2003年9月27日

王立園芸協会・日本支部

収納アドバイザーの本多さんのご紹介で、RHSJ(イギリスの王立園芸協会・日本支部)のスタッフが、「オーナメンタル・グラスを使ったガーデニングを実践している個人に話を聞く」という趣旨で、ウチの裏庭を取材に来られた。今年は子供に時間と労力を奪われていて、庭はあまり手をかけていないし、そもそも、並み居る園芸のエキスパートの目に晒すような内容の庭ではぜんぜんないのだが、日本国内でグラスの関心が少しでも上昇する可能性がある事にはすべからく協力するのです。

来られたのは実に頭の回転の速そうな、話を聞くのが上手な、接していて気持ちの良い女性の編集スタッフで、実に4時間以上も庭話に盛り上がってしまった。というか、あとから思うと、こちらが引き留めて、夫婦で(いや、主に僕が一方的に)しゃべりまくったような感じだった。しかし、逆の立場になることもあるのでよくわかるが、庭道楽/園芸道楽人に「いつごろ、どういうきっかけで園芸に興味を持たれたのですか」というような魅力的な問いを発したら、それから半日は話を聞かされる覚悟をしないといけないのである。

思わぬ収穫として、かねてから気になっていたRHSJについて、いくつか興味深い話を伺うことができた。

・イギリス国外で、RHSの名を冠した「支部」があるのは実は日本だけである(僕はまた、世界中に支部があって、イギリスの園芸的世界支配が行われているのかと思った)。非常に熱心な日本人パトロンがいて、20年ほど前に設立したということらしい。

・会員数は3,000人ほどである。意外に少ない。

・The Garden(RHSの機関誌)の日本語版のための編集専任スタッフは、なんと2人しかいない。

・しかも、その2人のうちの一人は僕の大学時代の同級生であった。びっくり。

そういうわけなので、もし、これを読んでいる農大造園31期がいたら、旧姓T・メグムさんは元気に、王立園芸協会で働いているそうですよ、というお知らせでした。いや、あまりの狭さに目眩がしそうだ。

2003年9月26日

イベントのおしらせ。

下記、イベントのお知らせです。
意気軒昂というかんじ。僕はこの日、「東京スリバチ学会」のフィールドワークの予定を入れちゃったので、行けません。

RLA200人集会 〜これからのランドスケープアーキテクトの像〜
 社団法人ランドスケープコンサルタンツ協会
 登録ランドスケープアーキテクト(RLA)資格制度総合管理

社団法人ランドスケープコンサルタンツ協会(CLA)では、平成12年より「国際的に通用するランドスケープアーキテクト」の資格創設に向けた活動を行ってまいりました。
さらに、平成14年より「登録ランドスケープアーキテクト(RLA)資格制度総合管理委員会」をCLA会員以外のメンバーを加えて組織し、そこでの審議と審査及び有資格者の登録申請の下で特別認定を行い、200人が登録ランドスケープアーキテクト(RLA)資格を取得する運びとなりました。
今後、私たちは、この特別認定者200人を総動員して、国際標準に適合したプロセスを経ながら、資格制度の社会化に向けて活動を本格化したいと思っております。その第一歩として、200人のランドスケープアーキテクトとこれに関心を持つ者が一堂に会し、新しい資格制度の誕生を祝い、21世紀における私たち果たすべき役割を語り合う集い「RLA200人集会」を催すこととなりました。
本資格制度に期待と関心をお寄せの皆様にも積極的にご参加いただきたいと考えております。多くの方のご参加を心よりお待ちしております。

●開催日時:2003年10月12日(日)
●開催場所:明治神宮会館(明治神宮境内)
●参 加 費:第1部 ¥2,000(学生無料)第3部 ¥6,000
●定  員:500人
●申込み方法  RLAホームページ(http://www.landscape-architect.org/)をご参照ください
●プログラム(予定)
第1部(10:00〜12:30)
講演会
□挨拶 CLA会長 杉尾伸太郎『RLA資格制度の創設にあたって』 
□挨拶 RLA総合管理委員長 蓑茂寿太郎『RLA資格制度確立に邁進中』 
□基調講演 東京大学名誉教授 伊藤滋先生 『美しい国づくりとランドスケープアーキテクトへの期待』
□RLAリレートーク 『私にとっての21世紀のランドスケープアーキテクト像』
昼休み(12:30〜13:30)
第2部(13:30〜16:00) 
□ワークショップ  『ランドスケープアーキテクトの果たすべき役割と夢』
※一般の方は傍聴のみとなります
第3部(16:30〜18:30)
□立食パーティー

