2003年7月 9日

なぜわたしたちは終末論に惹かれるのだろう?

「環境危機をあおってはいけない  地球環境のホントの実態」
ビョルン・ロンボルグ著、山形浩生訳、文芸春秋、2003

まだ読み中なのだが、すでに「エスカレーターでも読む」に突入。最初、訳者の山形浩生氏のくだけた語り口の文章が鼻につきかけたが、読み進むうちに気にならなくなった。まあこれは山形さんの芸風である。訳はわかりやすく読みやすい。

詳しい感想は読了してから書きたいが、まずは、今後、環境問題を論じる際に、これをいちおう押さえておかないと、けっこう恥ずかしい目に遭う可能性が高くなるぞ。ということだけは書いておきたいぞ。

これはランドスケープの成立、特にその「倫理的側面」に関わってくると思う。ランドスケープ(というプロフェッションにしろ、産業にしろ)(造園、でもいいけどさ)の、いわば脅迫思想的な立脚点を相対化してみること、つまり「エコロジカルな世界の実現のためにランドスケープも役立ってるようにしなきゃしなきゃ観念」をちょっと一旦横に置いてみることで、もっとその「本音」について冷静に考えることが出来そうじゃないか。

ランドスケープの仕事は、ことに先進国などの豊かな地域では、「急務」であるよりも、「より豊かにするために」という動機になる。そして、その実践として、ランドスケープは構造的に「適正」を目指す傾向を持っている。いや、土木や建築だって、それぞれの文脈で「適正」であろうとしているのは違いないのだが(『健康』が議論のまとになったこともあるし)、ランドスケープはそうした建設行為そのものを「過剰」や「欠損」と見なす傾向がある。一方、同じように、少なくともまともなランドスケープデザインは、ディープエコロジー的方法論も「過剰/欠損」と見なす、はずなのだが、実際はどうもこっち方面には弱いのだ。ランドスケープをやってる人のキャラクターとして、こっちにシンパシーを感じちゃう人が多いからなのかも知れないが。

というわけで、ランドスケープアーバニズムを標榜するあなたも、里山を愛するあなたも、お手元に一冊ぜひどうぞ。(こればっか)。

2003年7月 7日

エレガントな宇宙、あるいは「冴えた理解のしかた」

ユークリッドの窓 平行線から超空間にいたる幾何学の物語
レナード・ムロディナウ著、青木 薫訳、日本放送出版協会、2003.6

『ふたたびかつての目で世界を見るのは難しいだろう』
つまるところ、科学の営みとは「つじつまが合っている、と納得すること」の歴史なのだった。

高校2年のとき、数学の授業で目から鱗が落ちるみたいな感動を味わった記憶がある。小学校のときに割り算でつまずいて以来(筆算の手続きで、割り算なのに掛け算と引き算を使って迂回するように答えを出すやりかたが理解を絶していたのである)、数字や数式に対する心の傷を癒しがたく抱えていたのだったが、「数IIB」の後半あたり、数列とか微積分が登場したあたりで、それまでのつらく苦しい計算問題や何やらがいわば基礎トレみたいなもので、数学は実はここから先なんだ、ということ、数式や記号がモノゴトの関係を記述し、「美しくつじつまを合わせる」ものなのだ、というようなことが、いきなり腑に落ちたのだ。それ以降、相変わらず成績は悪かったくせに、数学が面白いと思うようになり、数IIIの履修も苦痛ではなかった。

周囲の友人に聞いてみると、逆にそれまでの算数は得意で、成績もよかったのに、ベクトルとかで引っかかってそこから先が苦手になった、という人が何人もいた。たぶん、あのあたりが「算数」と「数学」の境目なんじゃないだろうか。きっと、数学的センスと才能があれば、そこから先へ進んで数学的世界の醍醐味を味わえるのだ。僕の場合はその両方とも救いがたく欠如していたので、先へ進むことはなかったし、いまでは当時憶えたはずの公式も記号もすっかり忘れてしまい、そのときに感じた「そういうことだったのか!」という感激だけ憶えている、という情けない状態である。

