・差し当たってメモ
・西村佳哲「自分の仕事をつくる」晶文社、2003。感動的。ネタ満載。
・ハロウィン向けカボチャ彫刻。和光の雑貨ショップで、付け焼き刃石川によるデモンストレーション/体験ワークショップをやります。10月25日土曜日、午後1時から。参加自由。場所:和光市新倉2936「Favorite」
・オーナメンタルグラスについて、ふたたび考えたこと。
こちらは、石川初(いしかわはじめ)のweblogです。
2003年10月22日
・西村佳哲「自分の仕事をつくる」晶文社、2003。感動的。ネタ満載。
・ハロウィン向けカボチャ彫刻。和光の雑貨ショップで、付け焼き刃石川によるデモンストレーション/体験ワークショップをやります。10月25日土曜日、午後1時から。参加自由。場所:和光市新倉2936「Favorite」
・オーナメンタルグラスについて、ふたたび考えたこと。
2003年10月16日
セキュリティに対する意識が高まる中、エクステリアにおける対応にようやく各社の動きが見えてきた。先鞭をつけたのは三協アルミだが、その後、松下電工、東洋エクステリア、大仙らもこれらへの対応を行ってきた。こうした状況下に、YKK APでは、家一棟まるごとディフェンスによる抑止・抵抗・防犯をコンセプトにした防犯配慮商品を登場させる。
防犯配慮商品ニューラインナップ:
http://www.ykkap.co.jp/news/2003/030930-2.html
防犯アイテムカタログ:
http://www.ykkap.co.jp/product/security/index2.html
僕は咄嗟に、園芸用の猫除けグッズを思い出した。
こういう「排除系」は、社会や時代がどうのこうの、という説明もさることながら、それを支える心理というか「本能」みたいなもの、に、ちょっと興味をおぼえる。程度や規模や露骨さに差はあれ、様々な空間に何らかの形で作用して形を作っているように思えるので。
2003年10月13日
土曜日の午前中は麻疹の予防接種のために息子を飛田給の駅前の小児科に連れて行き(しかし息子が風邪気味のため延期になった。風邪薬を処方してもらって帰ってきたのでまったくの無駄足ではなかったけど)、午後は新たに導入した食器棚を我が家の屋内のレイアウトにはめ込むべく、けっこう大々的な配置換えをした。限られたスペースにモノが詰め込んであって、ほとんど物置の中で生活しているような案配なので、何かしようとするとドミノ式に様々な家具の配置に影響が及び、机や本棚やその他をあっちこっちへ移動することになって、キッチンの模様替えなのに、僕のパソコン机の横に本棚を配置するためにノコギリで高さを調整する、というような作業へ波及するのである。
大汗をかきながら本やCDの山をあっちへやったりこっちへやったり、棚を分解したり組み立てたりしているうちに、同じく風邪気味だった僕の熱が上がってきて、調子が悪くなり、布団を敷いてひっくりかえる羽目になった。
妻は夕方から、ロンドンのインチボールド・デザイン学校の同窓会に出かけた。身内が留学したから言うわけじゃないが、インチボールドは、少なくとも当時、庭の「デザイン」を教える学校としてはもっとも厳しい、密度の濃い、いいカリキュラムの学校だったと思う。卒業して5年、妻のクラスメイトはそれぞれ、造園の設計事務所に勤めたり、独立してフリーのデザイナーをしたりして、頑張っている。
いまではそれほどでもないが、彼女らが帰国した当時、「イギリスでガーデンデザインの勉強をしてきました」という、特に女性に対する、日本の造園施工系オヤジ群の偏見と反感はすさまじいものがあった。たしかに稚拙で未熟な「デザイナー」も多かったけど、僕の見る限りでは、インチボールドでトレーニングした連中はそれなりに鑑賞眼も表現力もあったし、造園オヤジが作り始めていた、婦人雑誌のグラビア見よう見まねのおぞましい庭よりは270倍くらいマシなものを作ろうとしていたと思う。頑張れインチボールド同窓生。
僕の方は一晩眠っても熱が下がらず、日曜日はそのまま一日中ごろごろしていた。手元にある未読本は「レヴィナスと愛の現象学」とか「最後のモード」とか、病人が読むたぐいの本ではないので(いや、別に体の調子がいいときにはすらすら頭に入ってくるというわけでもないけど)、本棚から久し振りに山本周五郎の文庫本を何冊か持ち出して横になり、寝返りをうちつつ、眠ったり目覚めたりしながら、「深川安楽亭」とか「町奉行日記」とかを読み、なんだかすっかり頭が江戸の下町で埋まっちまった。たまにゃあ風邪で寝っ転がって過ごすのも悪かねえ。
2003年10月 8日
■予期せぬ嗜好について:
Amazonは、本やらCDやら、商品ごとに、同じものを買った客が他に何を買ったりチェックを入れたりしたか、というデータが蓄積されていて、アクセスすると「おすすめ」の商品ラインアップが表示されるようになっている。そこには「おすすめの理由は?」というリンクがついていて、その商品を買った人はこういう商品も買っています、という「実績」が示されている。
僕も割と頻繁に利用しているので、僕の好み自体がアマゾンのデータベースの傾向にささやけき影響を与えているはずである。僕への「おすすめ映画DVD」には、「シン・レッドライン」とか「ブラックホーク・ダウン」といった戦争映画や、ナウシカとかラピュタといった宮崎アニメの「空中を飛ぶ系」が並んでいる。理由は、以前、GPS関係の本を買ったためのようだ。少なくともアマゾンを利用する人でGPSに興味がある人は、戦争映画や、「空飛ぶアニメ」が好きな傾向があるわけである。
ふむ。
あと、小津安二郎DVD-BOX第一集も「おすすめ」されている。理由は、「スティーブン・ピンカーの本を買った/チェックを入れた」から。
なるほど、スティーブン・ピンカーの本を好む人は小津安二郎が好きな傾向があるわけだ。
・・・ん?
