・地図ナイト・仙台版のおしらせ
暮れですが、下記のイベントに呼んで頂きました。12月21日(日曜日)。
ページを見るに、当日は会場が中継されるようで、これは緊張しそうだ。中継のことをなるべく忘れよう。
というか、ほんとに忘れて、その場限りのつもりでいい加減なことを口走ったり迂闊な失言をしたりしたら、それもやばいぞ。
ともあれ、前日から宿泊というのは難しそうなのですが、当日の夕方にでも、食事でもどうでしょう>仙台方面各位。
こちらは、石川初(いしかわはじめ)のweblogです。
2008年12月 2日
暮れですが、下記のイベントに呼んで頂きました。12月21日(日曜日)。
ページを見るに、当日は会場が中継されるようで、これは緊張しそうだ。中継のことをなるべく忘れよう。
というか、ほんとに忘れて、その場限りのつもりでいい加減なことを口走ったり迂闊な失言をしたりしたら、それもやばいぞ。
ともあれ、前日から宿泊というのは難しそうなのですが、当日の夕方にでも、食事でもどうでしょう>仙台方面各位。
2008年11月28日
さしあたって以上。
取り急ぎ。
2008年10月29日
ランドスケープデザイン誌の最新号で、先日、日本ランドスケープフォーラムの企画にて、鹿島の山田さん、平賀さんと、大山総裁がパネルを勤められたシンポジウムが、なんと神代植物公園で開催されていたことを知る。なんだよ、誰も何も教えてくれないから完全にノーマークだったじゃんか。神代植物公園なんて、僕の自宅の「隣」だぞ。一言知らせてよ。
それにしてもしかし、先日の「建築夜学校」といい、土木のLAUDサロンといい、大山さんを一種のトリックスターとして招聘して議論を活性化するという手法が、建設産業界の意匠系分野で流行ってるみたいである。たしかに、「中の人」ではないけれども完全な「素人」でもないという大山さんの「エッジ」な立ち位置は絶妙である。大山さんも自覚的にそのへんを挑発してくれるので、企画者にとっては得がたい存在である。もっとも、大山さんに撹乱してもらったあとは、それをその後の内部の議論を鍛える契機に消化しないと、そのうちに、「年頭対談・この分野の将来の展望」みたいな企画記事で、外部の識者ばっかり呼んで対談させて、「中の人」が不在になってしまう「日経コンストラクション」みたいなことになっちゃいそうだ。
エッジといえば、先日、建築系の定期会合に出席したのだが、メンバーのほとんどを占める「前線の当事者」よりも、建築メディアで長く仕事をされていたような、別な意味で「エッジ」にいる人のほうが、ステレオタイプないわゆる「建築」の定義や「建築家」像を強固に主張するのが印象的だった。考えてみたら、ラ系でも、自分で設計事務所を主宰したり、学校で教えていたりする、実質的にその分野をドライブしている層よりも、専門の勉強をはじめたばかりの学生や、前線からリタイアしたOBの皆さんのほうが、「分野のプリンシプル」にうるさい傾向がある。熱狂的なファンがスタジアムのプレイヤーにものを投げつけるみたいなもので、そういう乖離はどの分野にもあるんだろう。もしかすると、ステレオタイプな建築・建築家のイメージというのはエッジな連中、批評家や卒業生やワナビーたちが、その願望を投影して作った虚像なんじゃないか、などと思ったり。
でも、中の人がみんなエッジな風貌であーだこーだ言いはじめたらそれはそれで嫌味な、生産性の低い専門分野になりそうで、そういう意味では、日経コンストラクション的な慎みはむしろ、健全なのかもしれないけどな。
2008年10月27日
先週。秋風の木曜日。