目次には見ただけで気後れするような名前が並んでいる(ユークリッド、デカルト、ガウス、アインシュタイン、、、、)けれど、実は僕なんかでもよくわかるように平易に、しかし知的興奮の度合いは維持しつつ、幾何学的な思考がどのように世界の「見方」を規定しかつ変革してきたかという歴史を解説した入門・啓蒙書でした。一気に読めて、かつ読後に自分が(すこし)賢くなったような気持ちになる。著者のユーモアのある語り口も楽しく、訳文もいつもながら冴えている。

中盤、「非・ユークリッド」へ突入して以降、内容は僕の日常的な思考や実感からどんどん乖離してゆく。「ひも理論」あたりになると、「なるほど、物理学の先端ではそういうことが問題になっているのか」と思うしかない。

でも、GPS技術では、同期をとるために一般相対性理論による補正が行われているそうである。ウンチクとしてはおいしい話題だ。「このeTrexの表示もさ、重力による空間の歪みを補正してるんだよね」。おおお。(←ばか)

以下、訳者の青木薫さんの言葉:

数学についていえば、おっしゃる通り、微積分のあたりで急にエレガントな世界を垣間見たような気分になりますよね。数学や物理は上にいけばいくほど展望が良くなるから、わたしとしては、学習内容(教科書の)を減らしちゃだめだと思ってます。例の物理の先生は、「今わからないことがあっても、気にせず先に行け」といいました(この人、数学の進度とは関係なく、まず物理の授業の中で道具としての微積を教えてから力学やってました)。数学・物理には積み上げの面もあるけれど、「気にせず先に行く」ことも有効だと思います。
そういえば、どうやら解決されたらしいと噂のポアンカレ予想に関連して、ブルーバックス『数学・まだこんなことがわからない』吉永良正著につぎのような文言があります。P.115
   高校では、もう少し複雑な移動(変換)を考えます。今度は
   同じ尺度で伸び縮みまで許そうというわけで、たとえば、T
   シャツの絵柄を一方向に均等の力で引っ張ったときにできる
   ような図形を問題にするわけです。あまり正確なたとえとは
   いいがたいのですが、まあそんなものです。
    この操作が「一次変換」と呼ばれ、行列で表されることは、
   高校生なら誰でも知っています。……
ところがどうやら、今の高校では「一次変換」やらないみたいですね。余談が長くなりましたが、数学や物理に関しては、先を展望させるような内容がたんねんに摘み取られているような気がしてしかたがありません。みんな!(って、高校生はここ見ていないって(^^;))この先がおもしろいんだよ!

パークハウス、ピクニック

土曜日は建築家の佐藤敏宏さんと待ち合わせて、南泰裕さんの世田谷の豪徳寺にある事務所へお邪魔した。妹さんまで出てこられて、お手製の昼ご飯をご馳走になってしまった。ありがとうございました。おいしかったです。どうして俺は手ぶらで行ったのだ?次回はご招待せねば。

直前、「住居はいかに可能か」をあらためて読んだので、いろいろと聞いてみたい項目をわざわざノートに書いて持っていったのだが、お昼を頂いたり、佐藤さんの飄々としたノリに幻惑されている間に時間が過ぎてしまった。佐藤さんはしかし、ほんとに仙人みたいな人である。ああいう、達観したオヤジになるのが僕の(たぶんかなわぬ)夢です。

その後、南さんが設計された、地面と部屋が斜めに折り畳まって重なったみたいな「パークハウス」を見学させていただいた。建物自体も面白かったけれども、竣工して1年、施主がどんどん手を加えつつある「建築を『家』にしてゆくパワー」にちょっと感動した。けっこうラジカルな改造をしようとしていて、僕も思わず、人工地盤の緑化とか、「仕事モード」で話をしてしまった。

日曜日は太田浩司さん主催のピクニック・フィールドワークに参加した。太田さん・伊藤さんご夫妻のプレゼンによると、ピクニックはイギリス発祥のものである。

だとすると、そういう「作法をもった営みは、それを育んだ土地の風景を舞台として要求する」という、『芝生理論(小野、石川、2002)』に従って、「クラシックなピクニックのフィールドとしてはイギリス風景式が絵になる」はずであり、日本でもっとも普及しているイギリス風景式空間はゴルフコースであり、従ってゴルフコースの地割りがそのまま生きている砧公園や野川公園はきっと、息をのむほど「はまった」ピクニックになるだろう、という予想のもと、砧公園のファミリーパークへ出かけた。案の定、奥行きのある芝生と木立を背景に、クヌギの巨木の下にラグを広げた様子は、文字通り絵に描いたみたいな美しい「正しいピクニック風景」でした。

