2003年6月 5日

もっと自然な権力装置。

東浩紀・大澤真幸「自由を考える 9.11以降の現代思想」NHKブックス、2003
若林幹夫 「都市の比較社会学 都市はなせ都市であるのか」岩波書店、2000
若林幹夫「未来都市は今 〈都市〉という実験」廣済堂ライブラリー、2003

なんか、3冊も持ち歩いている。若林さんの「都市」本は2冊ともとても面白い(というかネタ満載)。

「自由を考える」の中に、ここ10年の特徴として、権力が「規律訓練」から「環境管理」へ急速に流れている、という指摘があった。「環境化する権力」。マクドナルドの椅子は固いので長時間座っていられず、結果として回転率が良くなるそうだ。そういえば、コールハースのSHOPPINGの本にも、アメリカのモールでは空調に干し草のような「気分が高揚する匂い」を混ぜているとか、買い物客のテンションが落ちる午後2時だか3時だかに元気のいい音楽をかけるとかしている、という記述があったような気がする。

この傾向には僕も荷担している。ビルの公開空地などに設けられたベンチに、ホームレスの人が寝ないために取り付けられた「仕切り板」みたいなやつをよく見かける。最近まではいかにもあとから攻撃的に取り付けた感じのものが多かったが、最近はその「寝邪魔板」込みでうまくデザインされているベンチが多くなった。

先日の造園学会分科会のプレゼンで、GSDのスタジオのプロジェクトがいくつか紹介されたのだが、メキシコシティを対象にしたプロジェクトの中に、水辺の土地を勝手に占拠して住んでしまう住民をコントロールすべく、灌漑用の池にわざと水位の浅い部分を作る、というアイデアが提案されていた。
これは、エコロジーの知見を都市計画に応用するという話だったんだけど、確かに道徳や規則や経済的なインセンティブで制御するよりも、人間の「思わぬ」行動を「誘導」する、というのは、池を作って昆虫を呼ぶとか、実のなる木を植えて野鳥を呼ぶ、みたいな「より自然な」コントロールではあるのだけれど、見方によってはこれは、あからさまでないだけに余計に「巧妙な権力のありかた」ではないだろうか、と思った。

けだし、僕らは「芝生立入禁止」というサインを立てることを野暮だと思い、人に侵入してほしくない場所には、なんとなく入りにくいような工夫をデザインするほうを好む。ことに、最近のランドスケープデザインの「オフィシャルな目標」、空間のモノやカタチよりもむしろ自然のプロセスや人々の振るまいを「デザインの対象にする」という傾向は、容易にこういう「環境化された権力」の巧妙さを洗練させる方向に向かうんじゃないだろうか。まあ「公共の庭」なんてもともとそういうものなのかも知れないけど。

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