大学の演習は5週目。
解釈に幅のあるキーワードだけ提示して、出てきたものをグリルするという「スフィンクスのなぞかけ」みたいなやりかたは、こちらの準備や負担を軽減するものの、なんか後味が悪い(少なくとも僕向きではない)。講評後、「成果品」のイメージが掴めないでいるキッズの一人の質問に答えようとしながら(これがけっこう難しくて大汗をかいた)、今年はそういうのを避けようと思っていたにも関わらず、準備不足というか、見込みが甘かったというか、工夫が足りなかったというべきか、ちょっと宙吊りにしちゃったかなあ、と反省した。ダメ講師ですまん。
たぶん、「自分の地図をつくる」というテーマに固執すべきだったのだ。「地図は、マッピングされたダイアグラムである」というとそのまんまトートロジーだが、実は、何気なくベースに使っている官製地図も、演習で「マッピング」してみたり、それをダイアグラムに表現したりした行為と同じ手続きで作られたグラフィクスなのだ、ということが言いたかったのだ。
条件がそろっていて、ある明確なルールに則っているかぎり、その「マップ」は「正直」であり、その正直さへの信頼に基づいて何かを読み取りうる。地面の事情を「すべて」地図に示すことは不可能である。しかし、一方で地面の事情の「一部」を、ある観点から示すことはできるし、それが逆に地面の複雑で豊かな事情へ近接するきっかけになる。というか、地面の事情の一部を示すことによってしか、実際の世界の複雑さや豊かさを示唆することはできない。
地図は、それ自体ではろくな情報を掲載できないほど、キャパシティの小さい書式の媒体である(Googleマップをはじめとする、オンライン地図のごちゃごちゃな醜悪ぶりを見よ)。しかし一方で、地図は必ず、そこに描かれた図以上の意味を示唆してしまう。
ひとつには、地図という書式、「マップする」という手続きが、記載されたひとつひとつの要素に一段高い次元をつけ加えるという行為だからだ。
もうひとつは、なんだかんだ言って地図は、それを保障するものが地面だからである。地図は常に、何かについての地図である。逆に言えば、地図の「中」にいるだけ、地図を見ているだけでは何も読み取れない。
これはたとえば、単語の意味を調べるために辞書を引く手続きに似ている。辞書を引くとき、その言葉の意味を知ろうとして、定義に使われた語を連鎖的に次々に引いていっても、より抽象的・包括的な概念へ拡散していってエラーを起こすか、循環参照になって無限にループするか、どちらかである。辞書に記載された言葉の定義を保障しているのは、辞書に記載されていない、いわば辞書の外側で運用されている言葉の実際である。私たちの言葉とその体系があって、辞書はその言葉の断面を切り取って、(暫定的なルールに則って)それぞれの「関係」を示そうとするものである。
つまり、地図が示すものは、つねに地図師の思惑を超えているのである。だからこそ、調べた結果を地図へ加工してみて、その地図を読み込んでその示唆する結果に驚く、つまり自分で作ってみた地図にびっくりする「発見」ができるわけだ。
それが得られれば、その地図と発見とを携えてふたたびライブ地面へ出かけ、そこでの驚きをもとにまた新しい地図を作って重ねる、という「地図・地面系のポジティブ・フィードバック」を味わうことができる。
というようなインストラクションが貧弱だったのだ。
という反省。
2008年10月24日
ありえない!!建設現場の真実 - dxb-Arch-LIFE : ドバイ-建築-生活 - Yahoo!ブログ
