2003年9月16日

ムラオコシ・アートの悲しみについて

世間は連休であって、もちろん「世間」に生きているところの僕らは連休を満喫すべくレンタカーを借り、新潟県十日町市までドライブして、ベルナティオ・当間高原リゾートのコテージに宿泊し、長男の一歳の誕生日をささやかに祝いつつ、トリエンナーレの「祭りのあと」を巡り、ヘアピンカーブのデッキや錆びた鉄のポケットパークや、うねるアスコンの駐車場やら、タコ足建物と周囲のアート群やらを見回ってきた。

どれも面白かったんだけど。
どうも、こういう、博覧会的に置かれる「アート」の意味というのはよくわからん。

補助金やら何やらが獲得できて、世界中のアーティストが作品を寄せてくる、というような事態は地元が渇望することではあるだろうし、「田舎」という文脈は見方によってはチャレンジングだし、表現の場を与えられればアーティストは一生懸命作るだろうけれど。

だから、それぞれの「作品」はよくある交流センターとか駅前の不気味なキャラクター彫刻なんかとは比べるべくもない水準ではあるんだけど、なんか、「期待される村おこしモード」が、個々のアーティストの意想とはまた別なレイヤーに覆い被さっているのが感じられて、こう、全体的に、無理をしているというか、浮いているというか、わざとらしく芝居がかった感じがするのだ。予想していたことではあったんだけど。

原広司さんの設計した「越後妻有交流館・キナーレ」も、下手に田舎めいた意匠や十日町の望むテイスト(十日町はイタリアのコモと姉妹都市で、やたらとイタリアを冠したものを作りたがる)に媚びていないところが好感を持ってしまうのだけれど、でもやっぱり地方の「なんたら交流センター」や、気合いの入ったデザインの「道の駅」なんかに共通する、なんともいえない気恥ずかしいような、空疎な、「それがどうした」みたいな感じは全館に満ちていた。交流するかね?あそこで。

いや、「観光する人」の視点から身勝手に見ていることはわかっているし、僕自身もこういう「交流センター」の建設を望む産業の一角で仕事をしていて、この悲しみの一翼を担っている、ということもよくわかっている。つもりなんだけど。

なんか複雑な思いにとらわれた2日間であった。

あ、それと、松代のそのMDRDVの建物の「農舞台」の入場券を買うと、券に、「地球の原油の尽きるまで」とか、「センター開館から現在の瞬間までの山手線の走行距離」とか「地雷除去数」とかが刻印されるのだけど、これってSensoriumの「While You Were」とそっくり同じである。Sensoriumのメンバーが企画に参加したんだろうか?そうでなきゃ完全にパクリだ。

http://www.sensorium.org/whileyouwere/index-j.html

月曜日は、南町田のショッピングモールへ車ででかけた。ベビーカーを押してアウトレットショップで靴やバッグを買うという、絵に描いたみたいな「郊外の家族」の一日でした。

■追記:
そりゃ、イベントが終了したあとで行くからですよ、と言われた。>トリエンナーレ。

うん、まあそうかも。

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