エレガントな宇宙、あるいは「冴えた理解のしかた」
『ユークリッドの窓 平行線から超空間にいたる幾何学の物語』
レナード・ムロディナウ著、青木 薫訳、日本放送出版協会、2003.6
『ふたたびかつての目で世界を見るのは難しいだろう』
つまるところ、科学の営みとは「つじつまが合っている、と納得すること」の歴史なのだった。
高校2年のとき、数学の授業で目から鱗が落ちるみたいな感動を味わった記憶がある。小学校のときに割り算でつまずいて以来(筆算の手続きで、割り算なのに掛け算と引き算を使って迂回するように答えを出すやりかたが理解を絶していたのである)、数字や数式に対する心の傷を癒しがたく抱えていたのだったが、「数IIB」の後半あたり、数列とか微積分が登場したあたりで、それまでのつらく苦しい計算問題や何やらがいわば基礎トレみたいなもので、数学は実はここから先なんだ、ということ、数式や記号がモノゴトの関係を記述し、「美しくつじつまを合わせる」ものなのだ、というようなことが、いきなり腑に落ちたのだ。それ以降、相変わらず成績は悪かったくせに、数学が面白いと思うようになり、数IIIの履修も苦痛ではなかった。
周囲の友人に聞いてみると、逆にそれまでの算数は得意で、成績もよかったのに、ベクトルとかで引っかかってそこから先が苦手になった、という人が何人もいた。たぶん、あのあたりが「算数」と「数学」の境目なんじゃないだろうか。きっと、数学的センスと才能があれば、そこから先へ進んで数学的世界の醍醐味を味わえるのだ。僕の場合はその両方とも救いがたく欠如していたので、先へ進むことはなかったし、いまでは当時憶えたはずの公式も記号もすっかり忘れてしまい、そのときに感じた「そういうことだったのか!」という感激だけ憶えている、という情けない状態である。
目次には見ただけで気後れするような名前が並んでいる(ユークリッド、デカルト、ガウス、アインシュタイン、、、、)けれど、実は僕なんかでもよくわかるように平易に、しかし知的興奮の度合いは維持しつつ、幾何学的な思考がどのように世界の「見方」を規定しかつ変革してきたかという歴史を解説した入門・啓蒙書でした。一気に読めて、かつ読後に自分が(すこし)賢くなったような気持ちになる。著者のユーモアのある語り口も楽しく、訳文もいつもながら冴えている。
中盤、「非・ユークリッド」へ突入して以降、内容は僕の日常的な思考や実感からどんどん乖離してゆく。「ひも理論」あたりになると、「なるほど、物理学の先端ではそういうことが問題になっているのか」と思うしかない。
でも、GPS技術では、同期をとるために一般相対性理論による補正が行われているそうである。ウンチクとしてはおいしい話題だ。「このeTrexの表示もさ、重力による空間の歪みを補正してるんだよね」。おおお。(←ばか)
以下、訳者の青木薫さんの言葉:
数学についていえば、おっしゃる通り、微積分のあたりで急にエレガントな世界を垣間見たような気分になりますよね。数学や物理は上にいけばいくほど展望が良くなるから、わたしとしては、学習内容(教科書の)を減らしちゃだめだと思ってます。例の物理の先生は、「今わからないことがあっても、気にせず先に行け」といいました(この人、数学の進度とは関係なく、まず物理の授業の中で道具としての微積を教えてから力学やってました)。数学・物理には積み上げの面もあるけれど、「気にせず先に行く」ことも有効だと思います。
そういえば、どうやら解決されたらしいと噂のポアンカレ予想に関連して、ブルーバックス『数学・まだこんなことがわからない』吉永良正著につぎのような文言があります。P.115
高校では、もう少し複雑な移動(変換)を考えます。今度は
同じ尺度で伸び縮みまで許そうというわけで、たとえば、T
シャツの絵柄を一方向に均等の力で引っ張ったときにできる
ような図形を問題にするわけです。あまり正確なたとえとは
いいがたいのですが、まあそんなものです。
この操作が「一次変換」と呼ばれ、行列で表されることは、
高校生なら誰でも知っています。……
ところがどうやら、今の高校では「一次変換」やらないみたいですね。余談が長くなりましたが、数学や物理に関しては、先を展望させるような内容がたんねんに摘み取られているような気がしてしかたがありません。みんな!(って、高校生はここ見ていないって(^^;))この先がおもしろいんだよ!


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