2003年7月 1日

アルミ・ブック

買ってしまった。

第一に、僕がチェックを入れていたモデルが大幅に値下がりした。
第二に、ちょっと臨時収入があった。
第三に、かれこれ4年も酷使している我が家のメインマシンが故障した。機械的な故障ではなかったのだが、データを全部バックアップして、ハードディスクを初期化する羽目になった。

と、実に説得力のある言い訳が揃ったので、これを機に新しいノートパソコンを買ったのだ。購入したのはApple PoweBook G4 12インチ、SuperDrive(DVDを焼けるやつ)。USキーボードが欲しかったので、Appleの直販のオンラインストアで注文した。待つこと数日、先週の金曜日に配達されてきた。いや小さい。軽い。それと、やっぱり、使っていて気持ちいいくらい速い。

http://www.apple.co.jp/powerbook/index12.html

これまでの我が家のメインマシンはPowerBook G3 98年モデル、通称「Wall Street」というやつで、OSはずっと8.6だった。周辺機器は全部SCSI。旧式のマシン(といってもたかだか4年。パソコンの変化は激しすぎる)を快適に使い続けるコツのひとつはOSを下手にアップデートしないことだ。でも、USBもFireWireも使えない。最近、デジカメとか、ビデオカメラとか、我が家のパソコン以外のデジタル系家電が次々に世代交代し、パソコンが追いついてこない状況だったので、ここらでひとつ、パソコンが「追い越す」のはいいことだ。やっぱりパソコンには周辺機器の上に君臨していてほしい。

触感がなかなかいい。梨地のアルミの触り心地、その微妙に引っかかる滑り具合が指に気持ちいい。キータッチもしっかりとしていて、頼りがいがある。驚いたことに、指がUSキーボードを憶えていた。@マークとか「 ”」とか、英数・かなの切り替えとか、操作が非常に快適だ。すっかりJISキーボードに慣れちゃったかと思っていたが、実はそんなことはなく、日本国内仕様のMacがJISキーボードになって以来、いかにストレスフルな入力操作を我慢していたかということをあらためて思い知った。キーボードはUSに限る。

しかし熱い。15分も使っていると、特に左半分がじわーっと熱くなってくる。膝の上で作業していると、そのうち焦げるんじゃないかと思うくらい熱くなる。あと、蓋を閉じたときのラッチが凝っていて、完全に閉じる瞬間にフックが出てくる。こだわりは買うけど、いかにも最初に壊れそうな頼りない感じがする。

このモデルはもうOS9では起動しない。そういうわけで、ようやくOS Xを使い始めたのだが、これはちょっとした体験だ。もう十数年も昔、SE/30(メモリは8MBだった)に初めてOS 7.0をインストールしたときのことを思い出した。

我が家のインターネットはケーブルの常時接続で、これにBuffalo Air Stationという無線ルータをくっつけて、2台のパソコンをネットに繋げている。これまで、IBM ThinkPadには無線LANカードを差してワイヤレスで、PoweBookはイーサネットのケーブルをくっつけて「ワイヤード」で使っていた。今度のPowerBookも無線ネットワーク機能があるのだが、Air StationにAirMacが接続できるのかどうか自信がなかった(というか知らなかった)ので、今回は注文しなかった。そうしたら、Air Stationのウェブサイトに「AirMacの設定方法」というページがあるのを見つけた。つまり使える。もっとよく調べてから注文すればよかった。

そこで、今日、新宿のソフマップに寄って、AirMac Extreamカードだけ買ってきて、早速取り付けた。ネットワークには、何の苦労も障害もなく、あっさり繋がってしまった。

これは快適。家中どこへ持っていってもオンライン。庭に出てベンチに座ってもオンライン。
これで、トイレの中とか、押入とか、「親が真剣な顔をして触っている機械にすべからくハイハイ全速で突進してくる長男」の攻撃の手の届かない場所に隠れて、ゆっくりとインターネットが楽しめるというわけだ。とほほ。