ。

自動車の構造って、馬車の時代から本質的にぜんぜん変わっていない。むろん、自動車が支える物流がいまの社会・生活を大きく支えていることは充分に承知しているし、僕自身も(自分では所有していなくて、レンタカーを借りたり、OM氏所有のジムニー借りたりしているけど)自動車の恩恵を大きく受けている。だから、すぐさま自動車をなくせ!などと主張するつもりはないのだけれど、それと、この「自動車の交通システム」の不完全さ、未熟さに不満なのとは話が別だ。

既存の自動車のサイズと性能によって、駅前の広場もホテルのエントランスも、基本的な形は全部決まってしまう。建て売り住宅の庭はカーポートにほとんどの面積を取られてしまう。街を歩いていて僕らが一番目にする「風景の表面」はアスファルトだ。23区内の道路と、車の保有台数から逆算した駐車場面積をあわせると、山手線の内側がだいたい埋まってしまう。

自動車と車道は一緒に発達してきた「セット」のシステムであるわけだけど、平坦で固い地面しか走れない、自動車というのはそれだけ取り出すとほんとにプリミティブなダメ機械だと思う。

自宅の前の道路が武蔵境通りの抜け道になっているため、ときおりすごい勢いで車が走り抜けてゆく。近所の小さい女の子が若いドライバーの運転する車にはねられて大けがをしたことがある。長男がよちよち歩きを始めたが、前面道路のことを考えると憂鬱になる。朝、バス停への途上、狭い道路を車がやってくるのを見ると、毎回、緊張してしまう。1トンの金属のカタマリが、ぶつかると簡単に人を殺せるスピードで走ってくる、その車が僕らに突っ込んでこない保証は実はどこにもなくて、こちらはただドライバーがまともで健康な良識的な人間で、かつ素面で、ある水準以上の運転操作技術を有している、と「信じる(というか祈る)」しかないのである。交通事故の死者は毎年1万人という。これって、ジャンボ旅客機が毎年30機近く墜落しているくらいの数になる。

物流も旅客も自家用も含めて、自動車は劇的に改良されて欲しい。いやそれとも、リスク分析すれば、道路や自動車のシステムを変更するほうが、交通事故による毎年のロスよりもコストが高い、ということになるんだろうか?

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