2003年9月24日

崖線をゆく:予告編

最近、勤め先のゼネコンを辞めて独立したヨシシュウくんの要請をうけて、住宅の新築予定地の既存樹木その他を診断するべく、半日造園コンサルティングに行ってきた。田園調布の西のはずれにあって、多摩川の方向へ眺望が開けている、すばらしく気持ちの良い斜面の敷地だった。ボランティアだけど、来年、竣工したあかつきには、テラスのバーベキューに呼んで頂けるという施主の方のお誘いも頂いたし、まだ解体前の古い家の書斎から、昭和8年刊の社交ダンス入門書、姫野宏亮著「ウォルツの踏み方」なんて古本を頂いてきちゃった(勝手に取ったわけではなく、同行された元の家のオーナーが持っていって良いよとおっしゃったのである)し、田園調布の雰囲気もなかなか楽しんだ。

田園調布のあたりは武蔵野台地の南西、台地が多摩川の低地へ落ち込む国分寺崖線の南端にある。崖線沿いに北へいくと、尾山台、上野毛、二子玉川、瀬田、砧、成城、仙川、深大寺、三鷹市大沢、と、わりと高級な良い感じの住宅地が続く。

崖線沿いには多く樹林が保存されている。道路や鉄道や宅地開発で分断されているものの、衛星写真で判別できるくらいの輪郭をもって、大田区から国分寺市まで続いている。都市部では貴重な緑の連続だ。田園調布から、崖線の北端の国分寺までは20kmくらいある。これは一度、縦断してみたいぞ。全行程歩くのは大変そうだから、自転車がいいだろうか。でも帰ってこなくちゃいけないんだよな。自転車だと。

2003年9月21日

秋がくるたびに

■追記:
 お見舞いのメールを何通も頂きました。ありがとうございます。去年の話なんです。わかりにくい書き方ですみません。


長男の誕生は、んもう、ものすごい難産だった。予定日を過ぎても兆候がなく、検診に行ったところ、臍帯が胎児の首に巻き付いているため、帝王切開が必要だと言われ、その場で入院したのだが、入院してから再度検査してみると、やっぱり自然分娩でも大丈夫かもしれない、ということになって(息子が子宮の中で「回転」して首に巻き付いた臍の緒をほどいたのかもしれない。このへん、なんかよくわからん)、妻はそのまま病室でごろごろしながら陣痛が始まるのを待った。

入院して2日目だったか、陣痛が始まったのだが、そこから先になかなか進まないのである。微弱陣痛というのだろうか、でも見る限りすごく痛そうではあった。時間を記録しながら妻の腰をさすったりし、間隔が狭まってきて、これは、と盛り上がりかけたところでフェードアウトしてしまう。結局そのまま5日間、病院に居続けることになった。僕も病室に泊まり込んで、そこから会社へ通った。妻は食事もあまり摂れず、断続する痛みと睡眠不足で、見るからにフラフラになってきて、点滴で栄養補給までした。いい加減そろそろやばいんじゃないかと思い始めた頃、先に破水してしまい、急遽、帝王切開することになった。

その産院は帝王切開の手術に夫が立ち会うことができる。そのため僕は、切開された妻の身体から紫色で血だらけでしわくちゃの長男が医師の手で引っ張り出される瞬間を目の当たりにした。あとで聞くと、麻酔でへろへろになった妻にはいまひとつ実感が沸かなかったらしいが、「素面」の僕は、なんか弱々しく泣くぐにゃぐにゃの新生児を抱かされて、卒倒するかと思った。正直言って、生まれた直後の赤ん坊はあまりかわいくない。数日して落ち着いてくると、急にかわいらしくなる。こちらの精神状態にもよるのだろうけれど。

手術後、麻酔とお産の疲れで妻が昏々と眠っている間に、各方面にお知らせの電話をかけた。子供が生まれた喜びよりも、なにしろお産が無事に終わった安心のほうが大きかった。