これは衝撃的に興味深い。階段なんか、むしろかっこいい。なんか、ほんとに仕事でやってみたくなる。一点鎖線のパターンの縁石を作って敷地境界に入れたい。やばい。
「記号論のよい素材」だと、もとえ先生がコメントされているが、たしかに、図面を「絵」だと見なしてしまうのは初心者の所業であるが、その「記号度」は割とローカルルールに依っている(たとえば、土木と建築の図面を交換したらけっこう凄いことになる)。
以前、うちの事務所のスタッフが中国の現場の施工図をチェックして、「RC打ち放しはNG ペイント仕上げのこと」と赤入れして送り返したら、しばらくしてから現場から「NGペイントという仕上げの種類がわかりません」という質疑が来てのけぞったことがあったのを思い出した。紹介されているドバイ在住(?)の方の文面からして、ドバイの建設現場ではこういうアクシデントが「ありそう」なのだろう。
図面の読解力の問題もさることながら、一方でもしかすると、こういう一見無根拠な形態が要求される、「造形的意匠が卓越する空気」がドバイの建設現場にはあるんじゃないか、と邪推してもしまうな。
2008年10月20日
おお。
来年のデブサミ2009に向けて、少しずつ動き出しています。そんな中で以下のエントリでご紹介した西村さんに出演していただくことが決まりました!うれしい。みんな、来年の2/12-13は予定を空けておくんだ。
via: 世界を豊かに感じる (arclamp.jp アークランプ)
西村佳哲は「僕の世界観に取り返しがつかないほどの影響を与えた5人」のうちの一人である。こんないいセンスをしている鈴木さんを企画スタッフに擁しているデブサミはラッキーだ。いや、なにも、僕が影響を受けたということが西村氏の凄さを説明していると主張するつもりは毛頭ないんだけど、彼がデブサミで講演するなら、それはぜひ行ったほうがいいぞみんな、という意見には、アルファギーク安藤さんもPingMag主催のヴィンセントさんも地図メカも、藤沢方面も仙台方面もみんな賛成してくれるであろう。西村の「講演」の機会はじつは珍しい。行ったほうがいいぞみんな。
さらに行ったほうがいいイベント:
緊急告知・長嶋康郎先生(ニコニコ堂)きたる・早稲田大学設計演習A, 2008年11月12日(水)
via: 中谷礼仁・記録・2004-, Nakatani's Blography
こここれは。水曜日の日中というのがキツイがうううむ。
「ニコニコ堂ってなに?」という人は以下を購入して読むように。
編集出版組織体アセテート∥ニコニコ通信・長嶋康郎著
しかし、長嶋さんが講演する「設計演習A」のある建築学科っていったい。(←いい意味で)
土曜日。
出張カボチャ彫刻ワークショップはつつがなく終了。いや、じつは当日、事前に会場入りするべく余裕を持って出かけたのに、京王線が人身事故で全面的に止まっていて、急遽バスに乗り換えて中央線にバイパスして、予定時間に大幅に遅れる羽目になった。会場は大入りで、子供たちやお母さんたちも参加してくれて、ランタン作りは楽しく遂行。しかし、大学の演習よりも緊張した。
なんと、「ハロウィン・ジャパン・インフォ」の主催者、HAMACHI!先生がわざわざお見え下さった。初めてお会いする場がオレンジ色だという、感激のカボチャウィークエンドであった。
まわりぶろぐ: 石川初さんのパンプキンカービングワークショップ@区民ひろば南大塚
カボチャの穴に入りたくなるごとき過分なご紹介ありがとうございます。今度また、ゆっくりお会いしたいです。Happy Halloween!!