■血液型によるキャラについて:
http://www2.justnet.ne.jp/~shozo_owada/index.htm
こりゃあまたすごいサイトがあった。この情熱はどこから来るのだろう。
僕は血液型の話が嫌いである。というか、「血液型の話を好む人」が持っている雰囲気が好きじゃないのだ。いっそ「血液型の話題を好む人に多い血液型」の分析でもしてほしい。
たぶん、僕が公平に自由に世の中を眺めているわけではなくて、そういう意味では僕自身、「血液型の話なんか好きなヤツは予断と偏見とステレオタイプで貧しく世界を見ているに違いない」という予断と偏見とステレオタイプを持っているのである。僕のまわりで血液型の話なんかしないでくださいね。よろしく。
ただ、なぜこんなに日本だけが、血液型による性格判断が普及浸透しちゃったのだろうか、という文化人類学的興味はある。なぜだろう。
書いていて思い出したけど、太田さんも血液型の話をしていたなあ。でも、「ハラケンの人はみんな血液型の話するのよもう(ため息)」という伊藤さんのフォローとセットだったので、許す。
2003年10月 7日
原研哉「マカロニの穴のなぞ」(朝日新聞社、2001)。
新聞に連載された短いエッセイ集。実はずっと、BK1のショッピングカートに放り込んだままだった。今回、あらためて芝生の勉強をしようといくつか文献を検索した際にこれを思い出し、ついでに買った。感想:どーしてもっと早く買わなかったんでしょうかわたくしは。マヨネーズの穴。
デザイナーとしても幅広く活動されている原さんはまた、すごくいい文章を書く人である。これを楽しむだけでも買う価値があるし、デザインを生業にしている、デザインに関わっている人にはとても励みになると思う。
以前に刊行されたエッセイ集「ポスターを盗んでください」(新潮社、1995)も、とてもいい。でもどうやら版元品切れらしい。
近刊「デザインのデザイン」も期待大。
5年ほど前、ちょっとだけ仕事をお手伝いしたとき、原さんが見せて説明してくれた、「デザインの現場」誌に連載していた「コンプレックス・プール」という企画の話(貴重な体験であった。今思うと)と、そのときに準備中だったRE DESIGN展、これらには天地がひっくり返るような思いがした。ほとんど自分のなかの「時代区分」のような思い出だ。
デザインの仕事を志している若い人で、「RE DESIGN 日常の21世紀」(朝日新聞社、2000)をもし知らない場合、その不明を深く恥じ、ただちに書店に走って買うように。
2003年10月 6日
土曜日はLivingWorldの西村佳哲・藤本たりほ夫妻の企画に建築家の山田貴宏氏、デザイナーのトム・ヴィンセント氏が参加して、「石川初の解説つきで都心の地面を見てあるく散歩」を行いました。赤坂、赤坂見附、途中でホテルオークラの回転するレストラン昼食を挟んで、北青山の都営住宅、最後に原宿へ。気候もよく、なかなか楽しい散歩だった。
赤坂で、「捨て鉢サバイバル」(屋外に放置された観葉植物が気候に馴化し、かつ鉢の下の地面を発見して根を伸ばし、外部の植栽として生存するという新しい一歩を踏み出すこと)を開始しているシェフレラを発見した。がんばれ。
ホテルオークラの最上階の回るレストランは53分で一周する。ランチはバイキング形式で、前菜から始めて、ちょうどデザートを摂るころに「ひとまわり」するようになっている。なかなか良くできたシステムだ。
たりほさんはしきりにユリノキの実を拾っていた(一個くれた)。
北青山の都営スタイルは相変わらず素晴らしい。ここもいずれ大規模な建て替えがされるんだろうか。されるんだろうなあ。
同潤会アパート跡地の工事用仮囲いは、灌水装置をつけた芝やセダムのシートや、土壌を入れたフェルト質のポケットに植えられたローズマリーやヘデラで「緑化」されている。うーむ。心意気は買う。クラインダイサムのデザインだそうである。
最後に入った、なんとかいうガーデンカフェの2階が雑貨店で、ガラス製の壁掛け花瓶のようなものに惹かれて、妻に贈るべく2つも買ってしまった。予想をはるかに上回る値段だった。とほほ。
悲しかったこと:
・クランツ赤坂が閉店していることに気づいた。落胆大。
・植生の遷移を楽しみに眺めていた、赤坂「10年空き地」が整地され、育っていた樹木も藪もキレイに消滅していた。うう。がっくり。