ところが、翌日、職場に出勤していた僕の携帯に、付き添ってくれていた義母から電話がかかってきた。妻が痙攣を起こしてどうのこうの、という。あわてて取り乱しているようで、よくわからない。とにかく仕事を切り上げて早退することにし、実家に電話をかけて、実母に、様子を見に産院へ行ってくれるように頼んだ。新宿で京王線に乗り換えたころ、実母から電話がかかってきた。妻が呼吸困難に陥って、救急車で杏林大学病院の救急救命センターへ運ばれたので、そちらに向かえというのだ。

タクシーで大学病院に着いてみると、ちょうど妻を運んだ救急車が帰るところだった。僕ら3人は急患の家族控え室へ通され、そこで2時間以上、待たされた。こういうときは、やめようと思っても悪いことばかり想像してしまう。気分が悪くなって、外の空気を吸いに何度も部屋から出た。

やがて、処置室へ呼ばれた。救急医療の施設の、緊張感に満ちた雰囲気は、産院のなんとなく全体にピンク色したような平和な様子とはぜんぜん違う。心電図やら脳波やら何やら、点滅するさまざまな検査機器・治療器機、それぞれの操作担当らしいスタッフが数人、それにブルーの手術着にマスクをして目だけ見えているドクターが数人、全員がこちらを向いて立っていて、真ん中に置かれた処置台に布をかぶせられた妻が横たわっていて、呼吸器と点滴がついていた。文字通り目の前が暗くなって足の力が抜けた僕は、ほとんど、そのまま床に倒れて自分がERのお世話になるんじゃないかと思った。

しかし、告げられたのは、心配された脳血栓(帝王切開の後、脳血栓になることがあるらしい)もなく、検査した限りではどこにも異常はない、おそらく長いお産と手術の負担による一時的なものだろう、念のために集中治療室で数日間様子を見た方がいいが、生命に関わる危険はないだろう、という内容だった。(今度は、泣くかと思った。まじで)

そんなわけで、それから1週間ばかり、僕は大学病院と駅前の産院と自宅と、伝書鳩のように行ったり来たりする羽目になった。赤ん坊は何も知らずに無邪気に生育し、妻も順調に快復し、一旦産院へ再転院してから、あらためて退院した。いや実に波乱に満ちた、長いお産だったのだ。

先週、長男は無事に1歳の誕生日をむかえた。危なっかしい足取りで歩き始めている。子育てというのは予想以上に大変だけど、いや、おそらく1歳までなんてまだほんの序の口なんだろうけど、妻を失うことまで一瞬覚悟しかかったときのことは折にふれて思い出すし、僕らが元気に生きてあることが決して「あたりまえ」じゃないという気持ちは、励みにもなっている。

だから、まあ、健康に育ってくれているだけで、とりあえずは感謝しているのだけれども、その、本棚からバサバサ本を落として遊ぶのは早く卒業してくれ。息子よ。カバーと中身がごちゃごちゃになってわかんなくなるじゃないか。

2003年9月19日

可能性としての80年代

これは「買い」ですよ。
建築と「かすってる」土木や造園のひとが読んでも面白いと思う。

「時代」とか「歴史」を整理して評価しようとするときは、何か手がかりを通さないと議論は説得力を持たない。だって「歴史」って必ず「何かの歴史」であるわけだから。そういう意味で建築は、いい題材である。歌や漫画ほどの速度はないかもしれないが、その「取り返しのつかなさ」において、時代・社会と建築の関係は切実だ。

日埜さんの論考が面白い。日埜さんが問題にしているのは、80年代が「忘れられつつある」とかいうことではなくて、その時代や変遷を変にわかりやすい構図のストーリーに仕立てたり、戯画的に典型化することで、学ぶべき批評性まで覆い消されてしまう、そういう思潮についてである。

新しいものは往々にして過去の「主流」に対する批判として登場するものだし、歴史なんて結局、現在の価値観によって「編集」されるストーリーである(こういう相対主義的な言い方は危険だけれども)わけだから、いま、行う「再評価」だって、10年後にはひっくり返るかもしれないよなあ。でも、それはそれとして、「再評価し続ける」ことが、現在を見極めるために(今後を考えるためにも)必要なことなのだ。

(「〜は終わった」というのは、終止符を打つ身振りによってしか時代に参加できない「評論家」の常套手段だ、と、「文化の中の野性」で中島智さんが書いていたのを思い出した)。