日曜日。
昼間、子供らをつれて「調布飛行場祭り」へ。
屋台テントの並ぶ「祭り」の高揚感に加えて、ヘリコプターや消防車が並び、滑走路では小型機が空母の演習みたいに発着するという、5歳の男の子の魂を直球でワシヅカミする演出に長男はノックアウトされた。インフラの力というか、あの、空港のむき出しのドボク系のリアリティに心を奪われる様子はまさに「工場萌え」であった(でも、先日行ったディズニーランドでのはしゃぎぶりも似たような様子だったので、必ずしもドボクエンタテインメント的な見込みがあるというわけではなさそうだ)。
夕方、ドボク系濃度100%の濃い集まりへ。
会場では相変わらずディープで興味深い話題が飛び交った。さしあたって、たとえば「写真からはみ出すリアリティが、ともするとより深刻な既成の物語であるという陥穽」とか「今日のリサーチエンタテインメントの形式はフロッドゲイツが作った」、「Jマートの2階の半分を占めている『カントリー調』は、あれは何なのか」、「ハロウィンと浮かれ電飾の意外な関係」、「公共施設や生産施設の独特の色調は、かつての建築計画学のような『牽引する理論』があったんじゃないか説・証拠文献20円」、および「占いと料理と子育てとダイエットには手を付けたくない編集者の矜持」などであった。
上記といささか関連して、久しぶりに腕まくりをして、苦労して書き上げた、会心のブレークスルーだったと思われた原稿のゲラが戻ってきて、あらためて読み返してみたら、もうなんというか、涙が出るほど舌足らずで稚拙なテキストであったことが判明してがっくりし、でもこれが現実なので、自分の力量と正直に向き合いつつ校正することにする。涙。
2008年10月15日
毎年、「ハロウィン」「かぼちゃ」「ランタン」という感じの検索のヒットが急に増えて、リンク元に「ハロウィン・ジャパン・インフォ」が目だって急上昇すると、秋も深まったなあという実感がわいてくる(つまり、僕にとってHJIはオンラインで季節を告げる風物詩である)。もうハロウィン直前だけど。
そういうわけで、この記事は、これも毎年恒例の、ハロウィン関係の探し物で来られた方を「ハロウィン・ジャパン・インフォ」に誘導するものである。
開設時はおそらく日本で初めてだった、もっともハロウィン関係の情報が集積しているサイト:
ハロウィン・ジャパン・インフォ Halloween Japan Info
この手のサイトはえてしてそうだが、HJIも、HAMACHI!先生が趣味で個人的に運営されているところが凄い。
そうだ、来年のいまぐらいの季節の放映むけに、「ハロウィン熱中人」でHAMACHI!先生の取材なんかどうでしょう。>BS2「熱中時間」関係者の皆様
カボチャに関してはこちらに、ツールのレビューを兼ねたカービング(かぼちゃランタンの彫刻)の丁寧な手ほどきが掲載されているので、これも参照ください。
まわりぶろぐ: ハロウィンのカボチャで,パンプキンカービング!!「火」も使わないよっ!のカービングキットレビュー
ちなみに我が家のハロウィン的展望としては、
*これまでの我が家のハロウィン的歩み:
2008年10月10日
関東学院の「デザインスタジオ2」が始まった。
久しぶりの金沢八景。遠い。
去年や一昨年に履修した学生たちがスタジオ周辺をうろうろしてくれて、心強くも嬉しい。今年は最初に、3月にちょっと実験したワークショップのやりかたで始めさせてもらってみた。けっこう消耗したが、思わぬ冴えた発表が出てきたりもして、今年もまた、苦楽両方味わう予感がする。
ナカツ不良講師先生によれば、教員の頭には「去年のクラスの最後のころ」の記憶しか残らないため、大学の演習ではえてして、毎年少しずつ、学生に対する要求の水準が高くなってゆく傾向があるそうだ。なるほどたしかに、僕もこの3年間の、それぞれのクラスの最後のころの、よくやったなみんな、というような思い出ばかり浮かぶ。なんか、毎年のように、おい、去年のキッズのほうが手も動いたし、発想もユニークだったんじゃね?と思ってしまうような気がするが、それは前年の最後のほうの、成長したあとのクラスのことしか覚えていないからなのだ。うん、きっとそうだ。
そういうわけなので、まあ、演習が進むにつれて開眼して練れて研がれてゆくのだろうと信じているが、等高線と境界線と海岸線と住宅地と大学施設がめくるめく交錯する六浦の地図を前に、なんかヘンだと思う箇所なんていくつもあるだろ?と問い詰めた僕に面と向かって、何がヘンなのかわかりません、普通だと思うんですが、と、本気で白状されて途方に暮れた。