2003年10月 4日
http://www-cc.gakushuin.ac.jp/~881791/d/
田崎先生に全面的かつ熱狂的に賛同。ファンレター出そうかしら。
現在の電車のホームは路面電車のそれと本質的に変わっていないと思う。工事用のエレベーターで高層ビルを利用しているようなものだ。柵をつけるのはたしかに第一歩だけれど、本当なら、南北線や大江戸線のようにホームと線路を完全に遮断してドアだけが開くという、それこそエレベーターのような仕組みでないとイケナイと思う。成熟したインフラとして。
僕が田崎さんのいう「身の回りのDQN」(←しかし書いてみると違う意味に見えるな。やっぱり)の代表選手として日頃から憤懣やるかたなく感じているのは「自動車」だ。
自動車の構造って、馬車の時代から本質的にぜんぜん変わっていない。むろん、自動車が支える物流がいまの社会・生活を大きく支えていることは充分に承知しているし、僕自身も(自分では所有していなくて、レンタカーを借りたり、OM氏所有のジムニー借りたりしているけど)自動車の恩恵を大きく受けている。だから、すぐさま自動車をなくせ!などと主張するつもりはないのだけれど、それと、この「自動車の交通システム」の不完全さ、未熟さに不満なのとは話が別だ。
既存の自動車のサイズと性能によって、駅前の広場もホテルのエントランスも、基本的な形は全部決まってしまう。建て売り住宅の庭はカーポートにほとんどの面積を取られてしまう。街を歩いていて僕らが一番目にする「風景の表面」はアスファルトだ。23区内の道路と、車の保有台数から逆算した駐車場面積をあわせると、山手線の内側がだいたい埋まってしまう。
自動車と車道は一緒に発達してきた「セット」のシステムであるわけだけど、平坦で固い地面しか走れない、自動車というのはそれだけ取り出すとほんとにプリミティブなダメ機械だと思う。
自宅の前の道路が武蔵境通りの抜け道になっているため、ときおりすごい勢いで車が走り抜けてゆく。近所の小さい女の子が若いドライバーの運転する車にはねられて大けがをしたことがある。長男がよちよち歩きを始めたが、前面道路のことを考えると憂鬱になる。朝、バス停への途上、狭い道路を車がやってくるのを見ると、毎回、緊張してしまう。1トンの金属のカタマリが、ぶつかると簡単に人を殺せるスピードで走ってくる、その車が僕らに突っ込んでこない保証は実はどこにもなくて、こちらはただドライバーがまともで健康な良識的な人間で、かつ素面で、ある水準以上の運転操作技術を有している、と「信じる(というか祈る)」しかないのである。交通事故の死者は毎年1万人という。これって、ジャンボ旅客機が毎年30機近く墜落しているくらいの数になる。
物流も旅客も自家用も含めて、自動車は劇的に改良されて欲しい。いやそれとも、リスク分析すれば、道路や自動車のシステムを変更するほうが、交通事故による毎年のロスよりもコストが高い、ということになるんだろうか?
2003年10月 2日
建築学会のシンポジウムに行ってきました。いや確かに、あとで高橋さんやオタベが言ったように、何かすごく新しい、驚くべき発見があったわけではなかったし、えてしてこういう異種格闘技戦敵ラインアップは議論の焦点が拡散するから、散漫な印象が残るんだけど、だから「都市再生へのヒントを掴んだぞ俺は」というようなお土産はなかったんだけど、あらためて自分の立ち位置について考えてみるにはよい機会でした。内容報告・感想はのちほど。
スティーブン・ピンカー「心の仕組み」をほぼ読み終えた。これは期待以上の面白さ。ただ、思うところも多々ある。これも書き始めると非常に長くなることが約束されているので、またのちほど。
こんな企画を見つけてしまったものだから、つい意識してしまい、一読して文意が頭に入ってこない箇所について原書でチェックしてしまうので、実に時間のかかる読書だった。重いし。僕は翻訳を「改良」するような器じゃないが(だって僕が誤読している可能性があるから)、見比べてみると、文章のテイストがずいぶん変わっちゃってるなあ、というのはよくわかる。和訳は野暮なくらい固い感じがする。原文の軽快さ、ポップな感じが失せていて、本の印象が原書と和訳では結構違う。難しいところだろうけどなあ。