こういう論考を読むと、建築の人材の豊富さを感じちゃうのである。造園もやりましょうよ小野先生木下先生荒井先生。僕よりも若い世代の連中と言葉を交わす機会があると、手の施しようがないようなエコロジズムちゃんや里山ちゃんがうじゃうじゃと育っているように見える一方で、「従来の日本の造園」とか「予定調和的な従来の自然観・風景観」などと放言してはばからないような、十把一絡げくんたちがやたらと目について、ちょっと危機感をおぼえるのです。どちらにもむかつく。

あとはまあ、これは些末なことなんだけど、「アナロジーの罠」を同時に読んでいるものだから、ちょっとそれらしい用語に出くわすと、つい「警報」が鳴るのだ。インタビュー記事の磯崎さんの発言:「・・・形式の自動生成が・・・」(ピーピーピー!!)「・・・決定不可能性の議論が浮かび上がるのですが・・・」(ピーピーピー!!)


追記:続きを書こうと思っていたのに、10+1を両親の家に置き忘れてきてしまった。子供の写真を見せに持っていったからだ。もう。

明日は子供の1年健診に、駅前の産科へ行く予定。久し振りに、最上階のタダのコーヒーでも飲んでこよう。

2003年9月18日

遺憾なこと

西村氏に確認したら、やっぱり、

まつだい雪国農耕文化村センター受付で発行されるチケットの遊びはSensoriumのWhile You Wereのパクリだそうだ。

2003年9月17日

ピクニック。ポストモダン。

先週から、スティーブン・ピンカーの「心の仕組み」(NHKブックス)を、上中下いっぺんに買って読んでいる。これはなかなか面白いんだけど、山形浩生さんがウェブサイトで日本語訳を「改善」する企画を始めているのを目にし、原作も見てみたくなって、How the Mind WorksをAmazonに注文した。それが今日、届いていた。そこそこ厚いペーパーバック。これに、まだ同時進行で読みかけの「アナロジーの罠」と「エコロジカル・マインド」を持ち歩いているうえに、今日の帰路、青山ブックセンターに寄って10+1の最新号を買った。所収の「ピクニック・フィールドワーク」をお手伝いし、一部執筆したので。

鞄はプチ図書館状態。肩が抜けそうだ。

How the Mind Worksは、目次をざっと眺めただけでも、たしかに「心の仕組み」の訳がちょっと野暮というか、カタいのがなんとなくわかる。

10+1の特集は「80年代建築/可能性としてのポストモダン」。日埜さんが、要するに近年の「80年代のパーティー騒ぎは、あれはなかったことにしようぜ」という態度はだめで、80年代を踏まえた現在なのであって(そりゃあまあそうだろう)、現在の問題がリアルであるために、地続きの80年代をちゃんと検証し評価しよう、という趣旨を語っている。いやしかし、またもう骨太というか、10+1の面目躍如たる内容で、字面を追っているだけで額にタテジワが寄るごとくである。「アナロジーの罠」が解毒剤に思えてくる。いや、これは大袈裟でした。人を煙に巻くような難しいテキストが並んでいるというわけではありません。でも、80年代にあまり馴染みのない、僕なんかより若い世代の人はどう読むんだろうかこういう論考集。と思いながらプロフィールを見たら、日埜さんは71年生まれ。たいした人だ。

ピクニックについては、さらに書きたいことがあるので、それはまた後日。とりあえず、子供の写真を10+1に掲載するという目標は達成した(←ばか)。書店でみかけたら手にとって見てやって下さい。

■追記:

10+1は編集部から送ってくださっていて、職場に届いていた。どうもこらえ性がなくて、自分で買っちゃうので、自分が寄稿した印刷物はだいたい2冊持つ羽目になるのである。

ポストモダンの特集はちゃんと読むと面白い。ほんとだってば。

2003年9月16日

ムラオコシ・アートの悲しみについて

世間は連休であって、もちろん「世間」に生きているところの僕らは連休を満喫すべくレンタカーを借り、新潟県十日町市までドライブして、ベルナティオ・当間高原リゾートのコテージに宿泊し、長男の一歳の誕生日をささやかに祝いつつ、トリエンナーレの「祭りのあと」を巡り、ヘアピンカーブのデッキや錆びた鉄のポケットパークや、うねるアスコンの駐車場やら、タコ足建物と周囲のアート群やらを見回ってきた。

どれも面白かったんだけど。
どうも、こういう、博覧会的に置かれる「アート」の意味というのはよくわからん。

補助金やら何やらが獲得できて、世界中のアーティストが作品を寄せてくる、というような事態は地元が渇望することではあるだろうし、「田舎」という文脈は見方によってはチャレンジングだし、表現の場を与えられればアーティストは一生懸命作るだろうけれど。