いや、変だと思えよ。びっくりしろよ。建築学科だろうがよ。ずれたグリッドが衝突して、その接点のヘタ敷地に無理に建ってる施設の様子とか、鉄道線にブチ断たれた街区の痕跡とか、丘の上に新しく開発された集合住宅へのアプローチ道路の地形との戦いぶりとか、団地をジグザグに横断する市域境界線とか、そういうのに「ん?」と引っかかるメンタリティを持てよ。それで現地へ出かけていって2度びっくりしろよ。街の風景に驚けよ。多くの人が見過ごしたり見慣れたりしている何気ない街の様子に、引っかかったり驚いたり怪しんだりできないと始まんねえよ。たかだか20年間で育んだおまえの「あたりまえ」なんて全然だめでショボいことを思い知れよ。「デザイン」なんてそっから先だよ。
そういう感受性がないと、街灯に照らされたジャンクションとか屹立する鉄塔とか水門とか工場とかダムを愛でることもできないし、中央分離帯でピクニックしたろーかとかいう発想もわかないし、「いついかなるときにも、私たちは何かに触れている」とか、「つまり、都市は環境ノイズである」とか、「没場所性の物質的豊かさと場所の最良の質とをつなぎあわせる地理学はあるだろうか」とか「3次自然の緊張感」とか「都市を舞台としたアニミズムをめぐる「草木虫魚の人類学」が書かれうるのではないだろうか」なんていうフレーズに戦慄できないし。。。というのはまあいいけど。もう少し後でも。
ここ数週間のメモ:
記事が出て以来、ロシアだとかフランスだとか、これまで見たこともないような国のドメインから、こちらのサイトにアクセスがあり、PingMagの威力を思い知りつつあるこの頃。ベレーナさんありがとう。ご苦労様でした。
取材は英語で、英語の記事のほうが先に書かれた。日本語の記事がなんとなくぎこちない文章なのは、英語の記事を日本語に訳してるからだと思われる。
PingMag - 東京発 「デザイン&ものづくり」 マガジン: 地形学的な観点から見た東京
>たとえば浅草地域の傾斜を目で見ても、それはただの傾斜地でしかありません。
訂正、「浅草」→「赤坂」。
英語で「Asakusa」になってたのは公開前に気がついて直してもらったんだけど、日本語訳は修正前のテキストを訳しちゃったようだ。
>地図とは、人の脳が物理的な環境とその画像との間に、いかに接点を見出すかということなのですね!
(原文)>So this is about how your brain makes the connection between the physical environment and its image!
>GPSは最先端を行くテクノロジーであり、1メートル以下の精度で色々なものの位置を知ることができるのに、それを使うには現実の土地を本当にアナログな方法で体験しなければならないのです。
(原文)>Though it’s a cutting-edge technology and you see location with sub-meter accuracy, it forces you to experience the real land in an analogue way.
訳者は苦労しておられるが、なんか、英語のほうがわかりやすいような。
これは久しぶりに、精神的にじたばた身もだえするような、執筆の苦しみを味わった原稿であった。いや、あとで読まれて、そのわりには大したテキストじゃねーじゃんかと思われるかもしれず、だとするとそれについては申し訳ないとしかいいようがないが、依頼を頂いた際に、そんなの普段からいろいろと考えているし、文章にするくらい簡単だぜと安請け合いしてみたら、書き始めたら実はこのテーマは、この分野の問題の核心に触れるような深いサブジェクトであった、ということに気がついてしまった、という、自分自身の不勉強の報いと、長いテキスト(8000字)を書くなどというタスクが久しぶりで、なかなか気持ちをそれに持ってゆくのが困難であったという、自分自身の怠け癖の報い、のダブルパンチで、けっこう大変だったのだ(つまり、まったく自分のせい)。
おかげで、喫煙こそ再開しなかったものの、ニコレットが復活してしまった。現在、ニコチンパッチに切り替えてリハビリ中。
黒石いずみ先生に読んで頂いた。聴講生は1年生で、270人の大教室。この学部は始まったばかりで、つまり現在の1年生が「1期生」である。ちょっとカリキュラムの一端を拝見したが、なかなか面白そうな科目が並んでいる。建築学科やラ系学科や、SFCの学生たちと交流する機会が持てると面白いと思う。
横浜線の淵野辺駅で降りたのは初めてだった。相模の大地の北東端にあって、思ったよりもなかなか興味深い地域であった。淵野辺。