だから、それぞれの「作品」はよくある交流センターとか駅前の不気味なキャラクター彫刻なんかとは比べるべくもない水準ではあるんだけど、なんか、「期待される村おこしモード」が、個々のアーティストの意想とはまた別なレイヤーに覆い被さっているのが感じられて、こう、全体的に、無理をしているというか、浮いているというか、わざとらしく芝居がかった感じがするのだ。予想していたことではあったんだけど。

原広司さんの設計した「越後妻有交流館・キナーレ」も、下手に田舎めいた意匠や十日町の望むテイスト(十日町はイタリアのコモと姉妹都市で、やたらとイタリアを冠したものを作りたがる)に媚びていないところが好感を持ってしまうのだけれど、でもやっぱり地方の「なんたら交流センター」や、気合いの入ったデザインの「道の駅」なんかに共通する、なんともいえない気恥ずかしいような、空疎な、「それがどうした」みたいな感じは全館に満ちていた。交流するかね?あそこで。

いや、「観光する人」の視点から身勝手に見ていることはわかっているし、僕自身もこういう「交流センター」の建設を望む産業の一角で仕事をしていて、この悲しみの一翼を担っている、ということもよくわかっている。つもりなんだけど。

なんか複雑な思いにとらわれた2日間であった。

あ、それと、松代のそのMDRDVの建物の「農舞台」の入場券を買うと、券に、「地球の原油の尽きるまで」とか、「センター開館から現在の瞬間までの山手線の走行距離」とか「地雷除去数」とかが刻印されるのだけど、これってSensoriumの「While You Were」とそっくり同じである。Sensoriumのメンバーが企画に参加したんだろうか?そうでなきゃ完全にパクリだ。

http://www.sensorium.org/whileyouwere/index-j.html

月曜日は、南町田のショッピングモールへ車ででかけた。ベビーカーを押してアウトレットショップで靴やバッグを買うという、絵に描いたみたいな「郊外の家族」の一日でした。

■追記:
そりゃ、イベントが終了したあとで行くからですよ、と言われた。>トリエンナーレ。

うん、まあそうかも。

2003年9月10日

Helianthus tuberosus

今年も野川の土手でキクイモが全開だ。

東風意匠計画の山内彩子さんからのおしらせ。

>下記、シンポジウムのご案内です。
>大川からぜひ、ランドスケープ関係の方々にも参加・ご批評いただきたいということです。
>250名も入るホールでのシンポジウムなので、学生さんなど皆さんに来ていただければ
>うれしいとのことでした。
>
>日本建築学会の建築文化週間2003の第1回シンポジウムです。
>インタージャンルなデザイナー/実務家に集まって頂いて都市再生を考えようということで、
>貴重なシンポジウムになると思っています。
>
>今年から大川が学会の建築文化事業委員会のお手伝いをさせていただいている関係で、
>みなさんにはぜひとも、お誘い合わせの上、ふるってご参加いただきたく、
>ご協力お願いいたします。
>
>特に大学の関係者の皆様には、ぜひとも学生さんへ告知していただき、多くの参加を
>いただけるよう、お願い申し上げます。

というわけで以下。

第1回シンポジウム「小さな都市再生がいっぱい2」    ---都市・土木・建築のコラボレーション

 21世紀の世界の潮流や環境にフィットするように日本の都市を更新しアップグレードしていく際、大都市の巨大開発ばかりではなく、無数の小さく多様な都市再生を実行していくことが大切です。建築文化週間のメインイベントである本部企画のこのシンポジウムでは、昨年度に引き涜き、このテーマをとりあげます。

 建築学会は、まちを再生する手法として建築のコンパージョン(用途変更)や連結についての課題、駅前をはじめとする中心市街地再生についての課題に取り組んでいます。これらの課題は、道の再生、街区の再生、さらには都市の再生へと拡がっていく課題であると考えられます。古くなった既成市街地や団地・ニュータウン再生のデザインを実行していくには、専門分野を越えた、都市計画、土木、建築の連携や共同が必要です。

 居住者、就業者、来訪者のいずれにとっても、魅力的で、個性ある、都市環境をあちこちにたくさんつくりだすために、私たちは、どこから手をつけ、どのように共同していけばよいのでしょうか。各分野の連携と共同の具体的な方法について、ディスカッションします。

日 時 10月1日(水)18:00〜20:30
会 場 建築会館ホール
定 具 250名(当日先着順)

プレゼンテーション:
内藤 廣(建築家・東京大学教授)
三谷 徹(ランドスケープアーキテクト・千葉大学助教授)
ディスカッション/パネリスト:
青木 仁(都市基盤整備公団)
伊藤 滋(都市計画家・早稲田大学教授)
内藤 廣(建築家・東京大学教授)
可児才介(大成建設常務設計本部長・本会事業理事、建築文化事業委員会委員長)
三谷 徹(ランドスケープアーキテクト・千葉大学助教授)
司会/コーディネーター:
宇野 求(建築家・千葉大学教授)
問合せ:日本建築学会事務局研究事業部 鎌田氏
TEL 03-3456-2056 FAX03-3456-2058
E-mail : kamata@aij.or.jp

出演者のラインアップを見てもこれは「買い」です。
特に造園/ランドスケープの学生の皆さん、友達を誘ってみんなで行きましょう。建築学会のシンポに造園の学生がわんさか来て会場を埋めてくれると、企画にはげんだ大川さんたちがやり甲斐を感じてくれる→「こんなに建築以外の若い人たちも来てくれるなら、またやろう」→次のこういう場が設けられる→造園/ランドスケープの議論や視野がひろがる、という好ましい連鎖が続くのです。だから行きましょうね。

2003年9月 8日

オーレオリアータ。

フイリスダジイ!

http://www.ueki.or.jp/tokusuru/newtree06.html

この際だ。マテバシイのオーレアとか、シラカシ・バリエガータとか、
フイリタブノキとかも作って、「華やかな鎮守の森」にしようぜ。


(社)日本造園組合連合会、という団体がある。造園の、主に施工系の企業、実務者のユニオンで、ウェブサイトもわりとちゃんとしている。
http://www.jflc.or.jp/menu.html

そこが主催する、「産・官・学を横断した交流の場を設けよう」という意想のもと、設立された「日本造園アカデミー会議」の案内ページ:
http://www.jflc.or.jp/013.html

「日本造園アカデミー会議とは」というタイトルの段落:
造園業界には大学や専門教育機関などの「学界」、建設省や各地方自治体などの公園緑地に関する部局などの「官界」、生産・販売・施工を含めた「業界」の3分野が存在します。そして各分野とも日々研鑽と研究に努めているのですが、たとえすぐれた技術を開発したり、造園に関する深い知識を持っていてもお互いバラバラで独自に活動していては、造園業界全体のレベルアップにつながらず、何の意味もありません。

何の意味もありません、とはまたキツイけど、志は崇高だ。(でも「存在する分野」のなかに「設計」がないぞ。)
日本造園アカデミー会議では、これら3分野を集結して造園に関するあらゆる情報を交換と研鑽を重ねることを目的に発足し、初代議長に林学博士の故・上原敬二先生をお迎えして昭和51年に産声をあげまし

「あげまし」でマイクが切れたみたいに文章がとぎれてる。
おい。どうしちゃったんだ。
続きが気になるじゃないか。

2003年9月 3日

The War-chitecture

五十嵐太郎著「戦争と建築」、晶文社、2003

僕にとって、建築の評論には大きく二つの種類がある。ひとつは、「その建築が充分に建築的であるか」とか「建築が建築であるためにはどのような建築であるべきか」というような議論。こういう議論は主に、「建築」のうち、「建築家が関わった部分」に対象を限定することで、その議論の緻密さや強さを上げている。もちろん、建築家の間で建築論を鍛えるためにはそういう議論の空間は必要だと思うけれども、僕としては、あとで結果だけ教えてください、というしかない。

もうひとつは、建築を論じつつ、建築を成立させている事情に射程が向いているもの。僕のような、興味も行きがかりの関係もあるけれども基本的には「オフィシャルなアマチュア」には、それは後者のほうが面白いしためになる。時にとても刺激的だし、自分の仕事に関わりのある知見も得られるし、わりと切実な興味をもって読む。ただ、そういうメタな視点からの評論は、論者の「立ち位置」によってはつまんないものになる。もともと建築はどうしようもなく社会的なものごとであるわけで、包括的に論じようとすればするほど文明論じみてくる。だから、射程の「距離」をどこに据えるかという「頃合い」が面白さを左右する。

五十嵐さんの評論が面白いのは、そのスタンスの取り方がいいからだと思う。内部の事情に詳しく、かつ建築や建築家への抜きがたい「愛」があって、でも同時に社会や芸術や文化や時代の事情が建築にあらわれてくる「ありかた」に目が向いている。こういう人が同世代にいて、建築の最前線に腰を据えていてくれるというのは、僕にとってはすごくラッキーなことである。

宗教という、外部の人間には理解を絶する(と思われがちな)共同体の様子や論理を建築を手がかりに読む「新宗教と巨大建築」と「近代の神々と建築」の2冊、犯罪者の矯正とか、物流とか「にわかには把握しがたいもの」が「建築化」するプロセスを追う、大川さんと共著の「ビルディングタイプの解剖学」、と、これまでの著作も含めて一貫しているのは、「建築」の解析が「他者」への接近の方法にもなっている、という態度である。

何を考えているのか、どういう行動原理なのかわからない「得体の知れないもの」が「他者」である、とすれば、「戦争と建築」というタイトルの本なのに、いささか唐突に挿入されている「反フラット建築論に抗して」という章も実は同じ文脈で読める。五十嵐さんは飯島さんに「最近の若手」という「飯島さんにとっての他者」への接近方法を諄々と説いているわけだ。

「セキュリティ戦争の都市」の章はちょっとすさまじい。「戦争」の「敵」は、極端に「他者」なやつらであるわけだけれど、現代の「敵」は必ずしもわかりやすい様子をしていない。名乗り出ないテロリスト。豹変するかもしれない隣人。だから「他者への構え建築」は細分化され、日常化して、僕らの生活に浸透しつつある。都市民がお互いを「他者」視しつつあり、そのまなざしがどんどん解像度を上げているのである。

「戦争に対して建築に何が出来るか」という問いは、建築の門外漢からすればいささか横滑りに見えなくもないけれど(誰が頼んだんだよ、みたいな)、「自覚的であること」は悪いことではない。少なくとも、自宅の玄関のドアチェーンをかけるたびに「他者に対する構え」について考えてしまう僕は、五十嵐さんの「実践」に巻き込まれているのです。

以上、お勧めです。はじめて接する人は、五十嵐さん一流の、過去形と現在形が織り混ざった、ちょっとスピード感のある文体に戸惑うかもしれないけど、読み進むうちにすぐに慣れる。ページの上部1/3が図版に当てられているので、実際の字数よりも厚い本を読んだような気にもなってお得(←そういうことではない)。

以下は、読みながら思いついたこと:

戦争は庭も変える。以前、イギリスのガーデンショウで「戦時下のガーデン」というテーマの庭が出品されていたのを見たが、民家のバックヤードの「菜園」を再現したものだった。庭の隅にトタン葺きのシェルターがあって、鉄のヘルメットと小型ラジオが置かれていて、ラジオからはチャーチルの演説が流れていた。

国家総動員態勢になったとき、庭の「お国のために奉仕する様態」として選ばれるのは、あからさまに実用的な「菜園」なのだ。日本では、終戦直後にアメリカ軍が撮影した東京の航空写真に、畑にされた新宿御苑が写っている。アメリカでも、第一次大戦のとき、ウィルソン大統領はホワイトハウスの芝生の庭でヒツジを飼育した。

芝生といえば、第2次大戦中のアメリカでは、軍用の物資や人員の輸送を優先させるべく、一般人は鉄道を使った余計な移動をなるべく避けて「家にいる」ことが奨励された。その際に説かれたのが「自宅の芝生を美しくしよう」というキャッチだった。アメリカでは、芝刈りは市民道徳的な意味合いを帯びているけれど、こういうところにもそれは現れているし、逆にこういうプロパガンダが芝刈り道徳を補強もしただろう。「戦争と庭」もあるぞ。

2003年9月 2日

通勤本の今週。

・内田先生の「ためらいの倫理学」文庫本。単行本未収録の文章もある。角川文庫。

・五十嵐隊長の「戦争と建築」。晶文社。

・J. C. バラード「J. C. バラードの千年王国ユーザーズガイド」白揚社。

・・・か、鞄が重い。

新建築に書評が載っていた佐々木正人「レイアウトの法則」が気になる。鞄が重いのに。

■追記:

「戦争と建築」面白い。ネタ満載。
霜田君のボストンの報告が引用されているよ。>霜田君。

10+1のピクニック特集入り号はいつ出るのかな。